ねこぢる 旦那。 ねこぢる草 DVDのみ(本は付きません)たま様専用の通販 by さくら大根's shop|ラクマ

[iPad] ねこぢるヌードル: 無邪気な残酷さがシュールな絵だけは可愛いギャグ漫画。296

ねこぢる 旦那

概要 [ ] 『』12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。 主にやなど底辺に位置する人物を主人公にした作風で、のや現実の、に対するを、製図ペンを使用した端正なタッチで滑稽かつ入念に描きカルト的な人気を得る。 ただし、単行本はなどで手に入りにくい。 最初期はあるいは的な描線での入り混じったな作品や・をテーマにした作品を『』誌上に発表していたが、日本経済がに差し掛かろうとする半ばになると、ある特徴を持った漫画作品を断続的に発表する様になる。 それらの作品群で主役となる人物は、窮乏あるいは荒廃した生活環境に置かれることになる。 に着目した山野の作風は『』7月号より1年間に渡り連載された長編『』によって完全に構築され、山野はの地位を24歳で確立する。 同連載が終了したのち、主な活動の場を『』からに移し、主に荒廃した生活環境で「とことん抑圧」 される人々を主人公にした不道徳な漫画作品を描くようになる。 からにかけて『 』『 』『 』『 』『 』などの異色単行本をから次々に発刊。 その描写は極めて凄惨・過激で、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・まで数多くのを題材としたストーリーに滑稽さの入り混じる入念な表現でのを描き続けた。 山野の作風はの極北に位置するもので、最底辺生活者や畸形、狂人など差別表現の極北を・描写を交えて執拗かつ徹底して描き切り、作中にはを逆撫でするような露悪的、反社会的、反倫理的な表現が多用されているが、それに対してあっけらかんとしたを織り交ぜることも多い。 しかし、最終的にどこまでも報われない因果で陰鬱なストーリーを展開するため、のと同様に読者を非常に選ぶものとなっている。 また一見シビアなストーリーに、、、、、、といったユニークなキャラクター性を持った人物を登場させたり、滑稽な行動や皮肉な発言を取り入れるなどした作風で、作品の過激な内容とは裏腹に要素が強いものが多く、の分野にギャグを持ち込んだ作家としてはと並び元祖にあたる。 の末 からは、故・ねこぢるを継承した「 ねこぢるy」の名義でも活動している。 その後、紆余曲折を経てに。 にはが誕生し、二女の父となる。 これを機に創作活動を本格的に再開し、からはとしての活動も開始。 には『』3巻以来11年ぶりとなる漫画単行本『おばけアパート前編』を発表、漫画家としての完全復活を果たす。 には『 』を山野一名義で発表し、から版が既刊3巻まで発売されている。 経歴 [ ] 生い立ち [ ] 、(現・)のに生まれる。 幼少期にのに転居し、そこで少年時代を過ごす。 父親はの被告企業となったの環境課に勤めており、問題の反対運動に対処する窓口役で、山野曰く「住民の抗議に曖昧な笑いを浮かべながらお茶を濁す様な役目」だったという。 山野は当時の四日市について「住むとすぐにになる街」と述べており、母親も排煙が原因で喘息を患い、山野もで咳が止まらなかったという。 山野は自身の少年時代について「普通の公立学校に通って、特に目立たず、何もせずぼうっと暮らしていましたね。 不良でもないし、インテリでもないし、読書家でもないし、スポーツもしない、本当に特徴のない子でしたね。 あえて無理に言えば何もないっていうのが当時の印象ですね」と回想しており「育ったところに対して郷愁なんて何もない」と語っている。 『』1992年10月号「特殊漫画博覧会」で開かれた座談会では「子供の頃って言葉が通じなくて悩んだ事があるんですよ。 誰でもこんな事思ってるんだろうな、っていうような事を友達とか親とかに言っても非常に意外そうな顔されるんですよね。 言葉を正確に自分が使ってるつもりなのに、意味が伝達出来ないんですよ。 で自分はおかしいんじゃないか、って思った事がありますよね」と少年時代から「会話が空転する」など周囲との違和感を感じていたと明かしている。 『』第2巻のロングインタビューでも「小学校の頃、歩いて通学する道すがら、世界っていうのは自分の夢なんだと、ずっとそんなことばかり考えていたんですよ。 それで、周囲の人と話しても、誰も僕の言葉を全く理解してくれなくて、みんなバカでこいつらとコミュニケーションしてもしょうがないと思いましたよ。 自分の親にもそう思いましたね。 例えば親と話してても、向こうの言うことは良くわかるんだけど、こっちの言うことは全然通じないんですよ。 こっちの不満はほんの少しも理解してくれない。 だから、もう拒絶するしかないんですよ。 何を言っても通じない人間には話しかけても無駄だし、世の中の人すべてがそうなら、もう内側に籠もるしかないじゃないですか」と答えている。 、の『』での漫画『』を読みに感化される。 高校卒業後、に入学し、大学3年から4年にかけての時期に入部していた美術クラブで漫画を描き始める(美術部に『』のがいる)。 絵やに関しては全く習ったことが無く完全に独学だという。 が行ったインタビューによると、山野は「大学2年か3年の時」にので「神の啓示を受けた」という(この「神」について山野は「なんだかわからないから神様といってます」と説明している)。 その体験によって山野は、将来の自分の職業が「部屋にずっと籠もって何かを書く仕事」になるという展望を得た(この時点では、漫画家になるという明確な展望を得たわけではない)。 また、インタビューの中で山野は、漫画を描くという労働の特徴として、「人と会わなくてすむ」ことを挙げている。 その上で、インタビュー当時の話として、他人との持続的な接触が要求される状況で心理的重圧を受けていたことを述べている。 「山野一」として [ ] 大学4年の時にに漫画を持ち込み、『』12月号に山野一名義で掲載された「ハピネスインビニール」で漫画家デビューする。 後に山野は「これからに突入していこうという時期、日本人の誰もが調子づき、浮かれ騒いでいた。 文学部のボンクラ学生だった私にも、就職先はないではなかったが、そういう道になんの魅力も感じなかった。 ドロップアウトする事に不安がないではなかったが、迷いも未練もなかった」と当時を振り返っている。 以後、『』で精神の内面や知覚神経をテーマとする作品を描いて活動するが、デビューから2年間は原稿料がまったく支払われず、で飢えをしのいでいたという。 しかし、この労働経験について山野は「非常に拭い難い汚点を残してしまった。 自分は労働やそれに伴う人間関係を心底憎悪していたので、この時期は一番辛かった。 私は社会人としての適性、特に人間関係に難があった。 商社で徹夜でファックス番とかバイクでの書類運び、ホテルのマッサージの電話番など、なるべく人と接しないですむ仕事を選んだ。 丸一日アパートにこもって、好きな漫画を描いていられる日は幸福だった。 傍目にはとてもそうは見えなかっただろうが」と語っており、人生の汚点であったとしている。 には初の単行本となる『』がより刊行されるが、後に『』に寄稿したコラムの中で「初めて単行本が出て印税というものを受け取った時は思わず目頭が熱くなった、あんまり安くて。 それも旋盤工の月給程度の金額を御丁寧にも5分割で払って下さるのだ。 商品としての自分の漫画の価値がいかに低いものであるかという事をつくづく思い知らされた」と述べており 、家賃1万6千円、風呂なし共同便所の殺風景な四畳半のアパートでガスも電話も止められ、荒廃した漫画家生活を送っていたという。 で社会全体が軽佻浮薄な方向に流れ始めた1980年代半ばになると、ある特徴を持った漫画作品を断続的に発表する様になる。 それらの作品群は現代社会を舞台とする作品で、主役となる人物は窮乏あるいは荒廃した生活環境に置かれている、または置かれることになる。 『』1985年7月号から1986年7月号まで全12回に渡り連載した 長編『』では、町工場経営者の息子である高校生を中心として下町の懐かしい風景の中に潜む格差・貧困・家族の絆や友情の崩壊といった悲劇を漫画史上に残る過激な表現を織り交ぜて執拗に描き、人間を狂気に至らしめる「不幸のどん底」を滑稽さの入り混じった入念な表現で余すことなく徹底的に描き切った。 本作は現在に至るまで「不朽の怪作」として読み継がれるロングセラーとなっている。 のやの浅川満寛は、不幸が不幸を呼ぶ徹底して救いのない山野作品について「この過剰ともいえる徹底したしつこさは凡百の作家の想像力をはるかに超えている」と評しており 、のは、山野の描き出す不幸のどん底を「逆に的ですらある」と評価している。 後に山野は版『』の「あとがき」の中で「社会になじめない劣等感、で調子こいた世相への憎悪、そういった鬱屈を、この極端な作品を描くことで解消し、心のバランスをとっていたのかもしれない」と述べ、当時置かれていた環境による心理的重圧をもとに本作を構想したことを明かしている。 また『四丁目』の頃、山野の将来を悲観した両親から「田舎の水道局員か警察官になれ」と声をかけることもあったというが、山野はこれを拒否し、ついでに自分の単行本を何冊か実家に送りつけ、驚愕かつ落胆した両親から「おちんぽのようなものをあまりハッキリ描いてはいけないよ」と腫れ物に触るような返事をよこされたという。 この件について山野は「それまで自分の仕事の内容を、親に伝えることはなかった。 それをいきなり著書を送りつけられ、それには目を覆いたくなるような内容が、執念深く描き込まれていたわけだから、気の毒な話だ。 一人息子はすでに十分おかしくなっていると思っても不思議はない。 五十になった今思い返してみるに、本当に気が狂っていたような気もする」と後年回想している。 以後、1990年代半ばまでに発表された複数の短編 や長編『』でも、同様に念入りで滑稽な表現を伴いながら、貧乏あるいは不自由な状態に置かれ、「とことん抑圧」 される人物が主な役割を果たしている。 その一方で、1980年代後半の作品として、短編「」のように、不明瞭で非現実的な生活の光景を丹念に描いたものがある。 また、「」による「救済」についての短編「」のように、の象徴を描き、仏教の用語を使用している作品がある。 その一方で、人物の現実認識の変調あるいは幻覚体験を題材とする作品 もある。 また1980年代後半から1990年代前半にかけては『』『』『』『』『』『』『』『』(現在すべて休廃刊)などの(、誌、)で複数の短編作品を発表している。 一方で『』『』『』『』などの一般向け青年誌でも作品を発表している。 現代社会を舞台とする作品『』の一部のエピソードでは、の用語が用いられ、宗教的な世界観や象徴が表現されている。 それらの特徴に加えて『』誌上に全24回に渡って連載された「山野一」としては最後の長編作品となる『』では、神の世界など特殊な描写も交えての活動とその終焉を壮大なスケールで描いている。 ねこぢるの「共同創作者」として [ ] 詳細は「」を参照 このように「山野一」として創作活動を行う一方で、山野の漫画に感銘を受け、頃にのような形で結婚した妻のが「作・山野一 画・ねこぢるし」の共同名義で『』誌上に『』を発表してに漫画家デビューする。 ねこぢるのデビュー以降、山野はねこぢるの「共同創作者」 として裏方の役割を務めるようになり、ある時期からねこぢるの創作を全面的に補佐することが山野の主な活動となった。 二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモをもとに山野がストーリーをにして書き起こし「読める漫画」にまで再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「翻訳」と述べている)。 これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした支離滅裂で不条理な展開やドラッグ中毒のようにな描写が特徴的である。 当時流行していたに乗り、後半「ねこぢるムーブメント」が起こる。 当時は『』からのCMまで仕事の幅は非常に幅広かった。 された無邪気な絵柄とは裏腹にを通り越して最早狂気の域に達している残酷なストーリーとのギャップに若年層の支持も集めたとされている。 ねこぢると山野はブームにより作品の量産を強いられ徹夜で漫画を描き続けたが、次第にねこぢるはとなり奇行が目立つようになる。 、の自宅でねこぢるはを遂げた。 1998年5月10日以降 [ ] ねこぢるの死後、1998年の末から 、ねこぢるが記録していた「夢のメモ」を元に山野がねこぢるの様式で描いた作品 を、「作・ねこぢる 画・山野一」の共同名義で発表する。 以後、ねこぢるから継承したキャラクターを用いてねこぢるの様式で描いた漫画作品を「 ねこぢるy」の名義で発表し始める。 山野は『』のインタビューで「ねこぢる」と「ねこぢるy」の違いについて「ねこぢる作品はねこぢるを山野がサポートしてできたものです。 ねこぢるy作品は山野が単独でねこぢるのキャラクターを使用しているものです」と答えている。 『』2000年1月号より『』の連載を再開する。 しかし、10月号を最後に『ガロ』が休刊、以後作品発表の場を失う。 からは漫画コースの講師として2年間勤務する。 には画家としての活動も開始、発表済みまたは発表予定の絵画作品には、全てねこぢる及びねこぢるyの漫画作品のキャラクターである「にゃーこ」と「にゃっ太」が登場している。 、『ねこぢるyうどん』の3巻以来11年ぶりとなる漫画単行本『おばけアパート前編』を「ねこぢるy」の名義で上梓、漫画家活動を本格的に再開する。 私生活ではに再婚し、にが誕生する。 新しい家族との生活はからで個人出版されている『 』(山野一名義)に描かれている。 これは山野一名義の新刊としては刊行の『』以来実に20年ぶりとなるが、かつての山野作品とは一線を画した愛らしいほのぼのとした作風となっており、山野は「元・」と紹介されている。 ねこぢるとの創作上の関係 [ ] ねこぢるとの相互影響 [ ] 「」も参照 山野によると、ねこぢるの最初の漫画は、ねこぢるが「チラシの裏など」に描いていた「奇妙なタコのようなネコの絵」をモチーフとして、山野がストーリーを書くことから始まった。 二人には「極めて微妙」な役割分担があり、外部の人間をアシスタントとして入れることができなかったため、山野がねこぢるの「唯一の共同創作者」であった。 初期のねこぢる作品である『』では、『』1992年2・3月合併号まで掲載時に山野一が原作者としてクレジットされていた(以降「ねこぢる」名義に統一)。 また、1980年代の山野作品に描かれていた物 が、ねこぢる作品の中に現れることがある。 他方、1990年代前半の山野作品である『』や『』に、ねこぢる作品のキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっ太」の絵が描かれている箇所がある。 ねこぢるの漫画作品『』では、ねこぢると「旦那」の二人によるやでの旅が描かれている。 また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも、「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している。 ねこぢるの死後、山野は雑誌に寄稿した「追悼文」の中で、ねこぢるの創作的な感性と可能性について、「ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう」と評価している。 上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました」と打ち明けている。 一方、同じ頃に他の雑誌に寄稿した「読者のみなさんへ」と題する文章の中では、ねこぢるの死について、「故人の遺志によりその動機、いきさつについては、一切お伝えすることができません」と明言する と共に、「生前、彼女が作品化するため、書きとめていた夢のメモを、私がいずれ描くことで、読者の方々への説明とさせていただきます」と述べている。 後に山野は、ねこぢるが見た夢の内容の記録である「夢のメモ」に基づく漫画作品 を、ねこぢるの作画様式に従って描いた。 それらの作品は、「作・ねこぢる 画・山野一」という名義で発表された。 その後、山野は「ねこぢるy」の名義で漫画の創作を始めた。 山野は、ねこぢる作品の主要なキャラクターを受け継ぎ、ねこぢるの創作様式を踏襲する一方で、コンピュータによる作画を全般的に採り入れた。 人物 [ ] 嗜好 [ ] 身長183cm、体重62kg。 好きな音楽はや(特定のアルバムではの『Dreams Less Sweet』や ()の『There Will Be No Armageddon』あるいはの『Radio』などを好む)。 基本的に本も漫画も映画もテレビもほとんど見ない読まないというが、アニメでは監督の『』、ドラマでは『』、映画では監督の『』、漫画家ではの、、、、、、、特定の漫画ではの『』(刊)やの『』などを好む。 友人編集者のは山野について「何かに触発されて描く、学習しながらテーマを練り上げるというタイプではなく、おそらく、生来の気質がアーティスティックな感性を伴って描かせるのだろう」と指摘している。 山野一名義で活動する上で明確な影響を受けた漫画家はいないというが、高校時代にで購入した伝説的『』に掲載されていたの再デビュー作『』には大ショックを受けたという。 山野は後に「巷に氾濫してるをルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。 あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」と語っている。 容姿・性格 [ ] 山野はその作風からは想像もつかない長身と端正な顔立ちで知られており、初期の頃から作品を高く評価していたは「山野氏は背も高く、かなりの二枚目である。 何か相当のがあるのだろうか」と作者と作品の非一致を早くから指摘していた。 友人のも「山野一さんは常識的で真面目でクールな人で二枚目の男性だ。 よりもむしろ山野さんこそ不思議で『』とか『』とか、なんであんな分裂的で過激な作品を描くのかよくわからない」と打ち明けている。 これに関して友人漫画家のは「(ねこぢると山野は)二人とも本当はよく似てる」「ただの共作者とか夫婦とか友人とかとは違う、と以上の何か深いものを感じていた」としながら「社会とのつながりを最低限ちゃんと保つために役割分担をしないと社会と折り合っていけないから、山野さんだって本来そういう人じゃなくても、ねこぢるがいることによって、そう演じざるを得なかった」と分析している。 なお、山野はを描き続ける動機について「鼻をかんだりクソしたりせんずりこくのと一緒」とインタビューで答えており、「自分の中に同化できないようなものを出しちゃってるんだと思います。 それが不満というものなんでしょうね」と回答している。 作品 [ ] 漫画単行本 [ ] 山野一名義の単行本は文庫版『』以外は現在すべてのため通常の書店での入手は完全に不可能である。 「山野一」名義 [ ] 一部の作品はに指定されている。 『』- 1985年初版・2000年再版 (青林堂・絶版)• 『』 - 1986年初版・1999年再版 (青林堂・絶版)• 『』 - 1989年初版 ・1999年再版 (青林堂・絶版)• 『』 - 1993年初版・1999年再版 (青林堂・絶版)• 『』 - 1994年初版・1999年再版 (青林堂・絶版)• 『』 (全4巻青林堂・絶版)• 『』 - 2014年-継続中 (既刊3巻Kindle) 「ねこぢるy」名義 [ ]• 『』 - 2000年-2002年連載 (全3巻青林堂・絶版)• 『インドぢる』 - 2003年 (文春ネスコ・絶版)• 『おばけアパート前編』 - 2013年 (アトリエサード) 漫画作品 [ ] 「山野一」の主な漫画作品 [ ] この表では、「山野一」の名義で発表された漫画作品のうち、単行本に収録されているものを示している。 作品の順番は、作品を収録している単行本が最初に出版された日付の順に従っている。 「短編」形態の作品の順番は、単行本の目次に記載されている作品名の順番に即している。 作品名 形態 作品を収録している単行本 初出 畜膿三代 短編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1985年1月号 食の探求者 短編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1984年12月号 アホウドリ 短編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1984年11月号 白鳥の湖 短編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1985年2・3月号 タブー 短編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1984年2・3月号 DREAM ISLAND 中編 夢の島で逢いましょう 1985年 ガロ 1984年8月号~10月号 四丁目の夕日 長編 四丁目の夕日 1986年 ガロ 1985年7月号~1986年7月号 人間ポンプ 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 20-22 きよしちゃん 紙しばいの巻 短編 ヒヤパカ 1989年 ガロ 1987年9月号 GOGOやくたたず 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 17 ビーバーになった男 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 7 荒野のガイガー探知機 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 24 ハネムーン 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 5 パチンコのある部屋 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 2 旅情 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 4 荒野のハリガネ虫 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 13-14 星の博士 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 8 押入れの女 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 3 侏儒の家 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 25 太陽とダリヤ 短編 ヒヤパカ 1989年 漫画スカット 19 のうしんぼう 短編 ヒヤパカ 1989年 ガロ 1988年12月号 カリ・ユガ オムニバス 全7話 混沌大陸パンゲア 1993年 グランドチャンピオン 1992年1~7号 脳梅三代 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1992年7月号 むしゃむしゃむソーセージ 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊HEN 1991年5月号 工員 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1993年2月号 さるのあな 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊HEN 1990年8月号 走れタキシェ 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 漫画スカット 1990年1月号 花嫁の花園 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 漫画スカット 1990年2月号 壁 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊HEN 1991年12月号 Closed Magic Circle 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊HEN 1991年11月号 SCHIZOID-ZONE 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1992年10月号 水産 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1993年5月号 火星法経会 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1993年6月号 ラヤニール 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1992年8月号 パンゲア 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1993年1月号 ムルガン 短編 混沌大陸パンゲア 1993年 月刊FRANK 1992年9月号 どぶさらい劇場 長編 どぶさらい劇場 1994年 コミックスコラ ウオの目君 長編 ウオの目君 1994年 リイドコミック 1990年~1996年 たん壺劇場 オムニバス 全25話 夢の島で逢いましょう 2000年 マガジン・バン 1997年~1999年 そせじ 描き下ろし そせじ 2014年 Kindle 2014年~ 「山野一」の主な単行本未収録作品 [ ] この表では、「山野一」の名義で発表された漫画作品のうち、現在まで単行本に収録されなかった作品を示している。 作品の順番は、作品が最初に発表された雑誌の初出順に従っている。 作品名 形態 初出 ハピネスインビニール 短編 ガロ 1983年12月号 フルジョアジーの秘密 短編 ガロ 1984年1月号 アルバイト 短編 ガロ 1984年7月号? 不明 イヴ 掲載年月日不明(アリス出版) ララ物質の秘密 中編 ガロ 1985年5月号~6月号 猟奇事件簿その1 タイトル不明 短編 SMファン 1986年6月号 猟奇事件簿その2 タイトル不明 短編 SMファン 1986年7月号 ブリの話 短編 ガロ 1986年8月号 猟奇事件簿その3 タイトル不明 短編 SMファン 1986年8月号 猟奇事件簿その4 タイトル不明 短編 SMファン 1986年9月号 睡蓮 短編 ガロ 1986年9月号 猟奇事件簿その5 タイトル不明 短編 SMファン 1986年10月号 猟奇事件簿その6 タイトル不明 短編 SMファン 1986年11月号 きよしちゃんのおつかい 短編 ガロ 1986年11月号 猟奇事件簿その7 タイトル不明 短編 SMファン 1986年12月号 出前物語 短編 ガロ 1986年12月号 猟奇事件簿その8 ホワイト・ライプ・ピーチ 短編 SMファン 1987年1月号 猟奇事件簿その9 梅の咲く花 短編 SMファン 1987年2月号 猟奇事件簿その10 タイトル不明 短編 SMファン 1987年3月号 短編 ハイパーカルトコミック カリスマ No. 1 (1987年3月 青山正明編 大正屋出版) アパートの魔神 短編 SMセレクト 1987年3月号 猟奇事件簿その11 タイトル不明 短編 SMファン 1987年4月号 きよしちゃんの剣道一直線 短編 ガロ 1987年4月号 猟奇事件簿その12 淫らな復讐鬼 短編 SMファン 1987年5月号 猟奇事件簿その13 招かれざる客 短編 SMファン 1987年6月号 猟奇事件簿その14 新宿サイケデリア 短編 SMファン 1987年7月号 猟奇事件簿その15 路地裏の天国 短編 SMファン 1987年8月号 猟奇事件簿その16 地獄に堕ちた女子大生 短編 SMファン 1987年9月号? 短編 阿修羅 創刊号 (1987年9月 青山正明編 大正屋出版) 猟奇事件簿その17 なめ屋の習性 短編 SMファン 1987年10月号 猟奇事件簿その18 戦災母子受難 短編 SMファン 1987年11月号 エディプスの天女 長編 SMセレクト 1987年12月号 1988年2・6・10・12月号 1989年3月号(他多数) 夢魔 短編 SMセレクト 1988年8月号 マイホームでナーイス 短編 漫画スカット 1988年8月号~9月号 隷女陳列棚 短編 SMセレクト 1989年4月増刊 調教塾 ヘメンテリアM 短編 エキセントリック Vol. 6 (青山正明編 1990年8月1日発行) 豚の王国 短編 月刊HEN 1990年9月号 女子校青スジ物語 短編 コミックGiga 1990年9月25日号 黄金の誕生日 短編 月刊HEN 1991年1月号? 短編 月刊HEN 1991年2月号 女中の鏡 短編 月刊HEN 1991年6月号 暑い夏 短編 ガロ 1991年9月号? 不明 漫画パチンカー 掲載年月日不明? 短編 月刊FRANK 1992年4月号 短編 月刊HEN 1992年5月号 短編 月刊FRANK 1992年11月号 短編 月刊FRANK 1993年3月号 短編 月刊FRANK 1993年4月号 ガロ 1994年2月号(再録) 短編 月刊FRANK 1993年7月号 ガロ 1997年1月号(再録) 有 ニルヴァーナ電波塔 VOL. 1 愛があるからだいじょうぶ 短編 純情エンジェル 1994年11月号 VOL. 75 有 ニルヴァーナ電波塔 VOL. 2 あっちの世界 短編 純情エンジェル 1994年12月号 VOL. 76 有 ニルヴァーナ電波塔 VOL. 3 巨大少女 短編 純情エンジェル 1995年1月号 VOL. 77 有 ニルヴァーナ電波塔 VOL. 4 PSYCO-ANGEL 短編 純情エンジェル 1995年2月号 VOL. 78 有 ニルヴァーナ電波塔 VOL. 5 セーラートーホグR 短編 純情エンジェル 1995年3月号 VOL. 79 短編 純情エンジェル 1995年4月号 VOL. 作品の順番は、作品が最初に発表された雑誌の初出順に従っている。 - 僕の頭の中では、山野一氏と氏は、ゲス漫画家の双璧である。 この世の、永遠になくなることなき悲劇に照準を合わせ、日本の現実を踏まえたうえで徹底的にえぐっていく。 短編も好きだが、願わくば、もっとむごい大部の長編作を描いてもらいたいものである。 - や山野一の素晴らしいところは、の言う「常識の嘘」を徹底的に暴き出し木っ端微塵に粉砕してしまうところだ。 見ていて爽快な気分になる。 - 当時の山野一さんの作品は、貧乏人や愚かでどうしようもない人たちの業が渦巻く、ベタベタにリアルに描き込んだ世紀末の煩悩漫画だった。 「人とは、なんとどうしようもない存在なのだろう」ということを、これでもかと描き、諦めたような不条理な作風は、良識派からは評価されにくいタイプのもので、カルトな人気の高い作家だった。 そんな彼の漫画は、僕のような少数派を自認し、ルサンチマンを抱えた者には、独特の「癒し効果」のようなものがあった。 「ああ、やっぱりそうだよな……」山野一さんの漫画を読むと、いつもそうつぶやくのだった。 - だれもが知っている、しかし言葉にしたがらない本質、その上に描き出される残虐性と、運命のどうしようもない救われなさ。 人間が、同じ人間の姿で最も見たくないと思っているような下劣な部分をこの作者は容赦なく、描きあばく。 描いていて自分もイヤにならないだろうか。 どういう精神構造をしているのだろうか。 よほど、人間の悪趣味な部分に興味があるのだろう。 見るのがイヤだイヤだと思いながらも、しかしページをめくらざるを得ないという、マゾヒスティックな感覚を味わわせてくれる。 - イヤハヤ言語道断なマンガ家が出現したものだ。 その作品たるや気の弱い婦女子ならば一読三嘆、三日三晩はウナされること確実の、衛生博覧会と因果物の見世物との『』との『』の濃縮混合エキスの如き代物である。 このキモチワルサは、只単にフリークスやワケのわからない、、の類がワンサと画面にあふれているからだけではない。 キモチワルイ絵なら絵心さえあればサルだって描ける。 山野のキモチワルサは、そのキモチワルサが常に人間の肉体から発していると云う極めて生理的なキモチワルサなのだ。 彼の本領、即ち生理的肉体に対するこだわり。 つまり人間の肉体そのものの内在する気色悪さ、訳の判らなさ。 つまり、外見はさほどではなくとも皮一枚下に、ドロドログニャグニャのハラワタ、ミミズの如き血管、神経、さらにはサナダ虫、廻虫、ぎょう虫、包虫等々と云った考えるだにオゾケ立つキモチワルイモノを秘匿している肉体を持って生きるコトのキモチワルサ。 とにかくとんでもない想像力の持ち主の登場に拍手を贈ろうではないか。 - レトリックのうまさだけが評価され氾濫する世の中で、山野氏の作品はいかに最短距離で本質に到達するかという事に賭けている。 そして「自分が面白い」と思う感覚に忠実である事に微塵の揺らぎも無い。 処女短編集『』では混沌としていた作風が、第二作『』で確立され、第三作『』では「最短距離で本質に到達する」という抽象性における特質が見事に開花し、それは驚異的な完成度を持つ作品集に仕上がっている。 最新作『』は、その名の通りもう一度混沌とした世界に立ち返っている様にも見受けられ、それは山野氏が作家として螺旋状に進化していく一過程の様で興味深い。 異色の作品を創り出す氏だが、作家としての進化は、非常にシンプルで正統な道を歩んでいるのかも知れない。 或る作風で驚異的完成度の域に到達した作家が、その後抽象性においてどんなひろがりを見せていくのか? 『パンゲア』は、その可能性を暗示する過渡期の作品集であり、それ自体の作品としての面白さと同時に、作家山野一の今後をゾクゾクする程期待させる物になっている。 ブラフばかりで構築された世界。 そしてブラフばかりで構築された人々の世界観。 自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。 山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。 参考文献 [ ]• 山野一 『四丁目の夕日』 青林堂、1986年、173頁。 山野一 『ヒヤパカ』 青林堂、1989年、176頁。 山野一 『混沌大陸パンゲア』 青林堂、1993年、224頁。 吉永嘉明 『自殺されちゃった僕』 2004年 飛鳥新社• 幻冬舎アウトロー文庫 2008年• ねこぢる蒐集支援ホームページ『月に吠える』ねこぢる作品リスト-1990~2004-• 『TALKING LOFT3世』VOL. 2 1999年11月 ロフトブックス• にで行われた、、、による追悼トークライブを収録。 2013年2月20日閲覧。 インタビュー [ ] 山野一名義 [ ]• 『』1992年6月号()ねこぢるインタビュー「」• 『月刊漫画ガロ』1992年10月号「特集/特殊漫画博覧会」(青林堂)「『特殊草加漫画学会』旗揚記念座談会 目指すは特殊漫画千年後の王国」(・・・との座談会)• 『月刊漫画ガロ』1994年2月号(青林堂)「」• 『』第2巻 吉永嘉明「」(1996年 )• 『』2006年5月号()「」• 『DVD BURST』2005年2月号()「」• (2014年)• 『』2018年4月号()「」 ねこぢるy名義 [ ]• 『』2000年夏季号「」()• 『月刊漫画ガロ』2000年6月号(青林堂)• 『月刊漫画ガロ』2001年1月号(青林堂)• 『月刊漫画ガロ』2001年6月号(青林堂)• 『トーキングヘッズ叢書』No. 『ガロ曼荼羅』1991年 TBSブリタニカ 176頁「ガロ編集部」• 『月刊漫画ガロ』1993年6月号(青林堂)山野一「」• ねこぢる 『ねこぢるせんべい』集英社 1998年 136頁-137頁「 - (2019年2月28日アーカイブ分)」(夫・漫画家 山野一)• ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』文藝春秋 1998年 112頁-113頁「あとがき」(漫画家 山野一)• 山野一「読者のみなさんへ」『月刊コミックビンゴ』第3巻第9号、文藝春秋、1998年7月1日、 195頁。 山野一『四丁目の夕日』扶桑社文庫 Kindle版あとがき「四丁目の頃」 展示 [ ] 個展 [ ]• 2010. 5-10. 9 『ねこぢるyの世界2010』 渋谷ポスターハリスギャラリー• 2011. 4-3. 13 ねこぢるy個展 『湾曲した記憶』 渋谷ポスターハリスギャラリー• 2011. 17-9. 26 山野一とねこぢるy個展 『失地への帰還』 渋谷ポスターハリスギャラリー• 2013. 1-11. 2015. 20-9. 2016. 7-8. 30 ねこぢる・ねこぢるy・山野一作品展 『ねこぢるのなつやすみ』 不思議博物館分室サナトリウム 福岡天神• 2017. 19-2. 2018. 23-4. たとえば、劣悪な居住空間にイラついてる貧乏な一家が穴掘ってって広々とした下水道に住む話とか。 例を挙げていったらキリがないですけど、どうしていつもリアリティがあるくせに突飛なアイデアを思いつくんでしょう。 山野 それはわかんないですね。 山野 それはないですね。 ただ、とことん抑圧されている人たちの姿を想像すれば……。 —吉永嘉明「」 『』第2巻 1996年 188頁。 このような作品の例として、『』(1989年 青林堂)の一部の作品と、『』(1993年 青林堂)に収録されている作品「カリ・ユガ」がある。 このような作品の例として、『』(1985年 青林堂)の一部の作品と、『』(1993年 青林堂)に収録されている「壁」「Closed Magic Circle」「SCHIZOID-ZONE」などがある。 『月刊漫画ガロ』1990年6月号に「」という題の短編が掲載されている。 この作品は、の「デビュー作」とされている。 文藝春秋版の『ねこぢるうどん1』の初版が発行された日付が1998年12月25日であることによる(ねこぢる『ねこぢるうどん1』文藝春秋 1998年 150頁)。 このように二人の作品に共通して現れる物の例として、装飾付きの大型トラックがある。 それらのトラックの車体は、「はぐれ豚」または「一匹豚」と書かれた看板で飾られている。 山野作品での「はぐれ豚」の例は、山野一『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)56頁参照。 ねこぢる作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)25頁参照。 ねこぢる作品での「一匹豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるうどん3』(文藝春秋 1999年)36-37頁参照。 この漫画単行本(1989年版)は、表紙に「貧困魔境伝 ヒヤパカ」と記されているが、実際には『ヒヤパカ』という名称で登録されている。 が法的に許された世界という設定で描かれた風刺漫画であったが、2000年に再発された改訂版では削除されている。 『ヒヤパカ』(1989年)の初出一覧では、雑誌「漫画スカット」に関しては番号が記されているのみで、作品が掲載された時期は明示されていない。 単行本では、この作品の題名「むしゃむしゃむソーセージ」の三つめの「む」(「ソ」の直前)は、「ゃ」と同じ大きさの小さい字体で表記されている。 出典 [ ]• ねこぢる 『ねこぢるせんべい』 集英社、1998年、137頁、「夫・漫画家 山野一」による「あとがき」• ねこぢる蒐集支援ホームページ『月に吠える』ねこぢる作品リスト-1991~2004-• 『危ない1号』第2巻、182頁。 『』1992年6月号、29頁。 『危ない1号』第2巻、183頁。 『危ない1号』第2巻、184頁。 『危ない1号』第2巻、189頁。 2018年11月3日• 『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』( )• 2013年2月20日閲覧。 『月刊漫画ガロ』1992年10月号「特殊漫画博覧会」18頁• 『漫画嫌い』刊より。 『』版ならびに文庫版「解説」()参照。 『』2000年夏季号 ねこぢるyインタビュー「」。 ねこぢる 『ぢるぢる日記』 二見書房、1998年、75頁。 2016年5月28日• 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」69頁。 『TALKING LOFT3世』VOL. 2 1999年11月 ロフトブックス• 山野一 『ヒヤパカ』 青林堂、1989年、176頁、初出一覧。 『』1998年1月号「」• 『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「出会い」より。 「バッド・テイスト・コミック30」『』1995年4月臨時増刊号「総特集・悪趣味大全」• 『』1985年5月号、「本に唾をかけろ! 」(連載第32回)74頁より。 外部リンク [ ]• 1yamano -• この項目は、・に関連した です。

次の

山野一

ねこぢる 旦那

Yahooニュースを見てたら、 渋谷で「ねこぢるy」の展示をしているという項目があったので、 平日に行ってみることにする。 ねこぢるとは: バブル期のガロでブームになった、グロくて皮肉たっぷりの 猫の漫画。 作者の「ねこぢる」という女性は、人気絶頂の時に自殺した。 今は彼女の旦那さん もともと漫画家 が「ねこぢるy」という名義で作品を描き続けてる かなり怪しげな立地のギャラリーで、 入ってる建物自体から、 アングラな感じがぷんぷんする。 なんか妙にワクワクする ネットでニュースになってるくらいだから、 そこそこ混んでるかと思いきや、 私以外に誰もいなかった。 しかしまあ、そのおかげでじっくりと作品を見る事ができた。 新作の切り紙と、新作の漫画の原稿。 あとは、ねこぢる本人のイラスト原画が二点。 隅っこにあったけど、私にはこれが興味深かった。 小学五年生の時、無性にこのねこの漫画が読みたくて、 大人向けコーナーにある、少々お高めな雑誌を、地元の商店街で購入。 当時、たしかガウディというタイトルだった。 待ちきれずに家路の途中で、 袋を開けて中の漫画を読んだ。 衝撃のエログロ。 大人になった今は大丈夫だけど、 当時はそんな漫画読んだことないから、 あまりのショックに家の近くの空き地に放り投げて、 ダッシュで帰った。 その事を告げると、 「あら、勿体無い。 お母さん読んだのに。 」と言うてたうちの母...。 で、トラウマになりもう一切単行本を買う事もなかったのだが、 社会人になって数年した頃、 務めていたぬいぐるみ会社の社長が、 紙袋いっぱいにねこぢるの漫画を詰めて持って来て、 「学生の頃好きで全部持ってたけど、 今もうこのセンスは読めなかった... いるならあげる」 「もらいます」とやりとりして全巻もらった。 そのときやっとねこぢるの漫画を読む事ができた訳である。 私は大抵の漫画家に対してそうなんだけど、 初期の作品の方が好き。 後半は読者の空気読むのか、絵も内容もこなれた感じになるけど、 初期は「ウケなくても、自分が描こうと思った物を描いている」感じがする。 また、ねこぢると私は同じ形のスピーカーを持っている。 エッセイの中で描いていたので知ってる 好きな形が似てるんじゃないかなあ。 で、ねこぢるyの展示の話に戻ると、 漫画の原稿はエグかった。 旦那さんの仕事は、緻密で細かい。 二枚あるねこぢるのイラスト原画は、 一枚が夏の海。 あまりにポジティブなイメージなので 「これ本人全然こんなの描きたくなかったんじゃないかなあ」と予想。 もう一枚はにゃーことにゃったの姉弟が座ってる絵なんだけど、 手の先っちょの部分を修正した跡があった。 その形状修正の意味が「分かるなあ」と思ったので、 彼女と形の感覚が似てる気がした。 生きてたら奈良美智好きだったんじゃないかと思う。 他に印象に残ったのは、 ギャラリーのアングラ感とは対照的に、 そこのお姉さんが児童向け絵本でも売ってそうな柔らかい物腰だった事。 「こう見えてエログロ的な物が好きなのだろうか... いやそもそも分かっててここにいるのかなあ」とかいろいろ考えてしまい、彼女に勧められたブックカバーを いらんのについつい買っちゃったよ...。 帰り道、今回の展示、というかねこぢるの旦那が意思を引き継いで 彼女のの漫画を続けている事を彼女があの世で知ったらどう思うかなあと考えた。 「やめりゃいいのに」と苦笑しながら、まあまあ嬉しいのかなあと思う。

次の

ねこぢる草 DVDのみ(本は付きません)たま様専用の通販 by さくら大根's shop|ラクマ

ねこぢる 旦那

概要 [ ] 「ねこぢる」はや、、、などを題材にした的な作風を得意とする・の妻であった女性のであり、彼女と山野の二人から成る漫画制作のでもあった。 それまでエキセントリックな『』『』『』や長編怪作『』『』の作者としてカルト的な人気を得ていたの山野一はある日、妻の描いたに「尋常ではない何か」を感じとり、その落書きをもとに妻と『』という短編を共同制作する。 この漫画を山野がの『』に持ち込んだことで「ねこぢる」は世に出ることになった。 ねこぢるの活動期間はからまでのわずか8年間であったが、その特異な作風は「」の枠を大きく飛び越えて当時のからまで幅広い支持を集めた。 没後もやなどのが行われており、現在に至るまでファンを増やし続けている。 ねこぢる名義の発表作品はすべて山野とねこぢるの共作であるが、作品ごとの役割分担ははっきりしていない。 経歴 [ ] 生い立ち [ ] (現:)出身。 を営む裕福な家庭に生まれ、の東鳩ヶ谷団地の近所で育つ。 最初に覚えた言葉は「」で誰に対しても「ばか」と言っていたという。 学歴は不詳だがの証言によれば地元の美容専門学校に通っており、学生時代は(の伝説的な「」「」で活躍していた)のをしていたという。 また当時購読していた発行の漫画雑誌『』を通して、、、などの作家に傾倒。 特にの作品集『』(青林堂)に感銘を受ける。 ねこぢるは知人の知人を通して山野と接触し 、のような形で18歳の時にとする。 結婚後は山野のセミアシスタントとしてなどの単純作業を手伝うが、漫画家になるつもりは全くなかったという。 漫画家デビュー [ ] ある日、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に「奇妙なタコのようなネコの絵」を描いて遊んでいた所、彼女の絵を見たが「言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力」 を感じ、その絵をモチーフにした原作を山野が作り、ねこぢるが絵を描いて一本の漫画を創作する。 なお、夫妻とも漫画家としての訓練は一切受けておらず、絵に関しては完全に独学であるという。 この原稿を山野がに持ち込んだところ 、ガロ編集部の(の実妹、のちに担当編集者)や(のちに『』副編集長)から好評を得て『』6月号より『 』の連載を開始する。 この連作の元にもなったデビュー作は、子猫がうどん屋でされて死ぬというだけの内容である。 このデビュー作から夫の山野は「作・山野一 画・ねこぢるし」 の共同名義でクレジットされるようになり、唯一無二の「共同創作者」としての役割を務めることになった。 二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモをもとに山野がストーリーをにして書き起こし「読める漫画」にまで再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「通訳」と述べている)。 これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした支離滅裂で不条理な展開やドラッグ中毒のようにな描写が特徴的である。 には『』6月号でが組まれ、、、、、、、、、、らが批評文を寄稿した。 ~、のをと放浪し、場末のレストランにあったテレビでを知る。 このインド体験は『』として漫画化されており、自殺する直前のにから単行本が出版されている。 なお、夫の山野は事件が発覚する数年前にの栄枯盛衰を描いた『』というを連載していたほか、夫妻ともにに対する造詣が深く、を信奉するは夫妻に強烈な印象を残すことになった。 ブーム到来 [ ] 後半になると、当時流行していたの流れで「ねこぢるブーム」が起こる。 以後、『』『』『』『』『』『』『』『』『』まで漫画雑誌の枠を超えて数多くの媒体で多岐に渡り作品を発表、の宣伝キャラクターまで仕事の幅は非常に幅広かった。 またな絵柄とな作風のギャップからねこぢるの作品は『ガロ』以外の一般読者にも注目されるようになり、若年層や女子中高生の支持も集めたとされている。 とねこぢるは仕事なら何でも引き受ける方針だった為 、ブームによって増えた仕事の依頼を断ることが出来ず、作品の量産とを二人は強いられた。 ねこぢるは次第にになり、 を起こしたり、自殺未遂を繰り返すなど奇行が目立つようになる。 何度も「死は別に怖くない」と周囲に述べ 、編集者にも「死のうと思ったことありますか?」と尋ねたこともあったという。 晩年 [ ] 、原稿依頼をした女性編集者に電話で2時間に渡り「自分はもう好きなものしか描きたくない。 お金になるとかじゃなく描きたいものだけを描いていきたい」 「仕事依頼が殺到して自分の方向性や資質と違うことばかりやらされていて本当につらい。 いきなり仕事量が増えて体力が消耗しきっているので、もうこれ以上何も考えられないし、何もできない」 と現状の不満を打ち明ける。 翌にはの担当編集者に「漫画を描くのは疲れた。 もう漫画家をやめて旦那と一緒にに行って暮らしたい」と電話口で漏らしていた。 午後3時18分、の自宅マンションのトイレにてドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態になっているのを夫のによって発見される。 31歳没。 遺体は発見が遅れてが始まっていたという。 1998年5月10日以降 [ ] 詳細は「」を参照 その後もは「 」のペンネームで、ねこぢるワールドを引き継いで創作を続けている。 ねこぢるの死後制作された『』は、『』の各編のシチュエーションをモチーフにした幻想的な作品に仕上がっている。 人物 [ ] ねこぢる自身は素顔や詳細なプロフィールをほとんど公表しておらず、『』1992年6月号のに掲載された彼女の写真のみが一般に素顔を見せた唯一の例である。 容姿・性格 [ ] 夫のは彼女の人物像について「身長153センチ、体重37キロ、童顔…。 18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。 それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…」「生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。 彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした」と寄稿した追悼文の中で述べている。 嫌いなものは嫌い [ ] 交友のあった『』編集者のによると、ねこぢるは基本的に殆どの人間や対象にまるで関心がなく、それらに対する口癖も「つまんない」「嫌い」「相性が悪い」「興味がない」「関心がない」「波長が合わない」など嘘がつけない体質だけに極めてストレートなものだったという。 またそれを素直に口にしてしまう正直者」と評している。 また好意を抱いた人物には「」とも言える行動に出ることもあり、夫・と結婚した経緯も、ねこぢるが山野の住むアパートにまで押し掛けて、そのまま上がり込んでしまったからだという。 吉永いわく山野はねこぢるの「お母さん」のような存在でもあり 、彼女の自殺についても「あそこまで生きたのも山野さんがいたからだとも思う」と語っている。 とねこぢるの関係性について当時『』の編集長を務めていたも「仲が良く、波長が合っている二人」「お互いに心を許せるパートナーと思いました」と語っており、雨の日に喫茶店で待ち合わせした時も、夫妻は相合い傘をしてやってきて、帰りも一つの傘で一緒に帰って行ったと回想している。 自閉的な性格 [ ] の証言によれば、ねこぢるはでに通院しており、出会った頃には既に自閉的な性格が完全に確立していたという。 吉永は彼女の自閉について「精神的に孤立して自分の内面にこもる傾向が育まれたのかもしれない」と推察している。 また『』の担当編集者であった元・現のの証言でも、ねこぢるは殆ど外出せず、喫茶店も嫌いで、お世辞や社交辞令にも敏感に反応してしまい、世間との付き合いは苦手だったという。 その一方で高市のでのがにした時には、高市が山田のをするのでないかと心配して「何でも相談するんだよ」と親身に話を聞いてくれたと述べている。 また「心を見抜かれそう」と緊張していた高市に対して「大丈夫、緊張しないで」と声をかける一面もあったという 乏しい食欲 [ ] ねこぢるにはが存在しなかったようで、彼女については「最期のほうは生きる欲望も薄れていった」とも述べている。 またやに関しても「血の味がするから」と全く食べず 、友人の(元編集者。 に)が勧めたも一口食べて勢いよく吐き出したという。 これに関して生前ねこぢるは「って豚の死体だよね」という感想を夫のに述べており 、漫画の中でもはとして罵られ殺され食べられる程度の存在にしか描かれていない。 強い責任感 [ ] ねこぢるの死後、『』(/)3号で「蘇るねこぢるワールド」という特集が組まれ、ねこぢるに接触した17人の編集者のインタビューが掲載された。 この中で『』編集者の小田倉智は、ねこぢるが自殺する直前に過労で入院していたことを明かしている。 また彼女について担当編集者らは「原稿の締め切りをキッチリと守る人だった。 月に数十本の原稿を抱えながら、締め切りを守るのは至難の業、それをやり遂げたねこぢるはムチャクチャ責任感のある人」「自分の漫画を読んでいる有名人をそれとなくチェックして帯の推薦文の人選を考えたり、10代の子が自分の本をおこづかいで買えるように、価格を下げるように交渉したり、単行本を作る過程でいろいろ知恵を絞っていた」と証言している。 この特集を企画した編集者はこれらの証言を踏まえて「『自分の人気は一時的なもので、すぐ売れなくなる』と、自分の人気に甘んじない冷静さがあったので、彼女は来る仕事を拒まず、なおさら人気漫画家となったのでは」と推察していた。 不規則な生活 [ ] ねこぢるは売れっ子になる前から3日間起き続け、その後丸1日寝るという()に逆らった不規則な生活を送っていた。 その様子は自殺の二日前に描いた遺稿『ガラス窓』でも見ることが出来る。 作風 [ ]• ねこぢる作品の多くは、子供特有の残酷さを持った無邪気な子猫の姉弟「にゃーこ」と「にゃっ太」を主人公とする一話完結型のである(自身を主人公とした『』や『ぢるぢる日記』などのエッセイ漫画でも、作者のねこぢるが猫の姿で描かれている)。 唯一の例外として、短編『つなみ』はヒトが主人公である。 猫の「にゃーこ」と「にゃっ太」を主人公とした連作『 』(画・ねこぢる/作・)は評価が高い。 にゃーことにゃっ太は子供であり、の母と、工場勤務での父を持つ。 にゃーこは喋れるが、にゃっ太は猫の鳴き声でしか喋れないという設定である。 しかし、唯一の例外として初登場回である『かぶとむしの巻』では、にゃっ太が普通に喋る姿が見られる。 ・のはエッセイ『インドぢる』において、このキャラクターの出生について言及している。 それによると、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に落書きをしていた時に、書いていたイラストが「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型になっているとのこと。 また山野はにも通じるねこぢるの独特な絵柄について「初期のさんの、何も考えないで描く人間の顔なんかも、当の蛭子さんが無自覚な狂気みたいなものまで、見る者に伝えたりするのと似たようなもの」を感じていたと述べている。 作品中には猫の他にも動物の姿をしたキャラクターが多く登場するが話の舞台は人間世界であることが多く、現実社会におけるタブーや底辺社会を描写したブラックな作品も多い。 また作品中にはやといった違法な薬物もたびたび登場する。 山野によれば、漫画にどうしても反映せざるを得ない人や物を目撃する機会が多く、傍観するような視界の中にそういう人がよく登場するとインタビューで答えている。 また奇妙な人物との遭遇体験は『』などの創作漫画にも強く反映されている。 山野曰く、ねこぢるには「変な人に遭遇する不思議な力」があり、人混みで明らかに怪しい男が遠くから真っ直ぐねこぢるに向かって歩いてきて「おれ、頭ばかなんだ」と言ってねこぢるの腕に掴みかかったというエピソードも存在する。 『3』()に収録された「夢のメモ」からもわかるようにねこぢる自身の夢の中の体験を基にした奇想天外な内容の作品も多数存在する。 一方でねこぢるはエッセイ作品においても「 路上でうんこをしている人を見た」 「 深夜目覚めると知らないおばさんが笑って見下ろしていた」 「 逆L字形をした物体が光りながら移動していた」 といった不可思議な体験を数多く描き残しており、生前のインタビューでも「そういえば夢が外に出てきちゃった時がありました。 夜中に犬にかまれて手を振り払ったら、犬が布団の上にいて、すぐに泡のように消えていっちゃった」と述べたことがある。 これに関しては「 彼女は夢と現実があやふやに混じり合ったような、分裂的な思考回路を持っていた。 たぶん本人の目には見えているのだろう」と語っている。 漫画単行本 [ ] (ねこぢるy)による『おばけアパート前編』()以外の単行本は現在すべてである(ただし没後20年目の10月に全作品を収録した『ねこぢる大全』上下巻がの形で・・にて復刊された)。 また一部の作品はでされている。 「ねこぢる」名義 [ ]• (青林堂 1992~1995 全2巻/文藝春秋 1998~1999 全3巻)• ぢるぢる旅行記・総集編 (青林堂 2001)• (青林堂 2000-2002)全3巻• インドぢる (文春ネスコ 2003)• おばけアパート前編 (アトリエサード/書苑新社 2013) アニメーション [ ] ねこぢるの漫画は系の『』の1コーナーとしてに短編アニメ化されのちに『』というタイトルのビデオとDVDが発売された。 には『』(監督・)が製作されている。 これは『ねこぢる劇場』の続編ではなく全く無関係の作品である。 脚本・絵コンテ・演出・作画監督の4役にを迎え、ねこぢる本来の画風を生かしつつ、湯浅独自の世界観を融合させた幻想的な映像になっている。 同年のでは優秀賞を受賞した。 また『ねこぢる草』のタイトルでも発売されている。 山野一との創作上の関係 [ ] 夫妻と面識があったのは『』に寄稿したコラムの中で「は、ねこぢるのストーリー作り補助、ペン入れ下働き、貼り付け係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。 ちょっとイライラする。 いったい、彼女は誰なのだろう」と述べており、二人の「極めて微妙」な関係性に困惑していたという。 山野一との相互影響 [ ] によると、ねこぢるの最初の漫画は、ねこぢるがチラシの裏や画用紙などに描いていた「奇妙なタコのようなネコの絵」をモチーフとして、ねこぢるの夢のメモをもとに山野がストーリーを書くことから始まった。 そのため初期のねこぢる作品である『』ではがとしてクレジットされている。 二人には「極めて微妙」な役割分担があり、外部の人間をアシスタントとして入れることが出来なかったため、がねこぢるの「 唯一の共同創作者」であった。 また作品中にもねこぢる作品から着想された物が多数登場する。 前半の山野作品である『』や『』にも、ねこぢる作品のキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっ太」の絵が描かれている箇所が存在する。 二人の作品に共通して現れる物の例として、「はぐれ豚」または「一匹豚」と書かれた看板が飾られている装飾付きの大型トラックなどがある。 ねこぢるの漫画作品『』(/)では、ねこぢると「旦那」の二人によるやでの旅が描かれている。 また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「マンガ家」である「旦那」が登場している。 なおの作品にも、ねこぢるが部分的に関与しており、山野が後半に『』(、掲載年月日不明)に発表した短編『』では冒頭のクレジットに「CHARACTER DESINE C. NAKAYAMA」というねこぢるの本名の記載がある。 また『』号掲載の短編『』には、ねこぢるの本名と同じ「チヨミ」という少女が登場しており、に山野が『』というに発表した短編『』でも「チヨミ」に似た少女が登場している。 いずれの作品も子供的狂気とをメイン・テーマにしており、ねこぢる作品に近接した世界観となっている。 上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました」と打ち明けている。 また彼女の創作的な感性と可能性について「ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう」と評価している。 その後、山野はねこぢるの様式で描いた漫画作品を「 ねこぢるy」の名義で受け継ぎ、ねこぢるの創作様式を踏襲する一方で、コンピュータによる作画を全般的に採り入れた。 自殺 [ ] ねこぢるは生前より未遂経験があり、自殺の数年前に書かれたが存在する。 その遺書には「 生きていたことさえも忘れてほしい」 「 お墓はいらない」 「 死んだ動機については一切話さないこと」 と記されていたが、遺族の意向で墓が建てられている。 ただ、によれば墓石には名前が書かれておらず、がひとつ彫ってあるのみであるという。 夫のは自殺の真相について「故人の遺志により、その動機、いきさつについては一切お伝えすることができません。 James)の『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により、柩に納められたのは、彼女が持っていたAphex Twinのすべてのとでした」とコメントしている。 この某ミュージシャンとは、この数日前に他界したのギタリストである。 この事に関して山野は「(hideの曲に関して)彼女は多分一秒も聞いたことはない」と述べている。 評価・分析 [ ]• - にゃー子とにゃっ太の表情は微妙だ。 猫の口もとが「」なのも手伝ってはいるが。 そうか。 そうです、ぼくは『』の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。 でも姉弟仲いいよね。 - ゆかいにむじゃきに「ぶちゅう」と虫をふみしだいてゆく2匹の幼いねこ姉弟。 働くが黒こげの丸やきになって単々と死んでゆく、「ふーん」とみつめる2匹。 いやな感じ。 やだなぁ。 でも私はこの「やだなぁ」という感じは人間が生きてゆく上でとても大切なものだと思うし実は好きです。 - 幼児の持つ、な残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。 猫の姉弟の基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。 そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。 - 前後の懐かしい家や街、猫家族の世界を、突如、殺戮や狂気がスパッと切り裂く唐突さ。 物置の片隅にととが同居していた、子供の頃の記憶がリアルに蘇ってくる。 の無垢な残酷さにも通じるものだ。 - その目を初めて見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。 魅力は確かにあるのだが、その正体がよくわからない。 可愛いようで怖い。 単純なようでもあり計り知れなくもある。 原始人の、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいはやといったシンボリックな図形。 そういった要素が、描いた本人も無自覚なうちに備わっているのではなかろうか。 - 最初はとにかく、ばっと飛ばして見てた。 『』に載ってても、真面目に見たことなかったんですよ。 あれはただの漫画とばかり思っていたもんですから。 見るとこんな残酷で。 よくあれが受け容れられたと思いますよ。 だから、不思議でたまらない。 - ねこぢるがあれほどのポピュラリティーを獲得できた理由も毒に満ち満ちた内容と、アンバランスな丸っこい描線の可愛らしい絵柄。 ミスマッチとも言えそうだが、甘ったるい絵柄が毒をくるむ糖衣となったおかげで、ほど良く辛みを効かせることになったのだ。 これがではそうはいかない。 透明な、抽象度の高い絵で生々しさを抜いたからこそ、女子供にも愛されるねこぢるケータイストラップが作られたわけである。 - ねこぢるの創作する世界では、凡百のにありがちな説教めいた教訓などなく、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。 ところが、その一方で、主人公たる猫一家は、奇妙なところは多々あるとはいえ、とりあえず仲むつまじい家族である。 いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母。 こうした家族のあり方は、今の世にあっては、現実とは程遠いファンタジーと言えよう。 - ねこぢるは「おばさんになるぐらいなら死んだほうがいい」とよく話していた。 ひょっとしたら、生きることは、死ぬよりもつらいのではないか?と考えたこともある。 それでも生きていく中に、きっと、ささやかな喜びがある。 年を取ることを恐れないでほしいし、残された人のつらさも考えてほしい。 - 大抵、自殺は不幸なものだ。 だが、例外もある。 自殺した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。 ねこぢるの場合がそうだ。 死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。 そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。 年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。 ねこぢるは今そこにいる。 名義での諸作品を制作する過程で山野さんは別世界にいる、ねこぢると交感し、精神の安定を得ていたのではなかろうか。 『』が真の評価を受けるのはまだ先の事だろう。 何故ならこの作品はどこかへ向かうためのっていうんですか、その途上にあるから。 が、いずれにせよ辿り着く先はひとつだろう。 - なぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。 道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。 社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。 その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。 人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。 どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。 もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。 ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、を与えていたのだと思う。 生前彼女はの行者レベルまでできる、類いまれな才能を持っておりました。 お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。 今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、と同一化してることでしょう。 展示 [ ] 個展 [ ]• 2010. 5-10. 9 「ねこぢるyの世界2010」渋谷ポスターハリスギャラリー• 2011. 4-3. 13 ねこぢるy個展「湾曲した記憶」渋谷ポスターハリスギャラリー• 2011. 17-9. 26 山野一とねこぢるy個展「失地への帰還」渋谷ポスターハリスギャラリー• 2013. 1-11. 2015. 20-9. 2016. 7-8. 30 ねこぢる・ねこぢるy・山野一作品展「ねこぢるのなつやすみ」不思議博物館分室サナトリウム 福岡天神• 2017. 19-2. 2018. 23-4. 2018. 5-8. 28 ねこぢる・ねこぢるy・山野一作品展「ねこぢるの国」不思議博物館分室サナトリウム 福岡天神 関連人物 [ ] 影響を受けた人物 [ ]。 ねこぢるの共同創作者としてやを担当。 また彼女のとして渉外担当の役回りも務めていた。 ねこぢるがにをしていた。 の伝説的な「」の主要メンバー。 の「」のリーダー。 ねこぢるは特に『』という作品を気に入っていた。 ねこぢるが最も傾倒していたミュージシャン。 に流した音楽もエイフェックス・ツインの『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により柩に納められたのは、彼女が持っていたエイフェックス・ツインのすべてのとだった。 家族・親族 [ ] 山野一 ねこぢるの夫。 ねこぢるの漫画作品『』では、ねこぢると「旦那」の二人によるやでの旅が描かれている。 また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「マンガ家」である「旦那」が登場している。 ただれ彦 ねこぢるの弟で山野一の義弟。 「ただれ彦」は生前のねこぢるが即興で付けた綽名。 山野一の旅行記『インドぢる』では、ただれ彦との二人旅の様子が書かれている。 友人 [ ]。 夫妻ともに根本を尊敬しており 、特にねこぢるは根本作品を初単行本『花ひらく家族天国』()から愛読していたという。 また根本もねこぢるの「本物性」を彼女のデビュー前から感じていたらしく、自殺を受けて「」と題した追悼文を雑誌に寄稿した。 『』副編集長。 ねこぢるとはデビュー当初からプライベートで交友があり、夫妻とも非常に親密な関係があった。 著書に『』(/)がある。 巽早紀 元の編集者(当時の同僚にのがいる)。 ねこぢるとは夫のを通じて交友関係を持っていた。 編集者 [ ] 元『』担当編集者。 姉は漫画家の。 現・『』編集者。 元青林堂『ガロ』副編集長。 にで行われた追悼トークライブ「」に参加した。 加藤宏子 の担当編集者。 『PUTAO』に連載された『ぢるぢる見聞録』に担当のKさんとして登場する。 顔画工房 かつての「」に在籍していた縁で『』の編集を手伝う。 ちなみに『』第2巻収録のでは某出版社のバイト君として登場を果たしている。 現・社長(山野に付けられたあだ名は「泥棒社長」)。 に制作会社のを経営しており、当時青林堂の社長であったよりねこぢるの版権を譲り受け、ねこぢる作品の版やグッズの販売を行っていた。 ねこぢるの死後は青林堂の社長になり、故人の版権を数年間管理していたが、とは見解の相違により関係が悪化し絶縁状態となった(その後、『』のについて実際は販売元から支払われていたにも関わらず「 印税の支払いはない」という虚偽の報告を行い、山野に一銭たりとも支払わなかったことが判明する)。 また以降は漫画中心だったを中心の極右出版社に路線転換させたこともあり 、現在のについての弟子である・のは「 ガロの青林堂から社名買っただけの別会社」としている。 関連作品 [ ]• (青林堂)• (青林堂)• (青林堂)• (青林堂)• ねこぢる• (青林堂)• ねこぢる食堂()• ねこぢるだんご()• ねこぢるせんべい()• ねこぢるまんじゅう(文藝春秋)• デンキくん()• (青林堂)• インドぢる()• おばけアパート()• 自殺されちゃった僕() 参考文献 [ ]• 『』1992年6月号• 「 - 」• ねこぢるインタビュー「」• 『ガロ』1995年10月号 青林堂• 黒川創「 - (2019年2月28日アーカイブ分)」• 夫・漫画家 「 - (2019年2月28日アーカイブ分)」136-137頁• 『まんがアロハ! 山野一「 - (2019年2月28日アーカイブ分)」• 『』1998年7月号• 追悼特集「ねこぢるさん、さようなら」• 根本敬「」• 山野一「 - (2019年2月28日アーカイブ分)」• 『』第3号 1998年11月• 蘇るねこぢるワールド「ねこぢる担当者が語る ぢるぢる編集後記」(取材・構成/小野澄恵)• ねこぢる『ねこぢるだんご』 1997年(解説・)• ねこぢる『ぢるぢる日記』 1998年• ねこぢる『ねこぢるせんべい』 1998年• 『TALKING LOFT3世』VOL. 2 1999年11月• にで行われた、、、による追悼トークライブ「」を収録• 『消えたマンガ家 ダウナー系の巻』 2000年• 「ねこぢる曼荼羅を探して」(初出:太田出版刊『』Vol. 32)• 『』1996年4月22日号 朝日新聞社• 「ねこぢる『ねこぢるうどん』青林堂 担当編集者の高市真紀さん」• 『AERA』2001年11月19日号 朝日新聞社• 速水由紀子「」• 『自殺されちゃった僕』 2008年• ねこぢる『ねこぢる大全』文藝春秋 2008年• 『』1996年冬季号• ねこぢるインタビュー「」• 『文藝』2000年夏季号 河出書房新社(////他)• ねこぢるyインタビュー「」• 『インドぢる』 2003年• ねこぢる『ねこぢる大全 下』2008年• ねこぢる蒐集支援ホームページ『月に吠える』ねこぢる作品リスト-1990~2004-• 、、、、、、、、らによる論考• - 顔画工房のブログ 関連文献 [ ]• 『』1995年12月20日号• 『』第2巻 1996年4月発行 /• 『』1997年12月18日号• 「こだわりのコミック ネコの姉弟が考えた数々の遊びは現代の子どもを映しだす鏡である ねこぢる『ねこぢる食堂』白泉社」• 『』1998年1月号• 『』1998年1月号• 『』1998年5月28日号 p. 39「ドアノブで首吊り自殺した人気漫画家」• 『』1998年6月2日号 光文社 p. 47-48「忙しいOLのワイドショー講座 ねこぢるさん、hideと同じ方法で謎の自殺 熱狂的ファンにさよならも言わず」• 『』1998年6月5日号 p. 28「ねこぢるだけではない漫画家自殺 波南カンコ、山田花子も自殺したのは5月だった」• 『SPA! 』1998年6月10日号 扶桑社• 末広泰志「自殺したマンガ家の自分と現実を見つめる冷めた視線」• 『』1998年8月25日号 p. 275-276「98上半期事件簿 なぜ、そんなに死に急ぐのか?世紀末ニッポンに続出する『自殺』の裏側…。 hideの自殺、女子高生・少年の後追い自殺、ねこぢるの自殺」• 『』2000年6月号• ねこぢるyインタビュー「特集ねこぢる10周年」• 『ガロ』2001年1月号 青林堂• ねこぢるyインタビュー「特集ねこぢるy2001」• ねこぢる監督・インタビュー• 『ガロ』2001年6月号 青林堂• ねこぢるyインタビュー「特集ねこぢるy的アジアの旅」• 『』2004年4月号 新潮社 p. 106-114• 吉永嘉明「わが友ねこぢるの思い出と愛妻の自殺 人気漫画家の自殺から5年、わが妻も自ら命をたった。 痛恨の手記」• 『』2005年2月号 p. 34-37• 『』2006年1月号 p. 46-47• 吉永嘉明「親友のねこぢる・仕事仲間の青山正明・そして最愛の妻に自殺された 悲しみの最中に書き上げた『自殺されちゃった僕』。 『自殺されちゃった僕』のその後」• 『実話GON! ナックルズ』2006年5月号 ミリオン出版 p. 111• 『』2006年11月号 創出版 p. 138-143• 『』2012年12月号 サイゾー p. 42-43• またねこぢるは『』1996年冬季号のインタビューで改名の経緯について「最初『ねこぢるし』だったんですけど、自分も『ねこぢる』『ねこぢる』と言っているから、そのほうが覚えやすいし、言いやすいし、インパクトが残るかなと思って」と語っている。 また原作担当のも『文藝』2000年夏季号のインタビューで「はじめは『ねこぢるし』という名前でしたが『ねこぢる』のほうがいいと本人が言い出したのでそうしたと思います」と同様の証言をしている。 「ネパール編」はねこぢるの他界で未完となり、単行本化もされていなかったが、その後により刊行された「総集編」に収録された。 ねこぢるによるの宣伝キャラクター「デンキくん」はに公開された後、にも登場したが翌にねこぢるの自殺を受けて打ち切られた。 デンキくんはTVCM放送中銀座館で展示され、ねこぢるの自殺後も撤去されることなく展示されたが、TEPCO銀座館の大幅な改装リニューアル工事のためをもって展示終了となった。 本人の遺志で顔写真は原則非公開となっている。 なお、この作品は現在、ねこぢるyの公式サイト「ねこぢるライス」にて閲覧することができる。 ねこぢると親和性が高い本作はの作品展「」でも当時の原画が展示されている。 ねこぢるy()が2013年に発表した漫画単行本『おばけアパート前編』()では従来のアナログ作画を採用している。 ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)112-113頁「あとがき」によると、書かれた遺書は2年前(1996年)のものとは述べている。 出典 [ ]• 32)• 2 1999年11月 ロフトブックス• 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「ブーム到来」より。 『B級学マンガ編』(海拓舎)• ねこぢる『ねこぢる大全 下』(文藝春秋)寄稿・唐沢俊一「」369-370頁。 「警視庁町田署によると、ねこぢるさんの夫で漫画家の山野一(はじめ)さんが、今月10日午後3時18分、自宅マンションのトイレで首をつっているねこぢるさんを発見し、町田消防署に119番通報。 救急隊員が駆けつけたときには、既に死亡していた。 ねこぢるさんはトイレのドアノブにタオルのようなものを掛けて首をつっており、この日の午前中に亡くなったとみられている。 遺書はなく、自殺の理由は不明」『』1998年5月13日付記事より。 ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)114-115頁。 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「嫌いなものは嫌い」より。 『』1992年6月号「ほっかほっか家族天国」(根本敬)より。 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「殺すか、死ぬか」より。 このような作品の例として、『ねこぢるだんご』(1997年 朝日ソノラマ)に収録されている「かちく」などがある。 「3日起きてたり30時間寝てたり…世の中のリズムとはだいぶズレてしまった…ガラス窓の外はまるで異次元のよーだ…出勤途中のサラリーマン…あの人の目にはどんな風に映ってるのかなー…」ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)遺稿「ガラス窓」133頁。 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年10月号「特殊漫画博覧会」の中「特殊漫画家の特殊な才能」より。 青林堂『月刊漫画ガロ』1994年2月号「混沌大陸パンゲア刊行記念 山野一インタビュー」249頁。 これに関してねこぢるも『月刊漫画ガロ』1992年6月号や『文藝』1996年冬季号のインタビューにて「変な人」に遭遇する機会が多いことを述べている。 ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)67-69頁。 ねこぢる『ねこぢる食堂』(1997年 白泉社)「ぢるぢる恐怖体験」72頁。 ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)51頁。 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「コラボレーション」より。 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「天然アシッド」より。 文化庁メディア芸術祭. 文化庁. 2016年7月30日閲覧。 「」青林堂『月刊漫画ガロ』1995年10月号 103頁。 山野作品での「はぐれ豚」の例は、山野一『』(青林堂 1989年)56頁参照。 ねこぢる作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)25頁参照。 ねこぢる作品での「一匹豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるうどん3』(文藝春秋 1999年)36-37頁参照。 ねこぢるy作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢるy『おばけアパート前編』(アトリエサード 2013年)107頁参照。 『』1998年7月号 195頁「漫画家・山野一さんからの緊急メッセージ」• 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号 31頁 「」• 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号 32頁 「」• 『』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」• ねこぢる『ねこぢるだんご』(朝日ソノラマ 1997年)解説より。 斎藤利江子 2005年2月4日. ・朝刊: p. 文藝春秋『コミックビンゴ! 』1998年7月号 210頁• ねこぢる『ねこぢるせんべい』(集英社 1998年)136-137頁「夫・漫画家 山野一」による「あとがき」より。 特殊漫画家・根本敬の追悼コメント「」水道橋博士の悪童日記 1998年6月26日付• 2017年1月29日• ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)「ぢるぢる4コマ漫画」100-102頁。 YouTube• 林啓太 2015年1月10日. (朝刊、特報) : p. 2017年2月8日 外部リンク [ ]• 1yamano -• - (2000年10月18日アーカイブ分)• - Asahi-net この項目は、・に関連した です。

次の