象印 クイズ ヒント で ピント。 象印ニュースクイズ パンドラタイムス

昭和のクイズ番組ー象印クイズヒントでピント

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来歴・人物 [ ] 旧(現・)で生まれ、敗戦後はへ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす。 鹿児島県川内市(現・)で洋服店を経営していたが(当時は、まだ珍しい販売をしていた)、事業に失敗し。 その後、してデパートの紳士服売り場に勤めにのに師事。 のショーなどでのなどを務めた後、タレントとしてに進出しの司会やなどの仕事を中心に活躍。 特に系『』のレポーターとして一気に名を馳せた。 登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに添えて「 ……ハイッ! 」と叫ぶ決めポーズで一躍有名になる。 母親の仕草をモチーフにしたといわれている。 芸能界にデビューしてから永らく、「昭和16年()生まれ」と年齢をサバ読みしていた。 これはデビュー当時、事務所の意向で「昭和ヒト桁生まれでは若々しさがない」と言われたからである。 リポーターを務めた系『』の人気コーナー「 宮尾すすむのああ日本の社長」は、日本各地の会社の、すなわち(社長・などの経営者・創業者)に密着リポートする長寿シリーズとなった。 上記「ああ日本の社長」のセルフパロディコーナーである「 宮尾すすむの社長のお嬢さん」というコーナーを、からにかけて放送されたバラエティ番組『』()で担当した。 その他、俳優としてや、にも出演。 テレビ朝日系の『』の男性チーム解答者としても彼の存在を広く知られた。 夏、のだった妻が47歳で死去後、緊急入院。 退院後、正式に自らの生年をと公表。 長男でタレントの山口雅史は、実況ナビゲーターとして活動。 弟子としてお笑い・ものまねグループ「ルンルン・エクスプレス」がいたが、現在は活動していない。 「ルンルン・エクスプレス」には紅一点・あい京子(現在も [ ]としてソロ活動中)がいた。 で育ったこともあることから、「薩摩大使」に任命された。 晩年は病気続きだった。 に、には、にや肥大の手術を受けた。 5月には内でを運転中に意識を失い、前の車に追突、と診断された。 それ以来、表舞台から遠ざかり、やの検査を受けていたが、半ばにが見つかり、医師からは手の施しようがなく余命3ヶ月と宣告された。 そして同年、肺炎のため東京都内の病院で死去。 77歳没。 は「 馨光院誠徳進修居士」(けいこういんせいとくしんしゅうこじ)。 ・告別式は東京ので執り行われ、長男が喪主を務め、、、が弔辞を読んだ。 祭壇には1994年に死去した妻の遺影と位牌も並べられた。 くしくも告別式が行われた7月18日は妻の命日だった。 告別式には他に、、、、ら芸能・財界・スポーツ関係者やファンら250人が参列した。 に長男と共に鹿児島県人会の会合で司会を務めたのが生涯最後の仕事となった。 エピソード [ ]• 『〜ヒントでピント』などで共演したは時代『スターどっきり 秘 報告』で宮尾にどっきりではめられたこともあったと述懐している。 『〜ヒントでピント』などで共演したは、収録の合間に宮尾の決めポーズである「ハイッ! 」を何回も練習させられた、と振り返っている。 出演番組 [ ]• () - 「日本の社長」リポーター• (テレビ朝日)• (フジテレビ) - リポーター• () - 司会• (フジテレビ)- 司会• (テレビ朝日、(第54回) - (第510回)) - 2枠解答者• () - リポーター• () - パネラー• (テレビ朝日) - 総合司会• テレビ朝日• (フジテレビ) - 教頭役• 第26話「マイホームの夢が消えて解散!! 」(1986年、朝日放送) - 部長• () - GOB1「宮尾すすむの社長のお嬢さん」コーナー担当• (TBS)• (TBS)• (日本テレビ) - 司会• KTSあなたのかごしま() - 「宮尾すすむの大変身」司会• (テレビ朝日) - 「日本の社長」リポーター( - )• (テレビ朝日)• (NHK)• (テレビ東京) - 司会• (フジテレビ)• 「スペインロマンチック熟年旅行」(テレビ朝日) その他、「」()、「宮尾すすむの嫁さんきなせや」()、「宮尾すすむの出前カラオケ」()、「宮尾すすむの探検ショッピング」()など地方局のやなどの司会などでも活躍した。 CM [ ]• 「長崎ちゃんぽん」(年代不詳)• まるなか蒲鉾(ローカル、年代不詳)• サンコー食品(山形県ローカル、年代、種類不詳)• ROC流通卸センター(1978年)• サニーペット(1984年)• (1985年)• (同上)• (同上)• (1980年代後期〜1990年代)• 「メロディー」(1987年)• (1987年)(同系列の「」CMにも出演)• 「」(1989年)• ケイビー「冷凍食品」(1980年代)• トリクロ• (年代不詳。 同社のの司会を務めていた。 フォークランド(1991年)• 「こんぶのおしょうゆ」 1992年• ()- 生涯最後のCM• ロードスター(京都府および滋賀県ローカル、かつてあったカー用品店。 年代不詳) 著書 [ ]• 宴会を10倍楽しくする方法(、1982年)• 新あなたも社長になれる(、1984年)• 読んでくれるかな 妻への手紙(ワニブックス、1995年)• 関連項目 [ ]• 元々は、リーダーでキーボードのマス宮尾の名前にかけたもので、宮尾すすむ本人には無断で命名されていたインディーズのロックバンド。 のちに宮尾本人を訪れて詫びを入れて、メジャーデビューしている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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浅井慎平を神だと思っている。 浅井氏は写真家なんだけど、どうもこの番組のレギュラーの印象が強くて…。 ^^;• 16分割では解答ボタンを押すと同時に女性軍(特におっかさん)からよく「ああー」「やだー」とため息が出ていたな…• そして土居さんから「そうです、浅井さん!」• その前任者である小林亜星氏も鬼強かった。 特に16分割。 女性チームキャプテンといえば中島梓(栗本薫ではない)だ。 実際は山内美郷の方が長いが、それでも中島梓の印象は強い。 彼女のお陰で「梓」という漢字を覚えた。 「ヒント」という言葉もこの番組で覚えた。 by番組の全盛期に小学生だった人• 宮尾すすむを最後に見たのはこの番組だ。 もちろんあの手の動きはマスターしている。 おっかさんといえば小林千登勢だ。 ガッツ石松の回答「セックス!」は今でも記憶に残っている。 作曲家の故・中山大三郎氏がゲスト出演をしたときに16分割の最初のヒントで当てたのを知っている。 ゲストといえばキムタク&(レギュラー前の)ゆき姉による16分割3問ゲスト全回答も印象的。 この番組をいつも見る人は象印商品を一家に一台持っている。 MCの土居まさる氏の訃報を聞いたときはショックだった。 おっかさんの訃報にもショックだった。 マッハ文朱さんも然り、いずれもまだ亡くなるような年齢ではなかった。 マッハ文朱さんは現在もお元気です。 中島梓氏の逝去はグインサーガファンと同じくらいショックだ。 高田純次の早押し連打を忘れない• 大人になって、ある種のDVDを見ているとき、突然この番組を思い出してしまうことがある• モザイクがこの番組のために開発されたというのはある意味誇りである。 でも今はプライバシーや個人情報の関係で乱用しがち・・・。 ひらめきパスワードをパクリだと思う人も少なからずいる。 家族にがいると必ずチャンネルの奪い合いになった。 ひらめきパスワード」から転戦するのが王道。 クイズで問題を出す場合、「第N問」ではなく「出題、パートN」と言ってしまう。 「笑点」「サザエさん」と同じくテーマソングを聞くと「また明日から学校か・・・」などと憂鬱な気分になる。 太川陽介と言えば「」ではなく、この番組での「テクニカル王子」だ。

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概要 [ ] 司会は基本的にが務めていた。 後期からは「あなたの」を省略し、「テレビの前のあなたもご一緒にどうぞ。 」を付け足した。 この番組は、当時としては最新のコンピュータを使用した出題形式を採用。 一般常識問題よりも難問・珍問・奇問を中心とする映像クイズを出題していた。 問題内容もキャッチフレーズの通り、映像によって直感力を問われるものや、いわゆる『』のような問題がほとんどであった。 解答者はタレントやと呼ばれるタイプをメイン(特にキャプテン)に揃え、知的イメージを押し出していた。 当初はのロゴマークであったが、(第348回)からは象印のが導入され、司会者席のものは「ZOJIRUSHI」、解答者席のものは「ZO」に変更された。 エンディングでは視聴者プレゼントクイズを行い、「今日のオープニングクイズの顔は誰だったでしょう」と「今日の対戦は何対いくつで(男性軍・女性軍の)どちらが勝ったでしょう」を原則週替わりで出題していた。 プレゼントは象印製品のほか、番組末期には海外旅行もあった。 テーマ曲を担当したのは、『』()のオープニングテーマと『』()のオープニングテーマも手掛けたである。 なお、『クイズ面白ゼミナール』は1982年から裏番組となっていた。 1985年9月25日には、『』で『輝け! オールスター・秋の人気番組爆笑! クイズでヒントゲームでピント!! 』という本番組をベースとする番組対抗のスペシャル番組が放送された。 これに参加したのは『』(第1期)『』『』『』『』やアニメチーム(『』ほか)などである。 なお、本番組も『』(1979年秋 - 1987年春)や『』(1983年・1984年秋)などの番組対抗のスペシャル番組に参加しており、『ウルトラ料理大賞』では「16分割弁当」という弁当を作成した。 本番組は裏番組のNHKの『クイズ面白ゼミナール』やフジテレビの『』と視聴率で争っていた。 主な内容 [ ] エピソード [ ] 「誰の顔でしょうか」(オープニングクイズのイメージ) 男性レギュラー解答者の欠席については例として1980年代では4枠の沖田浩之の欠席時は(放送分 )が、1990年代に入ると、キャプテンの浅井慎平の欠席時には2代目の((第608回)、(第609回)、(第630回)放送分 )が、2枠の高田純次の欠席時は「ジュンジの代わりはジュンジが」とタレントの、(放送分 )らが、3枠の山下規介の欠席時はタレントの、元レギュラー解答者の、同じく元レギュラー解答者の、また当時の、高橋と同じプロ野球選手のらが、4枠の薬丸裕英の欠席時は当時のメンバーだったあるいは、更に同じのからは、、、らが、それぞれ代役を務めた事があった。 また、解答者が惜しい不正解だった時には、土居はよく言葉の語尾を上げながら応えていた。 ゲスト解答者には必ず参加賞として象印の賞品がプレゼントされていて、たとえ一問も答えなくてもお土産が貰えた。 特に番組初期(1979年3月 - 1980年9月)には個人戦が無かった為、この傾向が顕著であった。 番組前期(1980年10月)からは個人戦を導入し、ゲスト解答者同士の対決の場が設けられたため、終始無言という事態は解消された。 ゲストは、出題PART2の1対1の時以外は解答しない場合が多いが、(第630回)放送分で男性軍のゲストが当時の、女性軍のゲストがレギュラー前の兵藤ゆきの際、16分割問題で木村が1問目と2問目を正解(答えは「学生がイメージする」」と「」本人が自分の映画に出演する1シーン」)、兵藤が3問目を正解(答えは「日本各地の」)して、ゲストが16分割問題全3問を正解する珍しいパターンとなった。 また、男性軍のゲストがテクニカルや16分割で正解した場合、男性レギュラー陣がゲストのところに歩み寄って握手を交わし正解を讃えていた。 パート4のテクニカル問題で、女性軍への出題がなされる前、男性軍のメンバーは紙に印刷された正解を見ながらまったくデタラメの答えを言うのもお約束だった(特に宮尾と高田が多かった)。 ゲストの参加賞賞品は、男性軍と女性軍でそれぞれ男性向けと女性向けの象印製品が用意され、勝利した方がやや豪華な賞品であった。 しかし、ごく稀に引き分けとなったケースがあり、その際には男女ともに同じ賞品かほぼ同じ値段の商品が寄贈された。 (第511回)からシンキングタイムの音、ラッキークイズおよび正解時のチャイム、時間切れ・誤答時のブザー、問題解説の時の赤枠表示やテロップ、さらに分割画像の拡大・縮小などの効果音や画像などが変更されている。 また画面の得点表示のフォントがやや丸くなり、正解イラストはコントラストが以前より鮮明になった他、効果音も追加された。 番組の途中から「象印賞」到達時の勝利の場合は、それにチーム全員のイラストの上に「象印賞獲得!」と表記した画面に切り替え、スタジオの映像に変わる。 ちなみに当初は通常の勝利チームのBGMと共にゲストも含めて勝利チームのイラストになっていたが、途中で通常の勝利チームのBGMとは異なるBGMに変わり、イラストも司会の土居が勝利チームのレギュラー解答者を祝福する場面になった。 黒澤久雄は4分割で、1枚目が開く前に(つまりノーヒントで)正解した事がある。 そのときの答えは「みつばち」。 各問題前に土居が口頭でヒントをひとつ言う為、ノーヒント正解も不可能ではなかった。 番組終了時は、司会者席の後ろのモニターに「次回もお楽しみに!」と映し出されており、この番組の放送の途中から司会の土居と4人ずつの男女レギュラー解答者のイラストも一緒に出されるようになった。 また、エンディングのスタッフロールが流れているときに、当時2枠レギュラーだった宮尾が「…ハイッ!」を披露した。 この番組は魔法瓶メーカーの象印が一社提供しているため、同業他社であり象印のライバル企業でもあるに配慮して 、この番組では 名前に絡むそのもの、およびそれに関する問題(例・)は出題する事が絶対禁止で、象印・タイガー魔法瓶とともに関西に本拠地を置くに関する問題さえ作れなかったという。 例えば、(第647回)放送分に「プロ野球選手のニックネーム」という16分割問題が出題されているが、阪神の選手は出ないものの、当時存在した阪神以外の11球団全ての選手は出てきている。 逆に そのもの、およびそれに関する問題は出題することが可能だった。 のテレビには、勝負の結果を表す可能性がある書き方をしており(特に16分割問題)、主な例として、「宮尾(高田・薬丸・おっかさん)・16分割大ヒット」、「男性軍・自信満々の大逆転」、「男性軍・敗色濃厚からの大逆転」、「亜星(山藤)本日卒業・16分割総ナメ」、「来たぞ・来たぞ・マッハ」、「たかが1点・されど1点」、「惜しい・女性軍あと1点に涙」、「女性軍・海外旅行獲得に全員大号泣」等が挙げられている。 このような半ばとも取れるタイトルの書き方は、『』(毎日放送、1975年3月末まではテレビ朝日系列の前身のNET系列で放送)や『』()でも散見されている。 記念回 [ ] 月日 記念事 男性ゲスト 女性ゲスト 備考 1979年3月4日 第1回 志賀勝 佐良直美 1980年3月2日 第49回 1周年 1980年3月9日 第50回 1981年3月1日 99回 2周年 1981年3月8日 100回 1982年3月7日 148回 3周年 1982年3月21日 150回 1983年3月6日 196回 4周年 1983年4月3日 200回 視聴者が解答者として出演(レギュラー解答者の横に座り、8対8で行われた) 1984年3月4日 243回 5周年 1984年4月29日 250回 1985年3月3日 290回 6周年 1985年5月26日 300回 1986年3月2日 333回 7周年 1986年7月20日 350回 1987年3月1日 378回 8周年 1987年7月12日 400回 「400回記念特集 視聴者参加カップル大会」。 「レギュラー解答者と視聴者」の4組ずつのペアを組んでの対抗戦が行われた。 この時のオープニングクイズの顔当ては「渡辺徹と榊原郁恵」(正解者は宮尾すすむ)。 1988年3月6日 431回 9周年 1988年8月7日 450回 1989年3月5日 474回 10周年 1989年10月15日 500回 佐藤陽子 中島梓 楠田枝里子 シェリー 山藤章二 黒澤久雄 おりも政夫 太川陽介 「500回記念特集 OBカップル大会」。 4組ずつのペアを組んでの対抗戦が行われた。 この時のオープニングクイズの顔当ては「ヴィヴィアン・リー」(正解者は小林千登勢(おっかさん))。 1990年3月4日 517回 11周年 1990年12月9日 550回 1991年3月3日 561回 12周年 1992年1月26日 600回 山藤章二 中島梓 この回は通常のルールで行われた。 1992年3月1日 605回 13周年 1993年3月7日 646回 14周年 1993年4月18日 650回 1994年3月6日 686回 15周年 1994年7月10日 700回 山藤章二、中島梓 柳家小三治、佐藤陽子 黒澤久雄、麻木久仁子 羽賀研二、マッハ文朱 レギュラーチーム対OBチームのカップル大会として対抗戦で通常ルールで行われた。 この時のオープニングクイズの顔当ては、司会の土居が出したシングルレコード「カレンダー」のジャケット写真の顔を当てるものであった。 (正解者は兵藤ゆき)。 1994年9月25日 第708回 (最終回) なし オープニングタイトル直後、土居はオープニングクイズ前に最終回である事を告げる簡単な挨拶を行った。 最終回では男女ともにゲスト解答者無しで、当時のレギュラー解答者だった4人ずつで対抗戦が行われた。 また、番組放送年数約16年にちなんで、オープニングクイズも含めた全問を16分割問題にした。 因みにオープニングクイズ問題は「の」で、最終出題は「からの問題」(正解者は両方共小林千登勢(おっかさん))。 そして番組の最後には土居直筆のテロップで、感謝の念を込めたコメントを表示した。 終焉 [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2017年2月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2017年2月) 長らく安定した人気と視聴率を得ていたが、の象印のロゴ変更と1987年頃から一部のや他系列局といった遅れネット局が当番組を打ち切る等、人気に陰りが見え始める。 打ち切りの背景には、遅れネット局へのスポンサードネットの段階的終了が要因としてある。 そのため、遅れネット局でも継続した局ではこの時期に象印一社提供からローカルスポンサーに変更となった局もあった。 さらに、番組末期は視聴率で裏番組(特に1986年10月から1992年3月まで放送されていたの『』や番組終了半年前に放送開始したの『』)に苦戦するようになった。 また、でシーズン中(3月頃から10月頃)の戦やといったナイトゲーム中継(日本テレビ・TBS・フジテレビ)にも苦戦していた。 そしてをもって15年7か月の歴史に幕を閉じた。 なお、15年7か月の番組放送期間は、34年9か月続いた象印1社提供枠の中では最も長かった。 後番組は、土居と同じくで元アナウンサーのと本番組末期の女性レギュラー解答者3枠であった兵藤が司会の『』。 後枠も引き続いて象印提供のクイズ番組だったが、半年で打ち切られ、象印一社提供枠は幕を閉じた。 なお、その後は2時間枠(『』)となったそれ以降も複数社提供の中に象印は入っていたものの1996年9月に撤退している。 当番組に隣接する2番組(先行の番組だった『』と後続の番組だった『』)も当番組と同じ日に終了した。 番組終了後 [ ] 番組終了後、司会者である土居まさるをはじめ、歴代レギュラー解答者である沖田浩之・笹沢左保・小林千登勢・中島梓・宮尾すすむなどの多くの出演者が死去してしまったため、復刻版を行うことは1度もなかったが、放送の『』で番組の一部(テクニカルクイズ1問と16分割クイズ1問)が紹介された。 番組のフォーマットがパロディ化された例は少ないが、改編において本番組のセットや演出を流用した『』の番組宣伝が作られた(出演者は本番組の司会やレギュラー解答者ではない)。 2011年には、同じくテレビ朝日系列で放送されていた『』の第26話「シュシュッとTHE SPECIAL」にて、敵怪人のサタラクラJr. が司会の『ボキ印クイズ ヒントでピピッと!! 』というパロディ番組が放送された。 また、これも同じくテレビ朝日系列であり、放送の『2時間スペシャル』において『クイズ 珍トで珍ト』というパロディ企画が行われた(からの「何の食材の実かわかりますか? 」という投稿で、正解はの実だった)。 放送分の『2015春』で、クイズの1つとして16分割問題が21年ぶりに復活した。 早押し音、正解・不正解のSEはクイズサバイバーのSEを使用しているが、出題のSEは当時のSEを再現している。 また、放送分の『くりぃむVS林修! クイズサバイバー2015秋』においても行われた。 さらに、放送分の『くりぃむVS林修! 年越し早押し7時間!! クイズサバイバー2015』においても行われた。 放送分の『』では、「学力王No. 1決定戦」の一環として当番組とのコラボレーション問題を実施した。 「学力王」のフォーマットをベースに、当時の番組スタッフの完全協力により、出題画面、テーマ音楽、早押し音・正解音・不正解音・ジャンプアップチャンスの時は4分割のラッキークイズのチャイム・優勝時のチーム勝利のファンファーレのSEなどを再現したほか、放送後期のレギュラーだった薬丸裕英と麻木久仁子も解答者として出演。 但し、レギュラー放送時には無かった12分割問題があった。 前述のとおり「学力王」の一つであるため、出題と正解発表のナレーションをが担当したほか、一部を除きクイズを出題前に司会のがヒントを出していた。 ルール [ ] 男性軍(緑の席)・女性軍(赤の席)に分かれて各5名、うち1名はゲスト(5枠席に着席する)の対抗戦。 当時最新のコンピュータ技術を生かした映像クイズは、大きく6つ(末期には5つ)のパートに分かれていた。 特記の無いものは全員参加の早押しクイズ。 全18問(末期には全14問)出題。 形式 [ ] 問題は、おおまかに「分割問題」と「テクニカル問題」の2種類の問題が出題される。 「分割問題」は、2枚・4枚・8枚・16枚のヒント(語句・絵・写真)が記されたパネルを番号パネルで隠し、時間の経過に従い番号パネルがランダムに外されていくことでヒントを表示させる形態の映像クイズ。 「テクニカル問題」は、を施した映像を流し、時間の経過と共にモザイクが解除されていくことで、元画像を当てる映像クイズである。 このモザイク処理は番組が独自に開発したリモートセンシング機器を利用したものである。 NECのDVEよりも早かった。 パート3の動画問題は、ドット状にぼかされる・細かく刻まれた動画が時間の経過と共に戻される、パート4の静止画問題は、画面中心からドットでバラバラになった映像が渦巻状に出され、全部出した後に元の映像に戻される形式となる。 正解時の得点は、第1ヒントおよびテクニカル問題の冒頭で正解した際は満点を獲得。 以後、ヒントが増えるたびに(テクニカル問題は時間経過とともに)1点ずつ減ってゆく。 流れ [ ] 番組初期の流れ [ ] 番組開始から行われたクイズ• ばくだんクイズ• 花火クイズ• たこクイズ 番組最盛期の流れ [ ] 長らく行われていた((第104回) - (第630回))前期・中期までの問題は以下の通り。 オープニングクイズ:「テクニカル・著名人顔当てクイズ」・全1問 番組冒頭で出題されるクイズで、土居の「さあ、まずは頭の準備体操、オープニングクイズです」、「顔シリーズ、誰でしょうか、どうぞ!」が決め言葉。 ある著名人の画像がモザイク処理され、時間の経過と共にモザイクが解かれていく。 そこから人物名を当てる。 解答権は1人1回。 正解チームに、出題パート5の16分割問題で点数が倍になるボーナスクイズの権利を獲得。 その際キャプテンと2枠の解答席の間に、キャプテンのフィギュア(土居は、このフィギュアを「そっくりさん人形」と言っていた)が飾られた。 出題パート1:「2分割クイズ」・全6問 2点満点で6問出題。 解答権は無制限。 出題前に土居が口頭でヒントを1つ出す。 出題パート2:「4分割クイズ」・全5問 同じ枠の男性軍と女性軍の1対1の対抗戦。 解答権は無制限。 出題前に土居が口頭でヒントを1つ出すが、チャイムが鳴ると点数が3倍になるラッキークイズで、この場合はノーヒントとなる。 4点満点、ラッキークイズの場合は12点満点で5問出題。 出題パート3:「テクニカル・動画当てクイズ」・全1問 動画問題で、何をしているかを当てる。 解答権は1人1回。 10点満点で1問出題。 出題パート4:「テクニカル・物当てクイズ」・全2問(男女別各1問) 静止画問題で、物の名前を当てる。 解答権は1人1回。 この問題のみ男女別に出される。 原則得点の高いチームが先攻。 解答権のない相手チームへは、土居の手元にあるスイッチからキャプテンの横にあるに答えを送信、紙に印刷されたものをメンバーが順番に回して行く。 その間に視聴者には字幕スーパーであらかじめ答えを先に伝えたが 、事前に答えを知りたくない視聴者のために、土居が答えが出る前に「はい、答え出まーす!」、答えが消える時に「はい消えまーす!」と言っていた。 10点満点で男女1問ずつ計2問出題。 中期までは誰かがボタンを押すたびに画面に網目が付くようになっていた(2人以上押すと線が太くなった)。 出題パート5:「16分割クイズ」・全3問 別名「恐怖の16分割」。 オープニングクイズ正解チームは1問目、2問目、3問目のどこかでキャプテンのミニチュア人形の手に「Vサイン(2倍)」が描かれた旗を立て、そのチームのみ正解すると点数が2倍になるボーナス問題となる。 3回不正解でチーム全体がその問題の解答権を失い、土居の「立つ!」の掛け声で全員起立となる。 両チーム解答権が無くなると問題終了。 難易度が高い為、ヒントが半分以上開いても正解が出ない場合、土居がヒントを出す事がある。 中期以降は表立った募集告知はしていないが、視聴者からの投稿問題 も出題され、採用された問題の投稿者に象印製品がプレゼントされた。 16点満点、ボーナス問題の場合は32点満点で3問出題。 特徴 [ ] 解答権が1人1回の問題は、ネームプレートの左右に付いているランプが点灯、不正解でランプが消灯して解答権が無くなった事を表し、その後ボタンを押しても早押しが反応しない様になっている。 正解でランプが点滅、同時に全解答者のランプが消灯する。 また、解答権が1人1回の問題以外でも、正解でランプが点滅する。 さらに1対1の問題では、対戦する解答者にランプが点灯、不正解でもランプは消灯しない。 正解でランプが点滅、相手のランプが消灯する。 2・4・8・16分割問題の正解は、画面にレギュラー陣のイラストと共に出される。 主に同じ席枠の男女レギュラーが描かれ、2 - 3枚の絵を順番に出してアニメの様に動かす場合もあった。 ゲスト対決がある場合、唯一ゲストの絵も出されるが、イラストではなく顔写真の場合もあった。 初期にはオープニングクイズ((第1回) - (第103回))は無かった。 テクニカルクイズ(パート3・パート4の両方)は20点満点でパート3は全2問あった。 オープニングクイズ(以降)導入時にテクニカルクイズ(パート3・パート4の両方)の満点が10点に引き下げられ、パート3が全1問になった。 また、80点による海外旅行がなかなか出なかったため、からオープニングクイズでボーナスクイズの権利獲得が加えられた。 この頃からエンディング時の視聴者クイズが始められ、当初は海外旅行(ハワイ)が出なかった時に限って視聴者にハワイ旅行のプレゼントだったが、後に週替わりの象印製品のプレゼントとなる。 末期の(第631回)にルールが改正。 これによって「2分割クイズ」が無くなり、番組冒頭の「オープニングクイズ」が全1問 、パート1の「4分割クイズ」が全5問 、パート2の「8分割クイズ 」が全2問、パート3の「テクニカル 」が全2問。 パート4の「16分割クイズ」が全4問という形態に変わった。 また、解答権については、パート1とパート2は無制限、オープニングクイズとパート3は1人1回、パート4は各チームお手つき2回まで。 最終回では全問16分割問題で、ボーナスクイズ獲得のオープニングクイズ1問(解答権は1人1回)、パート1は各枠男女1対1の対戦でラッキークイズは無し、ヒントとして各問題でテーマが出される(解答権は無制限)、パート2は通常ルールで5問出題(解答権は各チーム3回まで)された。 得点は基本的に正解した時点での残りのパネル枚数+1点を正解チームに加算、0点(タイムオーバー)で問題終了というルール。 全問題終了時点で得点の多いチームの勝ちだが、60点以上を獲得した場合は「象印賞」として、その日のクイズに関連した賞品獲得となる。 80点以上で海外旅行 獲得となり、ゲスト解答者も含めて5人全員に送られた。 末期(1992年10月以降)は各解答者の海外旅行は無くなり、60点以上の「象印賞」獲得の際、一般視聴者に海外旅行をプレゼントにした。 稀にではあるが、両軍とも同点で引き分けの回もあった。 土居は番組オープニングで「パーフェクトの得点は100点満点」と言っているが、これは4分割のラッキークイズの3倍と、16分割のボーナスクイズの2倍のボーナス点を除き、全て満点で正解した場合であり、初期(1979年3月 - 1980年9月)は140点満点、前期・中期・後期(1980年10月 - 1992年9月)は100点満点+4分割ラッキー得点8点+16分割ボーナス得点16点の実質124点満点、末期(1992年10月 - 1994年9月)は120点満点+16分割ボーナス得点16点の実質136点満点であった。 なかなか出ない海外旅行だったが、番組開始から4年1か月後の第200回(放送)で初の海外旅行獲得が出た。 レギュラー陣と視聴者がペアになっての特集だったこの回、男性軍が16分割の最終問題でボーナスクイズを賭け、キャプテンの小林亜星が第3ヒントで見事正解して80点ジャストになったことでハワイ旅行を達成。 番組開始後8年目の(第419回)放送には女性軍もスペイン旅行を獲得しており、その際は女性軍5人全員が大号泣した。 ゲスト(男女両軍2人とも)には、スポンサーの象印から象印製品が参加賞として贈られ、最終回では各チームのレギュラーに象印製品が贈られた。 なお、詳しいデータが残っていないため、最終回までにそれぞれ総合で何勝したか、最高得点・最低得点(優勝した時も含めて)、象印賞、海外旅行のそれぞれの獲得回数はいずれも不明となっている。 セット [ ]• 1代目(1979年3月4日 - 1980年9月28日) チーム5人が座れる長い席。 ボタンを押すと鐘の音と共にネームプレートの下にある赤いランプが点滅する。 司会者席後方に大画面のモニター、その下に両軍のスコアボードがある。 シンキングタイムは二拍子に1回電子音が鳴るベース。 正解音は玄関などで使われているチャイム。 2代目(1980年10月5日 - 1983年12月25日) 解答席が5つに分割され、1人1席のタイプに変更。 ボタンを押した際にひし形の札が出てくるほか、解答席後部はひし形の中に赤と緑のランプが互い違いに円状に並べられ、正解時には一番下から時計回りに緑のランプ、不正解時には一番下から反時計回りに赤のランプが点灯していき、中心には勝利時に光る電飾(ひし形に豆電球が9個)が付いていた。 また、司会席後方のモニターが小さくなって司会者の向かって左に設置。 スコアボードは司会者席に配置され、(男性軍)と(女性軍)がついていた。 この頃から、早押しの鐘の音の余韻が短縮された。 シンキングタイムの音は柱時計の振り子のような電子音となった。 正解音も電子音になった。 また番組冒頭に、それまでなかったオープニング音楽が鳴るようになった(それまでは観客席からの拍手だけで始まっていた)。 3代目(1984年1月8日 - 1994年9月25日) セットが大幅にモデルチェンジされ、ボタンを押した際にはネームプレートが点灯する形となった(男性軍が緑、女性軍が赤)。 また解答席後部は、三角形の直角部分が矢印の様に司会者席の方向を向いており、三角形の中に勝利時の電飾(三角形に合わせて豆電球10個)がある。 三角形が指している部分にランプが縦長に配置され、上半分が緑、下半分が赤という並びで、境目を中心に正解時には緑のランプが上に向かって、不正解時には赤のランプが下に向かって点灯した。 ネームはで表記される(それまでは)。 また放送分から、司会者席と解答者席にある象印のロゴが変更され、さらに解答者席のチームカラー(男性軍が黄緑、女性軍がピンク)の下に青いラインが加わった。 各解答者の後ろには、緑と赤のランプが1席あたり20個ずつ設けられており、オープニングクイズを除き正解すると緑のランプが、不正解だと赤のランプが1つずつ点灯していた。 なお、正解・不正解数によって賞与・厳罰は無く、あくまで目安である。 オープニングクイズとゲスト解答者紹介時には、全解答者の緑のランプのみが全点灯、チーム勝利の際には電飾と共に、緑と赤のランプが全点灯していた。 敗北チームは電飾は付かず、緑と赤のランプはそのままであった。 なお、引き分けの時は両チームとも電飾は点灯せず、緑と赤のランプはそのままであった。 出演者 [ ] 司会者 [ ] 司会は、番組開始から終了まで基本的にが務めていた。 土居がの司会やの発症で不在の時には、レギュラー解答者のやが代役を務めることがあった。 男性軍 [ ] 出演期間 1枠キャプテン 2枠 3枠 4枠 5枠ゲスト 1979. 4 1979. 17 1 ゲスト解答者 1979. 1 1979. 11 1・2 黒澤久雄 1979. 18 1980. 13 1980. 20 1980. 30 2 1980. 6 1983. 25 1 1984. 8 1984. 7 おりも政夫 1984. 14 1985. 5 2・3 1985. 12 1985. 20 1985. 27 1987. 22 1987. 29 1989. 24 1990. 14 1994. 25 高田純次 山下規介• 1 小林と浅井が本業などの欠席時は代役を務めた。 2 驚異的な正解率を叩き出し、16分割の1枚目で正解してしまうことがたびたびあった。 3 歴代キャプテンの中では最長期間である。 女性軍 [ ] 出演期間 1枠キャプテン 2枠 3枠 4枠 5枠ゲスト 1979. 4 1 ゲスト解答者 1979. 11 1979. 17 1979. 1 2 1979. 8 1979. 9 1979. 16 1980. 30 3 1980. 6 1980. 28 中島梓 5 1980. 5 1982. 21 4 1982. 28 1983. 11 6 1983. 18 1983. 25 中島梓 7 1984. 8 1986. 29 8 1986. 13 1986. 5 1986. 12 1987. 22 9 1987. 29 1988. 4 1988. 18 1988. 25 1988. 9 1989. 24 1990. 14 1991. 20 東ちづる 1991. 27 1991. 22 1992. 12 1994. 30 1994. 6 1994. 25 10• 1 スケジュールの都合で降板。 2 『』()の脚本執筆専念のために降板。 3 栗本薫の別名義。 4 歴代解答者の中で最長出演。 番組のとなり、「おっかさん」と呼ばれて親しまれていた。 5 産休を取って一時降板。 6 当時産休中だった中島梓の代役として、9カ月間キャプテンを務めた。 7 執筆専念のために降板。 8 の旧名。 9 の旧名。 10 『』の続投。 歴代ゲスト解答者一覧 [ ] 男性解答者 [ ] あ行 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 か行 、、、、、、、、、、、、、、、、、 さ行 、、、、、、、、、 た行 、、、、、、、 な行 、、、、、 は行 、、、、、、、、、、、、 ま行 、、、、、、、、、、、、、、、 や行 、、、 わ行 、、、 スタッフ [ ]• 構成:、、大上和博、松井尚、植木幹雄• 問題作成:、THE・TEN、テレビット、Uncle、、UFO'S、CAMEYO、ペンギングループ、• イラスト:鳥居しげよし• 音楽:前田憲男• ディレクター:中村元一、平岡敏史、植村真司、佐藤佳則• プロデューサー:中江尭政、市川忠信、蒲生直人、佐藤彰• 制作著作:テレビ朝日 ネット局 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年2月) 遅れネット局に対する象印のスポンサードネット打ち切りによる番組打ち切りが多く見られた。 放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考 製作局 同時ネット テレビ朝日系列 遅れネット 1979年3月11日 - 1991年9月30日 まで テレビ朝日系列 同時ネット 開局直後の1991年10月20日 から 遅れネット 現・IBC岩手放送 1987年9月27日をもって打ち切り 、IBCでは日曜17時(放送末期)から放送。 1987年10月4日に打ち切り テレビ朝日系列 同時ネット 1991年4月の開局時から放送 1979年7月から放送 1979年3月から6月までは不明 日本テレビ系列 遅れネット TBS系列 遅れネット 日曜 10:30 - 11:00 に放送 1987年9月27日に打ち切り テレビ朝日系列 同時ネット 1991年10月の開局時から放送 日本テレビ系列 遅れネット 1988年3月に打ち切り。 テレビ朝日系列 同時ネット 現:朝日放送テレビ ・ 日本テレビ系列 遅れネット 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 テレビ朝日系列 同時ネット 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 遅れネット 1980年4月から1988年3月まで日曜 12:00 - 12:30 に放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1993年10月の開局時から放送 日本テレビ系列 遅れネット 日曜 12:00 - 12:30 に放送 テレビ朝日系列 同時ネット 日本テレビ系列 遅れネット 日曜 12:00 - 12:30 に放送 1980年4月ネット開始、1987年9月に打ち切り 日曜 12:00 - 12:30 に放送 テレビ朝日系列 同時ネット TBS系列 遅れネット 1990年3月まで放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1990年4月の開局時から放送 TBS系列 遅れネット 1989年9月まで放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1989年10月の開局時から放送 TBS系列 遅れネット 日曜 17:00 - 17:30 に放送 1984年4月開始、1987年頃打ち切り テレビ朝日系列 同時ネット 1993年10月の開局時から放送 TBS系列 遅れネット 1982年9月まで放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1982年10月の開局時から放送 TBS系列 遅れネット 1987年9月に打ち切り 脚注 [ ] []• 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1984年5月27日付朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1992年10月25日付朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1991年2月24日付朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 一社提供の象印自体は天満に本社があり、タイガー魔法瓶も大阪府に本社がある為、ともに在阪企業である事が共通している。 なお、タイガー魔法瓶は、当時、日本テレビ系列で日曜19時から放送の番組(『』など)のスポンサーについていた。 ただし、年に数回本番組を差し替えて『』を放送する時にも複数協賛の一員で象印は提供しており、その中での阪神対巨人戦の試合中継にも提供していた。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1981年3月8日付朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1983年4月3日付の朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1987年7月12日付の朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1989年10月15日付の朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1992年1月26日付の朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1994年7月10日付の朝刊ラジオ・テレビ欄)より。 テレビ朝日でのナイトゲーム中継(対戦ではテレビ朝日主導に関しては明治神宮野球場で行われる戦・横浜スタジアムで行われる戦・広島市民球場で行われる戦、朝日放送主導に関しては阪神甲子園球場で行われる戦であり、では主導の局に関してはテレビ朝日か朝日放送の2局だけであり、リーグの主催および行われる野球場は原則として問わない)が放送される場合には本番組は放送を休止(雨天などで試合が中止になった時は当番組は原則として放送された)し、原則として18時台に放送開始して放送の終了予定は20時54分で原則として21時台まで延長する事も多かったが、その場合は裏番組より視聴率が高くなる時も多く、同時間帯で視聴率が首位になる時も多かった。 番組放送期間では先行の番組は半年で終了し、後続の番組は1年で終了している。 また、制作する局では先行の番組は朝日放送で、後続の番組はテレビ朝日となっているが、先行の番組が朝日放送制作となったのはこの番組が最後となっている。 、、、、、(1979年7月1日付のテレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年7月15日付のテレビ欄)より。 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1979年9月9日付のテレビ欄)より。 稀に4分割問題でも、視聴者の投稿問題が出された。 放送開始から1980年9月までは何の特典も無かった。 ルール変更は無し。 各枠男女1対1の対戦で、ラッキークイズが無くなった以外は通常と同じ。 テーマ問題で、テーマに関連する事柄の単語や画像がヒントとして出される。 動画当て・物当てクイズが各1問。 2問とも共通問題となり、キャプテン横のプリンターが無くなった。 初期は象印製品一式だった。 ハワイ・オーストラリア・スペイン・地中海・カナディアンロッキー・カリブ海・イタリア。 サブタイトルは「出た!出た!ハワイ旅行!! ヒントは「首」などでウイニングアンサーは「打つ」。 サブタイトルは「苦節8年女性軍スペイン旅行に大号泣」。 女性軍ゲストは杜けあき。 テレビ朝日で1991年9月29日放送分は、本来は青森放送で10月6日に放送する分だが、青森朝日放送開局に伴うネット整理のための措置で、1日遅れの9月30日(月曜)16:00から放送された。 テレビ朝日での1991年9月22日放送分までは1週間遅れ。 6日と13日は改編期特番放送のため、本番組は未放送。 なお、後番組である『象印ニュースクイズ パンドラタイムス』は岩手県・沖縄県では未ネット。 当初週遅れ放送で1980年4月より同時ネット。 それまで同時ネットで放送されていた『』(日本テレビ系)は当時フジテレビ系だった山形テレビへ移行(山形テレビでも同時ネットで放送)した。 実質的には山形放送と2局同士での番組枠の枠交換した。 なお、山形テレビのネットチェンジ前に放送されていた日曜19:30からの番組は『』(日本テレビ系、同時ネット)になった。 本来の同時ネット枠がフジテレビ系列同時ネット()になったことに伴う措置。 テレビ信州は1980年10月にテレビ朝日系列を主体として、とのとして開局したが、プロ野球シーズン中にのをネットするかねあいから、日曜19時台から20時台に日本テレビ系列(など)の番組ををしていた関係により、も含めてでの放送実績はなかった。 1987年10月4日 信濃毎日新聞 テレビ欄• 1988年ごろからスポンサードネット打ち切り後も地元企業などがローカルスポンサーとなる形で継続。 『北國新聞』1987年9月27日付朝刊テレビ欄より• が1988年3月に放送を打ち切った当時は日本テレビ系列のみの加盟で、には加盟していなかった。 1989年10月のNNSマストバイ局化後もローカルスポンサーでネット継続。 地域によっては広島ホームテレビや瀬戸内海放送で視聴できた。 週遅れ放送。 当初はスポンサードネットだったが、土曜12時に移動した後にはがローカルスポンサーに付いていた。 、でも放送された。 理由として、琉球放送が当時・で放送されていなかったためである。 日曜19:30枠 前番組 番組名 次番組.

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