「仰げば尊し」といえば、定番の卒業ソングです。 卒業式のシーズンともなると、どこからか「仰げば尊し」のメロディが流れてくることもあるでしょう。 徐著のあるあのメロディラインを聞くと、懐かしい日々を思い起こす方もいらっしゃるのではないでしょうか。 それだけ卒業式の定番として君臨してきた「仰げば尊し」ですが、その意味をきちんと理解している方はあまり多くありません。 確かに少々難しい言い回しや、あまり馴染みのない語句が「仰げば尊し」の歌詞には多く出てきます。 今回は「仰げば尊し」の意味などについて掘り下げてみましょう。 「仰げば尊し」の意味とは 「仰げば尊し」とは、明治17年に作られた唱歌です。 明治から昭和にかけてと平成の頭頃まで多くの学校の卒業式で歌われ、親しまれてきました。 ドラマや映画でも卒業となるとこの曲が流れることから、抜群の知名度のある唱歌となります。 唱歌以外に対象となるものはありませんので「仰げば尊し」といえば、卒業生がこれまでお世話になった教師に感謝し、またこれまでの学校生活を振り返る内容の歌詞の楽曲となります。 「仰げば」の意味 「仰げば尊し」というタイトルと、その歌詞の冒頭に登場する「仰げば」についての意味を考えてみましょう。 元々の形は「仰ぐ」となりますので、意味としては以下のようになります。 仰ぐ(あお・ぐ あふぐ ) 1)上を向いて高い所を見る。 見上げる。 「天を-・ぐ」 「山頂を-・ぐ」 2)人を尊敬する。 「師と-・ぐ」 3)(目上の人や尊敬する人に)教示や援助を求める。 恩恵を受ける。 「専門家の指導を-・ぐ」 「篤志家に寄付を-・ぐ」 4)(上を向いて)一気に飲み干す。 あおる。 「毒を-・ぐ」 5)上を向く。 あおむく。 「天つ水-・ぎてそ待つ/万葉集 4122」 「仰げば尊し」が歌われる背景や、歌詞から考えると、(2)が適切だと考えられます。 しかし実際の意味は(1)が近いと言われています。 「仰げば尊し」とは、見上げてみるぐらい尊いものという意味を指しています。 歌詞で見るとこの後に続くのは「我が師の恩」となります。 つまり、「見上げてみてしまうほど尊い教師への恩」ということになります。 「尊し」の意味 尊い(たっと・い) 1)地位・身分などがきわめて高い。 高貴だ。 とうとい。 2)非常に価値がある。 貴重だ。 とうとい。 <1番> 仰げば 尊し 我が師の恩 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ) 思えば いと疾(と)し この年月(としつき) 今こそ 別れめ いざさらば <2番> 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩 別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ 励めよ 今こそ 別れめ いざさらば <3番> 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓 蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき) 忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月 今こそ 別れめ いざさらば いととし 1番の歌詞に登場する「いととし」は、歌詞の表記上では「いと疾し」と漢字があてはめられています。 耳で聞いているだけだと「いと年」のような漢字表記をイメージしがちですが、「疾し」となります。 「疾し」とは「はやい」や「勢いが良い」などの意味があります。 これを前後の歌詞と組み合わせて意味を確認してみましょう。 別れめ 語感だけだと「分かれ」と解釈してしまいがちですが、正しい漢字表記は「別れ」となります。 1番の最後を締める歌詞の部分に登場します。 別れはそのままの意味として、最後にくっついている「め」が意味を知る上で重要なポイントです。 この「め」は漢字表記の「目」とは意味合いが異なります。 この「め」は何かをしようとする時に使う助動詞となっています。 歌詞で当てはめると「いまこそ別れめ」ですので、「いまこそ別れよう」という決意を表している意味をもっています。 ちなみに「いまこそ」の「こそ」は係助詞となり、現代語に意味を訳す際には訳す必要はありません。 やよ 2番の歌詞に2回登場する「やよ」も意味が分かりにくい語句の一つです。 別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ 励めよ この「やよ」とは誰かに呼びかける時に発する言葉として扱われています。 わかりやすく表現をすると「掛け声」や「はやし声」です。 同じ意味で使うとすると「やあ」などがこれに当たります。 つまり文章的にはあまり意味はないと言えます。 我が師 「我が師」という言葉は「仰げば尊し」にはなくてはならない言葉です。 この歌を歌う生徒自身が、ここまで歩んできた道のりの中で、大切なことを教えてくれた教師、指導者を意味させるべく「我が師」と表現しています。 教師の「師」であり、師匠の「師」でもあることから、ただ単純に勉強を教えてくれただけの人ではないことが見えてきます。 その恩師を思い出すとき、思わず感極まり天を仰ぐ、これが仰げば尊しの由来とも考えられます。 最近ではあまり歌われなくなった理由 平成の頭頃まで、卒業式といえば「仰げば尊し」と言われるほどの定番ソングでした。 しかし、平成の世が進む中、徐々に「仰げば尊し」を卒業式で歌う学校や卒業式は減少の一途をたどります。 なぜ卒業式で「仰げば尊しは」歌われなくなったのか。 それには歌詞が持つ意味が時代は池には合わなくなったのが原因だと言われています。 現代の学校事情にそぐわない 歌詞の中に幾度と登場する「恩師」であり「我が師」と歌われる「教師」と、歌う側となる生徒との関係性が昔とは大きく変化しています。 いつの時代でも影響を受けた先生というのは存在し、その先生のおかげで人生が変わったというエピソードはありますが、現代の学校事情を見るとあまりその数は多くないことからも、歌われなくなってしまいました。 言葉づかいや表現が難しく理解できない 歌詞の端々に込められた大切な思いは、現代の子どもたちには理解できない言葉づかいで綴られています。 そのことから、意味まで教える時間もないのが現状となり、理解できない難解な歌を無理やり歌わせるよりも、もっと適した楽曲が登場しているので、そちらにシフトする形が取られていったため「仰げば尊し」は卒業y式で歌われなくなっていきました。 最近では唱歌ではなく、3人組の人気音楽グループ「いきものがかり」の「YELL」や、こちらも3人組のロックバンド「レミオロメン」の「3月9日」などが、卒業式で多く歌われており、生徒たち自身もこれを歌いたいと熱望しています。 昔の曲だからこそ味わいのある唱歌「仰げば尊し」.
次の理由を求めず、ありのままを。 また、その疑問の答えを知ったところで何の意味もないはずだ。 理由を求めるのではなく、出会いというありのままの事実を受け入れることが必要なのかもしれない。 生の尊さを訴えている中島みゆきの声が、そんな考えへと導いてくれる。 出会いは決して当人だけのものではない。 歌詞にもあるように誰かの希望となることもあるのだ。 時に強い風に吹かれ、繊細な糸は今にも切れそうに揺れるのである。 中島みゆきは、機微のある人の心を 「糸」で見事に表現している。 「仕合わせ」という言葉には幸せという意味もあるが、 「めぐりあわせ・運命」という意味もある。 その意味を含めてこの歌詞を解釈すると、会うべき人に会うことは定められた現実と読み取れる。 言ってしまえば、出会いというのはそれ以上でも以下でもない一つの事実なのだ。 糸をどのように布へと変えていくか、つまり、出会いをどう成熟させていくかが重要なのだ。 「なぜ出会うのか、いつ出会うのか」その理由は分からずとも、 出会いそのものが別の誰かを救っているのだから。
次のカイト 作詞・作曲 米津玄師 小さな頃に見た 高く飛んでいくカイト 離さないよう ぎゅっと強く 握りしめていた糸 憧れた未来は 一番星の側に そこから何が見えるのか ずっと知りたかった 母は言った「泣かないで」と 父は言った「逃げていい」と その度にやまない夢と 空の青さを知っていく 風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて 君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ 小さな頃に見た 大きな羽のカイト 思い出よりとても古く 小さい姿でいた 憧れた未来は いつもの右ポケットに 誰も知らない物語を 密かに忍ばせて 友は言った「忘れない」と あなたは言った「愛してる」と 些細な傷に宿るもの 聞こえて来る どこからか 風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて 君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ 嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ 悲しみを越えてどこまでも行こう そして帰ろう その糸の繋がった先まで 風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて 君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ 以上が「カイト」の歌詞になります。 とても素敵な歌詞ですね。 こういったちょっとした繋がりから、さらなる深みを感じますね。 そこから何が見えるのか ずっと知りたかった カイトは、自分より上にいる憧れの人を表しています。 そんな憧れの人が、どんな景色をみているんだろう?と思いを馳せるところから始まります。 風が吹けば 歌が流れる カイトは、風の力で舞い上がっていくものです。 そして、嵐はその名の通り、 風を巻き起こす者です。 つまり、嵐の歌が流れると、それをパワーにしてみんなが頑張れるという意味に捉えることができます。 また、続きの歌詞を読むと、嵐の歌を聞いた人たちが歌うことで、どんどん強く・遠くまで行けるといった歌詞になっています。 憧れた未来は いつもの右ポケットに ここの歌詞は解釈が難しいです。 皆さんはいつも右ポケットに何が入っていますか? きっと多くの人は スマホが入っているのでないかと思います。 完全に嵐目線で解釈すると、2019年から SNSやYoutubeでの活動を始めた嵐のことを歌っているのではないかと思いました。 憧れの未来=嵐で、いつもの右ポケット=スマホ、身近な存在になったという風に聞こえます。 ただ、文脈的にしっくりこないので、また別の解釈がありそうですね。 皆さんはどんな歌だと感じましたか? ぜひ教えて下さい! shibadrive.
次の