幸 あれ 意味。 父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる/防人の歌

「幸多からんことを」の意味や使い方は?同じ意味の言い回しもご紹介

幸 あれ 意味

大津美子さんの「ここに幸あり」の歌詞の意味が良く分かりません。 「ここに幸あり」は不朽の名曲で私も大好きですが、 その割にはこの歌詞がも一つ良く分かっていないのです。 この歌が歌われた昭和31年と言えば、日本はちょうど高度成長期に入る頃。 戦後強くなったのはナイロン靴下と女と言われ、 そしてもはや戦後ではないとも言われた成長期の日本でした。 こんな女性の地位が目覚しく向上しようとしていた頃の歌詞としては、 あまりにも不似合いな気がします。 特に「君を頼りに私は生きる」という所など、 単に夫唱婦随の歌なのでしょうか。 この曲に、そのスケールの大きさや格調の高さなどを感じる私には、 とてもそんな風には思えないのです。 そこには何かもっと深い意味が込められているように思うのですが、 いかがでしょうか。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。 特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。 この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。 歌詞の参考ページです。 hi-ho. htm 1.「歌は思えど」 2.「さては時ぞと 思うあやにく」 3.「春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か」 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 A ベストアンサー 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。 さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。 3.春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か 暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。 あいにく。 折悪しく。 2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。 意地が悪い。 不都合だ。 間 ま が悪い。 予想以上に厳しい。 過酷だ。 この歌は難しい歌ですよ。 全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。 自信ありません。 1.春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。 谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。 2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ さては時ぞと思う あやにく今日もき... Q 1. きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 2. 文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 3. あねさんごっこの 花嫁人形は 赤い鹿の子の 振袖着てる 4. 泣けば鹿の子の たもとがきれる 涙で鹿の子の 赤い紅にじむ 5. 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤い鹿の子の 千代紙衣装 1と2で泣いているのは人間の花嫁でしょうか?「帯しめながら泣く」は人間にしかできませんよね。 4で泣くのは、人形遊び(あねさんごっと)をしている子供でしょうか? それとも全て主体は「花嫁人形」なのでしょうか?題名がそうですし。 それにしては5で「泣くに泣かれぬ花嫁人形」とあるので混乱してしまいます。 よろしくお願いします。 Q 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 日本語を勉強中の中国人です。 「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 mahoroba. html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いている... A ベストアンサー 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。 野の小径ですか。 それとも水のほとりなのでしょうか。 分からなくなりました。 尾瀬沼のすばらしい景色をご堪能ください。 towabank. html 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。 句読点がないので、混乱しています。 誰が夢を見たのでしょうか。 作詞者自身ですか。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。 句読点を入れていただければ助かります。 第二段落も同じです。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。 なんか省略が多すぎるような気がします。 風情を壊してしまって申し訳ありません。 具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 水の中に咲いている様子が「浮き島」のように見える水芭蕉もあるのです。 【浮き島】のイメージが下記の写真で解るといいのですが・・・。 page. sannet. htm 質問文の1. 【辞書で調べましたが、見つけませんでした。 質問文5. 【なんか省略が多すぎるような気がします。 しかし、ここではそのような言葉を使うのではなく、「この文章は省略されたものが多すぎるような気がしています」などの方が、質問文としては良いでしょう。 歌詞はメロディーに当てはめ、音符に乗せることなどが優先され、倒置法が用いられていたり、省略されたり、妙な造語が出てきたり、擬態語が使われたりします。 さらには、歌詞独特の擬人法が駆使されていたりして、詩自体の文意が解りにくくなっていることが多いですね。 頑張ってください。 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 「浮かんでくる」という意味でしょうか。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。 そう、水芭蕉の花が咲いているのです。 まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。 水芭蕉のですか。 Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 Q さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見に行かん 「霞か雲か」というのは桜を指しているのでしょうか?(比喩) それとも「弥生の空は」とありますので、雲のことを指しているのでしょうか? 比喩だとすると桜が空に輝いているということでしょうか? 空に輝いているのであれば、どこにいても見えますので、「見に行かん」がおかしくなります。 わざわざ「見渡すかぎり」といっています。 それとも地には桜が、空には雲が美しく輝いていると解釈してよいのでしょうか? 「匂ひぞ出づる」の「匂ひ」は、生き生きとした美しさなどが溢れることですが、雲や霞に「匂ふ」などと表現はしないと思うのですが。 すると「桜が匂ふ」という解釈になります。 よろしくお願いします。

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幸・不幸 │ ことわざ辞典

幸 あれ 意味

僕は、小学生高学年のときに「サラリーマンにはならない」と決めました。 なにがきっかけだったのかは全然覚えてないのだけど、そう決めたことは覚えています。 僕は、中学校時代には、自分はシンガーソングライターになるものだと思っていました。 テキトーな東京の大学に進学して、学校に行かず曲を書きまくるものだと思っていました。 僕は、高校1年の冬に「声楽の道を志す」と決めてから5年間は、売れっ子のオペラ歌手になるという将来を疑うことはありませんでした。 オペラを歌うことが、自分の天職だと思っていました。 僕は、演奏会やコンサートの企画こそ、自分にできる重要なミッションだと思っていました。 そして、それに向いているとも思っていました。 でも、今、僕はシンガーソングライターにもなっていないし、オペラ歌手にもなっていないし、演奏会やコンサートの企画も抱えていません。 ミュージカルの舞台に立ち、歌ったり芝居をしたりしています。 時折、ワークショップの歌唱指導をやったり、自分の地元での新作の舞台に俳優として参加したりしています。 上にあげたもののなかで現実として継続しているのは「サラリーマンにはならない」というところだけ。 夢を描いた時点では、シンガーソングライターも、オペラ歌手も、企画者も、どれもやりたいことだったのに。 -------- やりたいことをやり続けることというのは、本当に難しいことです。 時間や、仲間のことや、お金のこと、あるいは家族のこと。 そういった様々な要因で、「やりたかったこと」を断念しなければいけないことは、人生において多々あります。 あるいは、「やりたいと思っていたこと」なのに、それが「本当にやりたいことなのか?」と疑問に思う瞬間も、でてきたりします。 あるときまでは、一心不乱に「これこそ私の生きる道」と向き合ってたことなのに、ふと考えると「これが本当に私の生きる道なのか?」と思うことがあります。 そういう瞬間に出会うと、多くの人は、ちょっとした寂しさと困惑を感じるのだと思う。 僕自身もそうだったし。 「これまで僕が信じてきた思いは、薄っぺらかったのか」 そう自問自答したり。 -------- 僕は今、ミュージカルの舞台に立ったり、ワークショップの歌唱指導をしたりしています。 これらは、僕にとって「とてもやりがいのある仕事」です。 常にチャレンジングだし、人との関わりを大切にした上で成り立つ仕事だし。 表現をするということも僕の気質に合っている。 けれどその傍らで、「シンガーソングライターになりたい」「オペラ歌手になりたい」「良い企画をたくさん立ち上げたい」という思いも、いまだに持っています。 人生のある段階でそれらを断念したからって、「一生それについて夢を抱かない」と決めたわけじゃないから。 いまはもしかしたら、シンガーソングライターやオペラ歌手や企画者をやるべきタイミングじゃなくって、 ミュージカルの舞台で経験を積んで、あるいはストレートの芝居なんかにも進出して実力と知名度を身につけて、 その上で、次のステップとして胸のなかに抱えている夢を叶えるための直接的な行動を取り始める時期がいつか来るんじゃないか。 そう思っています。 同じことをやり続けることの美徳、みたいなのは確かにあると思います。 ひとつのことにゴリゴリ向き合って、その道を極めて、常人ではたどり着けないようなところまで到達する。 その凄みは、確かにある。 けれど、あらゆる分野を横断しながら、「自分にとって大切なこと」を追い求める人生も、とっても素敵なんじゃないかと思っています。 じっくりと、本質をみつめれば、あらゆることに共通した「大切にするべきこと」があることが見えてきたりもするし。 たとえば僕は、文化振興や文化市場のクオリティの上昇についてとっても興味があるんだけど、これらを考えるときのキーポイントと、 「美味しい料理を作るためには」や「地域振興を達成するには」みたいな問題解決のキーポイントが、一致しているなーと思う瞬間があったりする。 やはり本質というのは、あらゆる分野で、一致するんだと思う。 おそらく。 僕はいま、迷うことなく、ミュージカルや芝居の道に邁進しています。 そこに、自分の生きがいを見つけているから。 毎日が楽しいし、すべての瞬間にやりがいを感じます。 僕にとって、音楽や芝居は「人生をかけて向き合いたい対象」だから、きっと年を取っても、死ぬ間際でも、音楽や芝居のことを考えているんだと思う。 そういう対象に、いまの段階で出会えた僕の人生というのは、ある意味とっても幸福だと思う。 ほんとに。 けれど、もしかしたらある地点で、「さらに人生をかけたいこと」に出会うかもしれない。 それはほんとにわからない。 人生何があるかは予測できないから。 だけれど、そのときのことを考えながら「いつか別の何かに出会うかもしれないから、いまは目の前のことをほどほどにしておこう」とはぜったいに思わないわけで。 ひとまず、僕自身に与えられたフィールドで、僕自身がやりたいと思うことに必死に取り組む。 毎日、トライアンドエラーを繰り返す。 それこそ、僕の考える「楽しい生き方」だと思うから。 もしいま目の前に、「これに携わっているときが幸せだ」と思う対象があるのなら、ぜひそれに一所懸命に取り組んでください。 それが、仕事であれ、趣味であれ。 あるいはボランティアであれ、遊びであれ。 目の前のものに没入すれば没入するほど、きっと、「本当の自分」が見えてくるはずだから。 そして、「本当の自分」が見えてきたときに、それを恐れないでください。 それはまぎれもない、あなた自身だから。 大切にすべき存在だから。 「本当の自分」が見えてきたなら、その声に必死に耳を傾けて、心のままに行動してください。 これまでああしてきたのにそれを捨てるのはもったいない、なんて思わずに。 そうやって、常に自分の心に耳を傾けて生きることこそ、幸せを導いてくれるはずだと、僕は考えています。 あなたの人生に、幸あれ。 僕は、いつも応援しています。

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ここに幸あり: 二木紘三のうた物語

幸 あれ 意味

読経にはどのような意味が込められているのですか? お経をあげることには、二つの意味があります。 ひとつは、亡くなった方へのご供養です。 では、供養とは何でしょうか。 仏教では輪廻転生の思想の元、亡くなられた方が再び生まれ変わると考えます。 亡くなって輪廻されたばかりの人は幼い子供と同じです。 そのため、その魂にたくさんの栄養を送る必要があります。 これを、栄養を供えると書いて「供養」と呼ぶのです。 お経をあげることで、魂に栄養をお供えする、これが読経の一つ目の意味になります。 もう一つの意味は、生きている人を励まし、教え導くためです。 お釈迦様からの教えを僧侶が代弁し、列席者の人たちに伝えるため、ということになります。 般若心経の教えとは 般若心経とは仏教のうち、大乗仏教の 「空」、 「般若」の思想を説いた経典です。 「空」とは、すべての存在は因縁によって生じたものであり、実体のないものであるとする思想のこと、また般若とはいわゆる「悟り」のことを指します。 その昔、玄奘三蔵、つまり三蔵法師がインドから持ち帰った経典が般若波羅蜜多経です。 サンスクリット語を漢語に訳し、600巻ほどにまとめられています。 この般若波羅蜜多経の中から、さらに大乗仏教の神髄というべき部分を抜粋し、わずか300字ほどにまとめあげたものが般若心経です。 般若心経はものごとや思想にとらわれて苦しむことのないよう説くもので、仏教の宗派の多くはもちろん、仏教を離れた場でも読まれることがあります。 江戸時代には文字の読めない人のために「絵般若心経」という、内容を絵で表現したものが作られたほど、人々に親しまれてきたお経です。 現代でもさまざまな解説本が出版されるなど、その教えは絶えることなく受け継がれ、人々の心に感動と癒しを与え続けています。 般若心経の意味を流れに基づいて解説 般若心経は300字ほどと、短くシンプルにまとめられているため、一般の人でも覚えやすいお経となっています。 しかし、ただ唱えるのではせっかくの教えが身に入りません。 それはなんとももったいないことです。 般若心経の意味を知っていただけるよう、その流れに沿って解説していきます。 以下が般若心経の全文です。 観自在菩薩行深般若波羅蜜多 時照見五蘊皆空度一切苦厄 舎利子色不異空空不異色 色即是空空即是色受想行識亦復如是 舎利子是諸法空想 不生不滅不垢不浄不増不減 是故空中無色無受想行識 無限耳鼻舌身意無色声香味触法 無限界乃至無意識界無無明亦 無無明尽乃至無老死亦無老死尽 無苦集滅道無知亦無得 以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多 故心無圭礙無圭礙故 無有恐怖遠離一切転倒夢想究境涅槃 三世諸仏依般若波羅蜜多 故得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪是無上呪是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝菩提僧莎訶 般若心経 まず、1行目は観自在菩薩、つまり観音菩薩が悟りを求めて修行される中で、五蘊(この世を構成するあらゆること)は空であると悟られた、と書かれています。 2行目、3行目の頭にある「舎利子」とは古い弟子のシャーリプトラのことで、彼に向って呼び掛けているわけです。 その内容は、2行目が「シャーリプトラよ、この世のあらゆるものには実体がない(空)。 それは人の肉体や感覚でも同じことである。 」 3行目が「シャーリプトラよ、実体がないのだから、生まれもしないし、消えることもない。 汚れることもないし、清らかでもない。 増えることも、減ることもない」というものになります。 4行目から8行目は、空の思想についての解説です。 3行目から引き続いて、シャーリプトラへ呼びかけています。 「ほんとうには、人の体や心が感じることや、考えることはすべて存在しないのだ。 それらを知らないことから起こる、悩み苦しみも存在しない。 しかし、老いも死も避けることはできず、悩み苦しみは尽きることがない。 それらをすべて解決などできないし、その方法を知ることもできない。 そこで、すべてのことにこだわりを持たず、欲望から離れることでこそ、悟りを得て涅槃へと至ることができるのだ。 」 9行目から11行目は、その悟りを得るための真言についての解説です。 「偉大な真言が、悟りへと導いてくれる。 その真言は次のようなものである。 」 そして、12行目、いよいよここが「 ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」のところです。 「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶( 往き往き、彼岸に往けるもの、その者こそ悟りである。 幸あれかし。 )」 以上が、般若心経の意味になります。 内容は現代語によって変わる場合も 現在、般若心経は書籍やウェブサイトなど、さまざまな形で触れることができます。 しかし、そのどれもが同じ言葉ではありません。 元はサンスクリット語であったものを漢語に訳し、さらにそれを現代語に訳しているためです。 また、解釈も人によって多少異なります。 そのため、それぞれで意味が異なるように感じられる場合もありますが、言わんとしていることは同じです。 まずは親しみやすい現代語訳で、般若心経に触れてみてください。 いい葬儀で葬儀場・斎場を探す エリアを選択してください 北海道・東北地方 探す• 関東地方 探す• 中部地方 探す• 関西地方 探す• 中国・四国地方 探す• 九州地方・沖縄 探す• いい葬儀の鎌倉新書が運営するサービス•

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