フェンシング 日本 代表。 「マイノリティに居場所ない」元フェンシング女子日本代表・トランスジェンダー活動家の杉山文野さん

フェンシング日本代表選手30人【メダル候補は?2019年版】

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プロジェクト本文 ワールドカップで勝利したい。 フェンシングをもっとメジャーにしたい。 そして、世界の舞台で通用する自分になり、2021年、日本でフェンシングクラブを開きたい。 みなさま、はじめまして。 フェンシング女子日本代表の櫛橋茉由と申します。 私は今、フェンシングの本場イタリアで活動しています。 活動費は全て自分でまかないながら、ギリギリのお金で活動し日々腕を磨いています。 私の目標は全日本選手権で優勝すること。 そして、世界ランキングを上げ、ワールドカップでBEST32に残ることです。 そして、その経験を生かし、将来日本でフェンシングクラブを立ち上げ、プロコーチとして起業することです。 4年間の実業団時代に貯めた資金を利用して、現在イタリアでフェンシングと向き合い武者修行をしています。 2年前、一人でイタリアに渡って参りました。 それから時が経ち、現在は日本ランキングが上位になり、ナショナルチームとしてW杯を転戦中です。 今回、私は自身のファンクラブをこちらで立ち上げます。 ナショナルチームとして世界を転戦するための活動費のスポンサーになって頂ける人を探しています。 まだまだ自分一人で夢を叶えるために、代表チームとイタリアを往復しながら活動していくには金銭的な困難があります。 もし、皆様の温かい応援で私の夢を応援いただけたらこんなにうれしいことはありません。 どうか私の大きな夢の実現を一緒に叶える仲間になっていただけないでしょうか? そして、私はこうしてクラウドファンディングを通して、お会いできた方々とどんどん関わっていきたいと考えております。 私は28歳、まだまだ未熟者です。 この場は、様々な魅力的な方々と出会える場であると感じております。 私の活動によって、東京オリンピックまでにフェンシングを知ってくださる方、応援いただける方がどんどん増えていってくださるような、ファンクラブにしたいです。 私の種目である女子サーブルは、オリンピックのメダルが有力視されています。 そんな私のフェンシング活動にご興味をお持ちいただける方が増えていくことを願います。 そして、もしよろしかったら、こちらで私と繋がっていただけたらすごく嬉しいです。 自身の活動は KUSHIZZI PROJECT と命名し、Facebook または ブログにて日々活動報告を行なっております。 フェンシングを始めたきっかけ 私がフェンシングに出会ったのは中学一年生の時です。 小さな頃から剣が好きで、入学した学校にたまたまフェンシング部があったので入部しました。 かれこれ15年、人生の半分以上をフェンシングと共に毎日を過ごしています。 中高大と学校のフェンシングクラブで活動し、その後社会人の実業団に入り活動を行ってきました。 夏、日本に帰った時などは、普及活動にも力を入れています。 子供達にレッスンをし、フェンシングを教えています。 私のイタリアのクラブに日本代表ジュニアチームを招き、今年1月に合同合宿を行いました。 また今年の8月にはイタリアのクラブが主催する国際合宿に日本代表を招致しました。 2017年3月のアテネW杯にて、ようやく予選を勝ち上がることができました。 次回のW杯は5月に行われるモスクワグランプリに参戦します。 私は、フェンシングがもっと強くなりたい!そしてこれからフェンシングを始める子供達がフェンシングを誇れるような環境を作りたいと思いながら活動しています。 そのためには、人気や実績が必要です。 そのため私は、4年間実業団に所属しながら資金を貯めて、2年前からフェンシングの本場イタリアで活動を開始しました。 イタリアは世界で一番、フェンシングでメダルを獲得している国です。 日本とは競技人口や設備などが全く違っています。 そこで学び、自身を磨き、いつか日本に還元したい。 その思いでイタリア行きを決めました。 しかし、イタリアで練習を重ねながら、ナショナルチームの活動のために日本に戻ってという生活を繰り返すうちに、資金的にどうしても難しいという状況が生まれてしまいました。 そのため、こうしてプロジェクトを立ち上げさせていただいております。 【資金の使用使途】 ファンクラブの資金は、主に日本代表の遠征費(イタリアから日本までの交通費やW杯の転戦費用等)、フェンシングの用具購入費用等として活用させていただきます。 また、イタリアでフェンシングのコーチングを学ぶ費用としても活用させていただきます。 【まとめ】 私はフェンシングという競技と出会って、本当に幸せです。 現在競技人口は増え続けていますが、フェンシングをより日本でメジャーにしたい。 フェンシングを通して、沢山の人と関わり、周りの人に笑顔が生まれるような挑戦にしたいです。 そして、多くの子供達が世界で活躍できる土壌をどうしても作り出したいです。 そのためには、国中に300を超えるクラブがあるイタリアで、コーチングを学び、システムを学び、選手としての技術を学び、日本に還元していきたいと考えております。 現在、国外で活動するナショナルチームの選手は数名いらっしゃいますが、見ず知らずの国に飛び込み、ずっと活動を続けているのは私だけです。 無謀でした。 本当に無謀でした。 2年前。 そんな私が2年経ち、舞台を日本国内の試合から、世界の舞台にようやく移すことができました。 どうか私の夢を応援して頂けたらうれしいです。 温かいご支援をどうぞ、よろしくお願い致します。 これから、日本の選手が世界に飛び立ちやすくなるような道を開きたい。 そして、常に国際的視点で物事を捉えていたいと思います。 そんな私のファンクラブです。 よろしくお願いいたします。

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フェンシング女子の美人、かわいい選手10人【世界中から】

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「完全に燃え尽きて辞めるっていうのであれば、スッキリして終われたんですけども『復帰したかったけどできなかった』というのがあって、自分の中にモヤモヤが残って引退したという形でした。 ただ、その時は復帰できなくてもいいから元の身体に戻りたい。 歩けるようになりたい。 それだけしか考えてなかったですね」 10万人に5人の割合というこの病気の治療法は確立されておらず、まだ国の難病にも指定されていない。 最終手段として脊髄にペースメーカーを入れて脳と脊髄の伝達を停止させる療法を施したが、これも効果はなかった。 「痛みは我慢しています。 治療法が無いので、ガンの治療で使う痛み止めの薬を当てたんですけどもそれも効かなくて。 病気が転移する可能性もあって、麻痺が右にも移るかもしれないですし、切断の可能性もあります」 現在も両下肢機能障害, 左下肢不全麻痺、そして転移の恐怖と向き合っている。 長期間の入院生活を終え、車いす生活となった河合をさらなる試練が待っていた。 実家に戻り、治療できる可能性を信じて病院に通った。 しかし医師たちは「心因的な病気ではないか」と診断した。 行く度に精神科の病院を紹介され、抗うつ剤を処方された。 その影響で大きく体重が減り、家で寝たきりの生活になってしまった。 周囲には心の問題ではないことを理解してもらえず、孤独な日々が続いた。 「誰とも喋れない、引きこもりの状態で体も動かないという生活が1年以上続いていて、ご飯も食べれない。 生きるか死ぬかというくらいになっていきました。 そうなっていくと『やっぱりあなたは心の問題です』ってなるんですよね」 しかし、このままでは終わらなかった。 自分で何かを変えなければならない気持ちは常に持っていた。 環境を変えれば何かあるのではないかと思い、まずは実家を出ることにした。 「自分の中ではやっぱり変わりたかった。 環境変えれば何か変わるんじゃないかと思ってまず実家を出て一人暮らしをしようと思って。 そこから徐々にですけども社会復帰をしました」 富山県内に引っ越し、仕事も再開して数カ月経った頃、ある出来事が河合の心を動かした。 17年12月、大学の後輩である田中志穂選手(秋田・北都銀行)がバドミントンの国際大会で優勝した。 このニュースを見て、眠っていたスポーツへの情熱が奮い起こされた。 「田中選手の活躍を見て、『もう一回私も輝きたい』と思いました。 バドミントンを辞めてからいろんなことを試したんですけども、自分らしくいられるのはやっぱり昔からやっていたスポーツが一番だと思いました」 当初は車いすバドミントンで競技復帰することを考えた。 しかし、自身の持つ障がいでは競技のカテゴリが合わず、断念せざるを得なかった。 そこで、新たに競技を探そうとインターネットで調べ、車いすフェンシングが女子選手を募集していることを知った。 対人競技や駆け引きという点でバドミントンと共通していること、そして選手人口がまだ少なくパラリンピック出場の可能性があると考え、フェンシングに挑戦することを決めた。 18年9月から本格的に競技を始めた。 車いすフェンシングの拠点が京都にあるため、富山から毎週通った。 しかし、大きく痩せた影響で握力は8しかなく、剣を1分持つのも精一杯の状態だった。 「監督からもやめたほうがいいんじゃないってずっと言われていて。 でも私はやりますと。 ずっと辛かったです最初は。 病気を抱えながらなので、体も相当しんどくて」 それでも気持ちが折れることはなかった。 自らの意思で這い上がり、掴んだチャレンジの機会を簡単に手放すわけにはいかなかった。 長期間のブランクを取り戻すこと、バドミントンとは違う体の使い方をマスターするため、富山で週2回のトレーニングを積みながら週末は京都に通う生活を続けた。 その一方で、国内外の遠征費や道具の購入など多くの資金が必要になった。 自費では限界があるため、スポンサーを募りクラウドファンディングで150万円ほど集め、資金調達も行った。 さまざまな努力が実を結び、19年9月には韓国で行われた世界選手権に日本代表として出場した。 競技を始めて約1年という異例の速さでの選出だった。 翌月にはアスリート雇用でIT系の会社に採用され、20年4月からは地元企業である株式会社富山環境整備に所属することになった。 引き続き東京に拠点を置きながら練習を続け、環境面と資金面で全面的なバックアップを得ることになった。 さらに日本ダイバーシティ・スポーツ協会が中心となり、「TEAM SHINO」を結成。 身体のケアからメンタル・栄養面などのサポートを継続的に行っている。 東京パラリンピックに出場するには、世界ランク8位以内に入ることが条件になる。 新型コロナウイルスの影響で予定されていた国際大会が中止となった。 しかし、パラリンピック自体が延期となり、再度行われる可能性のある選考会に向け準備を重ねている。 「東京に出られたら、私は自分の力を今できることを全て発揮して次のパリパラリンピックにつなげられるようなプレーをしたい。 そしてやるからには勝ちたいです」 今は東京そして次のパリでメダルを獲ることを目標にしている。 その先にあるパラアスリートとしてのビジョンについても、気持ちが溢れ出すかのように語った。 「フェンシングを極めていきたいです。 バドミントンをやっていた時も思うように結果が出なかったのでやめられなかった。 youtube. 1242. diversity-sports. spportunity.

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国内ランキング | 公益社団法人 日本フェンシング協会 公式サイト

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太田雄貴選手が活躍したことで、一躍有名になったフェンシング。 東京オリンピック2020でも、フェンシングを盛り上げてくれる選手がたくさん出てくれることを期待したいですね。 今回は2020年東京オリンピックに出場が予想される、フェンシングの日本代表候補選手をご紹介します。 東京オリンピック2020 フェンシングの日本代表選手候補は誰?男子 【見延 和靖(みのべ かずやす)】 生年月日:1987年7月15日 出身地:福井県 所属:NEXUS 中学時代はバレーボール部に所属しており、フェンシングは高校に入学してから始めました。 大学4年生の時に、全日本フェンシング選手権で、男子エペ団体の強豪チーム「NEXUS」を下して優勝し、卒業後はNEXUSに入社し、活躍しています。 2016年、リオデジャネイロオリンピックに出場しています。 【松山 恭助(まつやま きょうすけ)】 生年月日:1996年12月19日 出身地:東京都 所属:早稲田大学 4才の時に地元台東区のフェンシングクラブでフェンシングを始めました。 その後、早稲田大学フェンシング場内で活動する早稲田クラブで中学時代はフェンシングを続けました。 高校時代は、国立科学センターのオリンピック強化施設で練習を続け、インターハイ男子個人フルーレで3連覇を達成しました。 大学に入学してからは、世界ジュニア選手権大会で団体戦金メダル、個人戦銅メダルを獲得し、アジア選手権団体では銅メダルを獲得しました。 【徳南 堅太(とくなん けんた)】 生年月日:1987年8月17日 出身地:福井県 所属:デロイト トーマツ コンサルティング 高校時代の恩師、諸江克昭先生に誘われフェンシングを始めました。 2014年、デロイト トーマツ コンサルティングに入社してからめきめきと頭角を現し、2014ン全日本選手権個人3位、2015年東京都大会優勝、2016年アジア選手権個人3位という成績を残しており、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場しています。 【西藤 俊哉(さいとう としや)】 生年月日:1997年5月29日 出身地:長野県 所属:法政大学 小学3年生の時に出場した大会のイベントで、太田雄貴選手と権を交える機会があり、太田選手のように強くなりたいとの思いからJOCエリートアカデミーに入りました。 2013年世界ジュニア選手円大会・フルーレで銅メダルを獲得し、同年、世界選手権の日本代表に選出されました。 【敷根 崇裕(しきね たかひろ)】 生年月日:1997年1月27日 出身地:大分県 所属:法政大学 元フェンシング選手の父を持ち、小学生の時にフェンシングを始めました。 高校2年生で出場したインターハイで団体優勝、個人フルーレ3位、高校総体エペで優勝しました。 2015年、世界ジュニア選手権に出場し、個人、単体ともに優勝しました。 日本オリンピック委員会(JOC)が決定したNIPPON ATHLETESマーケティングプログラムにおける「2016年 ネクストシンボルアスリート」の最初の15選手の一人に選ばれてます。 東京オリンピック2020 フェンシングの日本代表選手候補は誰?女子 【西岡 詩穂(にしおか しほ)】 生年月日:1989年2月23日 出身地:和歌山県 所属:NEXUS 小学6年生の時にお父さんに勧められ、フェンシングを始めました。 中学3年生で全国大会で優勝し、高校、大学でもフェンシングに打ち込みました。 2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックと、2大会連続でオリンピックに出場しています。 【宮脇 花綸(みやわき かりん)】 生年月日:1997年2月4日 出身地:東京都 所属:慶応義塾大学 お姉ちゃんがフェンシングをしていたことから、5才からフェンシングを始めました。 小学4年生の時に全国大会で優勝。 さらに小学5年生で日本代表として、フランス遠征で180cm以上の海外選手と戦った経験があります。 2013年全日本選手権17位、2014年世界ジュニア選手権(20歳以下)で銅メダル、ユースオリンピック銀メダルという成績を残しています。 【佐藤 希望(さとう のぞみ)】 生年月日:1986年7月3日 出身地:福井県 所属:大垣共立銀行 高校時代の体験入学で初めてフェンシングに出会いました。 中学時代は剣道部に所属、高校から始めたフェンシングで頭角を現し、高校3年生の時にインターハイに出場、世界ジュニア選手権にも3度出場しています。 2012年、ロンドンオリンピックに出場後、けっこん・出産のためにフェンシングを2年間休業したのち復帰し、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場しています。 【青木 千佳(あおき ちか)】 生年月日:1990年2月21日 出身地:福井県 所属:NEXUS 高校生の時にフェンシングを始めました。 2013年「全日本選手権個人戦女子サーブル」で全日本選手権初優勝、2014年全日本選手権個人戦女子サーブル」で優勝し全日本選手権2連覇を達成しました。 2015年アジア選手権では自己最高の銀メダルを獲得し、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場しています。 まとめ フェンシング界の第一人者ともいえる太田雄貴選手が引退し、これからフェンシング界を引っ張っていく選手たちの顔ぶれは、若手も含め大変楽しみです。 東京オリンピック2020のフェンシング競技で、輝く笑顔を見せてくれることを期待して日本代表候補選手をご紹介しました。 以上、「東京オリンピック2020 フェンシングの日本代表選手甲はは誰」でした。

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