エモい 90年代。 新語「エモい」の由来とは。80年代米ハードコアパンクシーンから起源をたどる(音楽ライター)

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エモい 90年代

The Get Up Kidsは、USのエモバンドだ。 ポストロック的な要素は存在していない。 ガチガチのエモだ。 この「Something To Write Home About」という名作を残してこの世界を去ってしまった 嘘 1999年にリリースされた本作は、エモ界隈で一気にバカ売れし、一気に伝説的な立ち位置にまで上り詰めた。 その最大の理由は、エモの概念を一段階アップデートしたことにあると思っている。 今の日本に蔓延している聴きなじみの良いスクリーモ系バンド界隈の音楽は、このアップデートされた概念を土台としていることは間違いない。 では、彼らは「エモ」のどの部分をアップデートしたのか。 このバンドは、90年代エモの「陰湿さ」を排除したと思っている。 Sunny Day Real Estate周辺から始まるエモ特有の「孤独性」は、極論を言えば、当時の「エモの定義」であった。 The Get Up Kidsは、それに対して真正面からNoを突き付けたバンドのように思う。 キャッチー性を取り入れるには、「ポップ」との迎合を果たすことが必要条件になるわけだが、今までそれを完璧に排除してきた「エモ」という界隈が、その領域に一歩踏み出すようになったきっかけとなったわけだ。 これはどう考えても「エモのアップデート」だろう。 話を戻すが、この「Something~」は、どの曲を取ってもシングルを貼れる程の名曲揃いだ。 1曲目の「Holiday」は、今や皆さんが1回は聴いたことのあるようなサウンドで溢れている。 非常に聴きやすい。 ただ、忘れてはいけないのは、彼らは決して「エモ」から外れるような真似は一切していないということだ。 彼らは、エモの精神性として最も重要な「内省」というエッセンスをしっかりとおさえている。 このラインの絶妙な引き方こそが、彼らを「別ジャンル」ではなく「エモのアップデート」という立場で評価するポイントなのである。 遠回しでまどろっこしいな。。。 つまりどういうことか。 彼らは、「内省」の範囲を「個人 person 」から「家族 home 」に拡げたのだ。 「Something to Write Home About」は「きわめて素晴らしいこと」を表す慣用句だ。 直訳すれば「家族に一筆かくレベルのこと」である。 「身に染みる」という意味の「Close To Home」でも使われていることから、この作品において「Home」がテーマになっていることはもはや言うまでもないだろう。 これは完全に僕のイメージだが、この作品は、 「受け止める」ことで「帰るべき場所」を用意する。 という最大のテーマが存在するのではないかと思う。 この「受け止める」という行為は「個人」レベルの内省では発生し得ない。 その範囲を「別の誰か大切な人」にまで広げることができないと、この作品を描くことはできないと思うのだ。 具体的な楽曲の説明は敢えてしない。 僕が言っていることは、おそらくこの作品を聴けばわかってもらえると思う。 「エモ」に「帰るべき場所 Home 」という概念を与えたことは、今のエモにも多大なる影響を与えているに違いないと、僕は思うのだ。 こういった意味でも、The Get Up Kidsというバンドはエモ界隈で「特筆するべき」バンドの一つと言えると思う。

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エモい 90年代

今回は子どもの頃に読んで人格の形成に大きな影響を与えたのではなかろうかという漫画作品をいくつか挙げてぐだぐだ語る回であります。 1982年生まれの僕にとっては90年代前半の作品が世代的にはど真ん中なわけなのですが、家庭の事情的なものもあり、それほど同年代の子供と同じものを読んでいたわけでもありませんでした。 というのも、母親の教育方針としてはコロコロコミックや少年ジャンプ等の少年漫画誌の購入に対して否定的で、定期購読が許されてたのは小学館の学年学習誌(小学〇年生)に限っていたのでした。 父や祖父はそういった母親の方針をあまり気にしていなかった為に不定期でコロコロやボンボン、ジャンプを買って貰っていたし、友達の家に遊びに行けばジャンプもコロコロもあったから、そこまで文化的に断絶した生活を送っていたわけではないけどね。 まあ、そういう背景もあり、雑誌で連載を追うというよりは単行本を買って読むということが多かったと思います。 単行本についても初めのころは藤子不二雄作品以外は母の検閲に引っかかって手に入れることが出来なかったんだけど、いつの間にか規制緩和されて大体のものは読むことが許されるようになりました。 ついでに言うとファミコンもダメだったし、バラエティ番組も見られない(8時半には就寝していた)し、スナック菓子やインスタントフード、炭酸飲料なんかもダメでしたね。 今思えば結構縛りがきついようにも思える。 それでもそれなりに友達は居ていじめられたりしなかったのは環境がよかったのか努力のたまものなのか今となってはわからないけれど、当時は疎外感や劣等感を覚えることも少なくありませんでした。 まあ、中学入ったころぐらいに全部裏目に出てクソ人間になっちゃうんだけどね。 そんな歪な幼少年期を共に過ごした漫画についてあれこれ語っていきたいというわけでございます。 名作集でもマニアックな作品紹介記事でもないです。 説明は不要。 初めて触れた漫画。 大切なことはすべて漫画から教わったって言葉あるけど本当にその通りで、本作から様々なことを学んだように思う。 まさに自分にとってはバイブルなんだけれど、本作を神格化してしまうのは作者に対しても作品に対しても非常に失礼な気がしてしまう。 あくまで生活ギャグマンガであって、娯楽である。 教育的な観点からありがたがってちゃいけない。 漫画なんてゲラゲラ笑ってくっだらねえなーって思うぐらいでちょうどいい。 そうやって自分の血肉になるのだから。 初期15巻ぐらいまでのテンションの高いスラップスティックなノリも、後半の啓蒙性の高く落ち着きがありつつも突飛な発想から生まれる日常の中の非日常的な面白さもどっちも好きです。 古典SFのギミックをこども向けに翻訳して普及させた功績は大きいと思う。 初期のころに「ドラミちゃん」のタイトルで別誌にて連載された別作品が加筆修正されてドラえもんの一編として単行本に収録されてるんだけど、知的好奇心をくすぐられる面白さがあって子どもの頃好きだったエピソードの何本かがこっちだったって後から知った。 夏休みの自由研究としてネッシーについて調査したり、海底を歩いて探索したり、山奥の廃村に滞在したり、普段とはちょっと雰囲気が違うのも味があってよい。 ドラえもんというキャラクターについてはのび太の保護者的な立ち位置よりも、初期のころの一緒にバカやってる方が好きです。 あと、本作からは後に芽生える性的趣向において大きな影響を受けました。 無知シチュ、羞恥心への懐疑、CFNM…挙げればきりがない。 俺が女の子に泣きながら叱られたい願望があるのはきっと32巻のせい。 藤本弘はかなりガチだと思うのです。 アレがね。 前述のとおり、うちの母は僕が幼少期のころ教育ママぶろうとしていたのかわからないけれど、ある時期まで漫画に関しては藤子不二雄のもの以外は買い与えないという制約があったみたいです。 小学一年生の途中までかな。 下記のダッシュ四駆郎とか検閲で弾かれたものです。 その代わり当時書店に並んでいた藤子作品は大体買ってもらうことが出来た。 本作はその中でも思い出深い一作。 前半こそ藤子テンプレートな日常ドタバタものではあるけれど、後半は冒険物として非常に面白いのである。 一連の藤子作品の中でもかなりSF濃度が高い。 主人公のエモンは何度となく死にそうな目に遭い、日常の延長にあるドラえもんとは少し違う世界だぞと思ったものです。 91年放送のテレビアニメはあまり見てなかったな。 なんか今っぽくアレンジされてて鼻についた。 当時からなんでも原作原理主義者でした。 あ、モジャ公読んだことないです。 僕は80年代後半から90年代前半にかけての第一次ミニ四駆ブーム直撃世代(のちょっと下の方)なので本作は必修科目であります。 ただのコロコロ玩具タイアップ荒唐無稽漫画と侮るなかれ。 いや、確かに滅茶苦茶なことやってる漫画ではあるんだけれど、本編の合間合間に挟まれる泥臭い人情噺がね、たまらないんですよ。 例えば、主要キャラのひとりであるキザな金持ちの進駆郎は、過去父親に引き取られる形で母親と離別しており、結果として何不自由ない生活を手に入れたが本当に幸福だったのは母と姉と3人で暮らしたボロアパート住まいの生活だった、とか、本当は気弱でおとなしいがメイクをするとバリバリのヘビーメタル野郎になるパンクロー(メタルなのにパンクロー)が音楽の才能を認められてバンド活動に参加し熱狂的な人気を得るが、自分が本当にやりたいことは音楽なのかミニ四駆なのか苦悩する話とか(音楽やったほうがいいよ絶対)、子供心には結構ハードなドラマが展開されております。 今読むと、出てくる大人がひどいのばっかで笑ってしまう。 子供の目から見た大人ってことなのか。 この時代ぐらいまでのコロコロ作品は線がぶっとくて良いのである。 僕より3歳年下あたりになるとミニ四駆漫画はレツゴーになってしまうみたいです。 もうひとつミニ四駆漫画を。 これはちょっと知名度が低いのかな。 小学館の学年誌連載で、初期のドラえもん同様に学年別に描き分けられたため単行本未収録が多い模様。 そのせいなのか個別のエピソードを単行本化の際に加筆して無理矢理くっつけたみたいな滅茶苦茶な構成になってて少しがっかり。 第1話だと思われる主人公トップが愛機ライジングバードを入手するくだりが二回もあったり、おそらく最終回だと思われる話が最終巻の中ごろに載ってたり粗雑な構成である(作者に非はない)。 それはともかく、Gペンのぶっとい線で描かれた泥臭くも元気な子どもたちの真剣勝負と熱い友情は大人になった今読んでも十分面白いと思える。 なんというかすごく健全で溌剌としていて、根暗なおじさんとしては嫉妬すらしてしまうのであった。 この時代のジャリ漫の世界はマジで尊い。 大人がしゃしゃり出てこない(悪の組織だとか)のも良い。 当時のミニ四駆漫画としては比較的無理がなく理論的な改造をしているんじゃないかな。 まあミニ四駆から発生した重力でコースが崩壊するとかケレン味もたっぷりですけどね。 というかコースが壊れる展開が多い。 女の子があんまり出てこない作品なんだけど、主人公トップの姉がすんごい可愛いです。 あんまり出番無いけど。 なぜか両親が不在で姉との二人暮らしをしている上に、姉はラーメン屋を切り盛りしているという何ともハードでたまらない設定なのである。 作中では姉というより母親的な役割を担ってるけど姉は姉なのです。 怪物くんのヒロシも姉しか家族がいなかったけれど、何故かこういう設定に僕は憧れがあるようです。 kindle unlimitedで読めるので無料期間のうちにでも是非。 現在はプロ野球には全く興味がなく、中田翔が野手なのか投手なのかすらわからなかったり、球団名すらまともに答えられないひどい野球音痴な僕ですけど、平成初期の時代に限ればそこそこに選手の名前と顔が一致します。 それは紛れもなく本作とファミスタのおかげである。 過度にデフォルメされた選手たちのかけあいはバカバカしくてある意味正当な低年齢向けギャグマンガだけれども、似てる似てないはまあ置いておいてデフォルメの仕方になかなかセンスを感じるのですよ。 桑田がとにかく腹黒くて陰湿でダーティに描かれていることに対して、幼少期の僕は桑田投手は不愉快じゃないかななどと心を痛めましたが、今思うと桑田のダーティさはもう芸の域だなとさえ思うわけです。 笑えるからいいよね。 清原はもう笑えないからね。 こういうデフォルメの面白さって結構大人向けっぽいと思うんだけどね。 元々いしいひさいちとかの領分だしね。 まあ選手知らなくても子供が笑えるように出来てるからいいんだけど。 今描いたら桑田の息子ネタとか出るのだろうか。 桑田の息子は…笑えないなあ。 トラウマその1。 学校の図書室にあったのは角川のハードカバーのやつで表紙がまず怖い。 手塚の絵のタッチは丸っこくて可愛らしいはずなのに、どこか不気味で恐ろしく感じてしまうのは幼少期に本作を読んだからだろうか。 死ねない体の恐怖。 宇宙で永劫の孤独にさらされる恐怖。 順番に首を切られる列に並ばされる恐怖。 生きたまま顔の皮を剥がされて動物の皮をかぶせられる恐怖。 とにかく8歳や9歳程度のこどもには到底想像のつかないフリークスな描写に毎度毎度ショックを受けていたのです。 本来青年向けの作品なので露悪的な描写も多いんだけど、ちょうど手塚治虫が亡くなった直後ぐらいで再評価&神格化されてた時期でもあり、どこの学校にも本作やブラックジャックは置いてあったものです。 PTAの方々はちゃんと読んだことあるのかな。 もちろんどうしようもなく名作ですけどね。 二十歳すぎてから朝日ソノラマ版で全部そろえた。 表現がトガり過ぎてる。 トラウマその2。 これも学校の図書室で借りて読んだな。 とにかくピカがドンした直後の描写がキツい!キツすぎる。 直前が割と牧歌的なシーンだったこともあって緩急がエグすぎる。 焼け爛れた人たちが呻きながら川を目指すシーンは状況も絵のタッチも何もかもが強烈で、忘れることのできない心の傷になってる。 でも本作の本当の怖さはその後も延々と後遺症に苦しむ人たちが出てくることで、どんどん体が無くなっていく画家(名前失念)だとか目をそむけたくなるエピソードばかりだ。 当時二年生ぐらいだった自分は今突然自分の住む町に原爆が投下されたら、という想像を膨らませすぎて布団の中で泣いてたりしたものです。 改めて読みなおすと政治思想的に色々思うところはありつつもエンタメとしてすごく面白い作品だったりする。 ゲンて最初小学二年生なのかよ。 少々無理があるだろ。 トラウマその3。 とはいっても上記の二作品とは意味合いが違いますが。 小学3年生のときに友人の家で読んだんですよ。 しかも友人の姉の所有物であったことが余計に作用してしまった。 それまで、僕の中における創作物のキャラクターというものは、男の子は潜在的にスケベであり、女の子はスケベに不寛容であるという絶対の不文律があったのだけれど(藤子漫画的世界観)、本作では女子が男子を丸裸にして嘲笑し凌辱するといったシーンが数多くあり、当たり前だと信じて疑わなかった価値観がガラガラと崩れるのを感じたのでした。 しかもこんな不道徳なものを読んでいる女子(友人の姉)の存在が男兄弟しかいなく性的なものにクローズドな家庭で育った自分には全くの異文化に映ったのです。 ゼントラーディの気持ちがよくわかる。 ヤック・デカルチャー。 今読むとえらいくだらないです。 期待して読むと肩すかされるよ。 トラウマその4。 これに関しては…多くを語るまい…。 表紙デザインもけっこうアレなんで文庫版ね。 僕が永井豪作品で最初に触れたのはデビルマンでもマジンガーZでも魔王ダンテでもバイオレンスジャックでもなく本作である。 頭おかしいよ。 じゃあ本作と全然関係ない話をしますね。 インターネットというものが普及どころかその概念自体が軍事関係者や一部のSF愛好者の間でしか認知されていなかった時代においては、自分たちのごく身近に確実に存在はするであろうけれど、絶対に目にすることのできないものというものが確かにあったのだ。 「それ」はわずか厚さ数ミリの壁の向こう側に隠蔽された禁忌である。 「それ」の名前を口に出すことは憚られ、視覚媒体上の記録は塗り潰され、あたかもこの世界に存在しないもののように扱われた。 しかし「それ」は確実に存在するのだ。 僕らは知的好奇心を抑えることが出来なかったが、わずか数ミリの繊維で構成された壁を踏破することも到底不可能であった。 代案として決死の覚悟で入手した極秘資料の数々は既に国家機密さながらに厳重な隠蔽工作がなされたものばかりであった。 大戦中、化学兵器の製造を行っていた島々が地図上に存在しなかったように「初めからそんなものは無い」と塗り潰された箇所が雄弁に語るのだ。 落胆の中、絶念することだけが僕らに与えられた選択肢だった。 僕らは「それ」に少しでも近づく為に自分たちで出来ることを模索した。 導き出されたものはイメージすることだった。 この世の万物は想像力の賜物である。 想像力を働かせろ。 僕らは「それ」の形状や性質について可能な限り想像を巡らせた。 幼年期が終わりを迎え、時代が巡り、世界がワールド・ワイド・ウェブにプラグ・インするまでの間とうとう答え合わせは叶わなかったが、この体験は人生において非常に大きなものを僕らに与えてくれたのだ。 関係ない話をしたが、本作はそういう時代の産物である。 今ならググれば1秒で見られるぜ。 何の話かな。 新装版のデザインしっくりこねえなあ。 ドラゴンボールは物心ついた時にはすでにアニメが放送されていて、なんとなく観てはいたんだけれど、意識して原作漫画を読み始めたのはサイヤ人編からナメック星編のころだと思われる。 俺らの世代の共通言語的なものだね。 本作に関してはストーリーがどうのこうのってよりも、やっぱり超カッコいい絵に憧れたもんです。 特にサイヤ人編以降のカクカクしたシャープな線で描かれたキャラクターが、小学生のハートにビンビン刺さったんだよね。 直線的でシャープなもの=カッコいいみたいなのって普遍的に感じるものなのか世代的なものかはわからないけれど、自動車のデザインとか考えるとあながち間違ってないかも。 超サイヤ人の悟空を上手く描けるとそれだけで人気者になれた時代でしたね。 さて、漫画としてはいわゆるアニメで言うところのZ編(17巻以降)よりも無印時代(~16巻)の方が圧倒的に面白いです。 個人的にはレッドリボン編と呼ばれる二度目のボール集めがとても冒険活劇していて良いのです。 冒険のアクセントとして格闘があるのはいいんだけど、それがメインになっちゃうとなんだかなあって。 なんて当時も思ってはいたんだけれど、当時の子どもの世界ではサイヤ人編以降のバトル漫画としての本作に絶大な人気があったので口をつぐんでいましたね。 絵の面白さで言ったらドクタースランプ(中期まで)のころと比べるとやっぱり劣る。 動かすために線を減らすというアニメみたいなことやってるから仕方ないけれどね。 扉絵みたいな一点もので気合入ってる時はやっぱり圧倒されますけど。 セリフ覚えるぐらい繰り返し繰り返し読んだり、何度も模写したけれど、36巻から先はちゃんと読んでなかったりする。 人造人間編以降はなー。 緊張感が足りねーんだよなー。 突然変異の宇宙最強生物の次が機械人間って言われてもなー。 初期のブルマに性癖(誤用)を捻じ曲げられたお友達も大勢いることでしょう。 これもね、気付いたらアニメが放送されてて、そのあと原作を読んだパターンだね。 放送が終わってしばらくした頃に祖父が古本市だかフリーマーケットだかで20数冊まとまったものを買ってきた手に入れたような気がする。 祖父は母の教育方針とか無視してたな。 原作はアニメとクロスのデザインが違ってうろたえた。 原作初期のクロスすげーカッコ悪いし。 今見るとアニメのジェットヘルメットみたいなやつのほうが変だけど。 前作の男坂が打ち切りの憂き目にあった反動なのか、徹底してヒットする要素を詰め込んだ本作。 まんまと大ヒットして今現在も続編が連載されたりされてなかったりする。 少年たちが協力して世界の平和を脅かす巨悪と戦い勝利を手にするというテンプレートな少年漫画スタイルではあるんだけれど、少し毛色が違うように感じられたのは、星矢たちは結果として世界の平和を守ってはいるけれど、敵対勢力と戦う理由があくまで沙織お嬢様を救出するという一点にあるところではないでしょうか。 戦う理由が個人的なんだよね。 世界がどうとかよりも12時間でお嬢様が死ぬ!って方が大事なんだよ。 世界が巨悪に呑まれることとお嬢様が死ぬことが等価値になってるから別にいいんだけどさ。 星矢たちって正義の味方っぽくないキャラクターをしていると思うんだよね。 ちょっと不良っぽいというか。 車田不良漫画の延長だから仕方ないんだけれど、こういうファンタジー色が強い世界設定でキャラクターが泥臭い(加えて美少年)のって当時は結構ショッキングだったのではないだろうか。 知る由もないけれど。 その結果ロッテン・ガール(腐った女の子たち)に滅法愛されたわけだね。 漫画としてはバトルものに分類されるんだろうけど、全然アクションしない。 ぐだぐだ喋ってドーン!で決着がつくという、ある意味洗練された様式美であり、発明である。 お話の性質上、スピリチュアルな展開が多くてオカルトな雰囲気を纏っているため、7歳や8歳で読んだときは結構怖かったのである。 シャカ戦の六道輪廻で出てくる地獄とかね。 アテナの聖闘士で仏陀の生まれ変わりで最も神に近い男って宗教めちゃくちゃだよなシャカ。 やっぱり十二宮編が一番テンション高くて、ポセイドン編以降はなんだかなあって感じ。 沙織お嬢様の胸に黄金の矢が刺さって大変なことになったけれど、お嬢様はやったらおっぱいが大きいので心臓に届かないのでは?と思った少年は少なくないと思う。 13歳であんなおっぱいしてたらさあ、そりゃあ悪いやつにも狙われるよね。 水攻めとかフェチ度高め。 ドラクエを題材にした漫画と言えば、本作とダイの大冒険、あとアニメだけど勇者アベル伝説なんかがあるけれど、原作のイメージソースである鳥山明の世界観から一番遠い本作が一番ドラクエっぽい気がしてました。 単にお話のベースがドラクエ3だからかもしれないけど。 当時目にした漫画の中では圧倒的に繊細で美麗な画風に心奪われた。 大友克洋ももちろんメビウスなんかも知らない子どもにとってはこの黒ベタの効いたクールなタッチが妙に大人っぽく色気があって、他とはちょっと違うぞと思ったものです。 あと初っ端からメインっぽいキャラが死ぬ。 ルナフレアはともかく、サーバインとか今の漫画だったら死なずに後半で出てきそうなんだけれど、ちゃんと見せ場で死ぬんだよ。 しかも痛々しく焼け死ぬのが非情で良いのだ。 優しくない世界を見せつけられている感じがしてね。 バラモスゾンビの悲哀とか、村人に投石される勇者とか、単純な勧善懲悪では図れない場面が多くて印象に残ってる。 連載が長くて最後まで読んでないんだよなあ。 小5で実際にドラクエをプレイするまでの間、本作とダイ大、アベル、そしてドラクエ4コマ劇場が自分にとってのドラクエでありました。 本書を手に入れた時のことをよく覚えている。 やべーもん買っちまったな…って思ったはずだ。 生まれて初めて買った少女漫画レーベルの漫画で、何か衝動を抑えられなくなって購入に至ったような気がする。 今見ると別に何もやばくないんだけど、3年生ぐらいの男子にとって、女子の世界のものを部屋に置いておくということは背徳行為なのですよ。 同級生に見つかったら平穏無事な学校生活は遅れないことが確定してしまうから。 女の子の世界をのぞき味したような後ろめたさがあったりしたんだ。 これもアニメ先行で入ったクチですけど、原作はアニメよりも若干対象年齢が高くて(というかアニメが低いのだけれど)ちょっと印象が違った。 アニメ版ってペンギン村みたいだよね。 少女漫画の文法に慣れていなかったからなのか、読んでると引っかかる箇所がいくつかあったような。 あんまり覚えてないけどさ。 5巻か6巻の巻末に載ってたヒナコって短編が全然意味わからんくて混乱した思い出。 「ヒナコさんですよね? 図鑑に載ってる」みたいなやりとりがあって、短編なのに何か予備知識が必要とされてる感じに違和感覚えたような。 今読んだらわかるのかな。 わぴこ(すげー名前)が実はすごく頭良いみたいな描写(難解な数式を瞬時に理解するという場面がある)にゾクゾクしました。 こういうデザインのキャラ今でも好きだな。 三つ子の魂百だね。 クワトロ大尉みたいな恰好したやつの声カミーユじゃん。 なんだかよくわからないラインナップになってしまった。 ここで一旦区切る。 続きはまたいつか。

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90年代高校生だった私が考える90年代アニメがエモい理由

エモい 90年代

Mac OS 7くらいの感じ? 1990年代初頭は、まだ80年代の明るさを残した 楽しい時代でした。 そんな良き日々はもう戻ってきませんが、という音楽および映像サイトに飛ぶと、あの時代が懐かしく蘇ってきます。 そこにはいかにも80~90年代の音楽と、当時流れていたCMやインフォマーシャル動画が次々と再生され、なんともいえない フロリダ気分が味わえるのです。 アクセスするところから楽しい アクセスするとまず ブート画面が登場し、そのご 裸の男女が乗馬しているアスキーアートが表示されます。 次いでスペースキーを押してサイトに入ると、 Macの起動音と同じメロディーで「プールサーイド!」という音源が流れます。 そこに広がるのは、懐かしすぎる デスクトップ。 ここでは窓を自由に動かせるだけでなく、どんどん次の曲や動画へと変えることも可能。 いくつか用意されたテーマも変更でき、SNSへのリンクやゲストブックにコメントを残すなど、アチコチ開いて探検する楽しさもあります。 このサイトで皆さん何を感じるでしょうか? とにかく一度、80~90年代の明るい雰囲気と エモさに浸ってみてください。 Source: via• Tags :•

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