セレッソ 掲示板。 セレッソ大阪掲示板

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アウェイカラー テンプレート(ノート)サッカークラブPJ 株式会社セレッソ大阪 CEREZO OSAKA CO. ,LTD 市場情報 非上場 本社所在地 〒546-0034 長居公園1-1 長居球技場内 設立 1993年12月9日 事業内容• サッカー等のスポーツの興行• サッカー等スポーツスクールの企画・運営• サッカー技術の指導ならびにサッカー選手および指導者の養成• スポーツ用品、玩具、衣料・・・等の販売• セレッソ大阪 ( セレッソおおさか、 (: Cerezo Osaka)は、の、をホームタウンとする 、(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 セレッソは、スペイン語で桜の意味を指す語。 概要 [ ] 1957年創部の が前身となり 、1995年にJリーグへ加盟した。 ホームスタジアムはおよび である。 チーム名の「セレッソ Cerezo 」はで「桜」という意味。 桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている。 ホームタウンは加盟当初より2013年まではだけであったが、2014年にが追加された。 はの「」(愛称ロビー。 "高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。 なお、などと区別するため、「セ大阪」、「C大阪」 Cは Cerezoの頭文字 などと略記される。 歴史 [ ] 前身 [ ] 詳細は「」を参照 前身は1957年創部の。 JSL で4回、で2回、で3回それぞれ優勝した。 1993年 - 1994年 JFL [ ]• 1993年 - ヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪が発足。 12月6日 - 大阪・中之島のにて・・などの共同出資による新運営会社「 大阪サッカークラブ株式会社(英語表記:OSAKA FOOTBALL CLUB CO. ,LTD)」の設立と公募により決定したチーム名「 セレッソ大阪」を発表。 大阪サッカークラブ株式会社の初代社長にはプロ化推進室長だったが就任。 1994年 - が初代監督に就任。 3月8日 - 神戸市立中央球技場(現:)にのを迎えてC大阪としての旗揚げ戦を行う。 結果は 0-0 の引き分け。 10月20日 - JFL の最終節前、の影響で延期になっていた(現:)戦で延長後半12分にが決勝ゴールを挙げて勝利して2位以内が確定。 10月23日 - JFLの最終節、戦を勝利しJFL優勝を決めた。 では、、らJリーグ勢を破って準優勝の成績を残した。 1995年 - 2001年 J1 [ ]• 1995年 - Jリーグに加盟。 がを獲得。 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督を辞任。 後任にコーチだったが監督に昇格。 7月3日 - ナビスコカップの戦で8得点。 チーム最多得点記録。 7月27日 - (長居)が改修終了。 それに伴いC大阪のホームスタジアムもから長居へ変更。 としてブラジルのと親善試合を行った(1-3で敗戦)。 5月11日から10月2日 - リーグ戦で5ヶ月間10試合に及ぶ連敗を記録。 チーム連敗最長記録。 1997年 - 監督に元監督のが就任。 カプコンが出資から撤退。 1998年 - が監督に就任。 リーグ戦では34試合中13試合で3失点以上を喫した。 韓国代表のが入団。 4月15日 - 長居での戦で 1-9 の敗戦。 Jリーグ最多失点・得点記録。 8月8日 - 長居での柏戦で 5-7 の敗戦。 試合当りのJリーグ最多得点記録。 1999年 - が監督に就任。 黄善洪がとを獲得。 12月 - 天皇杯を前にレネが監督を辞任し、面を担当していたが監督代行としてチームを指揮。 2000年 - 副島が監督に就任。 韓国代表のが入団。 1月29日 - 大阪サッカークラブ株式会社の代表取締役社長が前任のからに交代。 鬼武は会長に就任。 1月31日 - のと3年間のアドバイザリー契約を結ぶ。 3年後の2003年からは単年契約となったが2005年を最後に契約を満了。 以後バイエルン・ミュンヘンはと業務提携を結んだ。 3月30日 - 大阪市議会において大阪市によるC大阪への1千万円の出資が承認。 5月27日 - と森島寛晃の軸を中心にとのサイドアタックでリーグを席巻。 あと1勝で1stステージ優勝だったが、最終節で残留争いで15位のにで敗れ、ステージ優勝をにさらわれた。 森島と西澤がを獲得。 シーズン終了後、西澤がのへ移籍。 2001年 - 1stステージは16チーム中14位。 7月27日 - 強化担当だったが成績不振を理由に副社長を辞任。 8月20日 - 副島が成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)。 後任はが就任。 11月3日 - 戦に敗れ、J2降格が決定。 カルロスが監督を辞任。 後任にはコーチだったが監督に昇格。 は決勝へ進出したが、に延長の末2-3で敗れた。 なお、J2降格決定から天皇杯の決勝まで7連勝であった。 2002年 J2 [ ]• 2002年 - の代表選手として森島寛晃・西澤明訓・らが選出された。 11月16日 - 第43節の戦に3-0と勝利して、J1復帰が決定。 最終順位は2位。 2003年 - 2006年 J1 [ ]• 2003年 - 1stステージは5位。 2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。 シーズンの残りはヘッドコーチだったが監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、に敗れ、準優勝。 2004年 - 監督就任が決定していたが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。 後任にはヘッドコーチだったが昇格したが守備が崩壊。 1stステージ最終節で最下位争いをしていたにホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。 2ndステージからは前年までの監督だったが指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。 2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位と行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。 2ndステージは12位。 シーズン終了後、大久保がスペインのにレンタル移籍。 2005年 - 小林が監督続投。 GKにからを完全移籍で獲得、DFには優勝メンバーのを7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身のも入団した。 からFW、東京VからMFをいずれもレンタル移籍で獲得。 外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、、、を獲得。 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、のファビーニョやとともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。 後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、で同点に追いつかれ優勝は成らなかった。 翌朝のには「長居の悲劇」との見出しが掲載された。 最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。 また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。 シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。 他にもとを放出 ともにに移籍 し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない 黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰 など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。 2006年- 小林体制3年目。 東京Vからを完全移籍で、をからレンタル移籍で獲得。 新外国人選手ではが入団。 即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていたが入団したのをはじめ、大学選抜で活躍したや、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ、クラブ最年少の16歳でトップチーム昇格を果たした柿谷曜一朗らが入団した。 リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。 4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。 4月22日、戦(アウェイ)で、FWにJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。 6月15日、にレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。 8月13日、磐田から元日本代表MFをで獲得。 以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。 11月26日、大宮戦でがチーム最年少出場記録となる16歳10ヵ月で公式戦デビュー。 12月2日、最終節でに敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。 塚田は降格の責任を取り監督辞任。 後任に東京Vヘッドコーチのが就任した。 シーズン終了後に、大久保嘉人(へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(へ)、(退団後、へ)が退団した。 2007年 - 2009年 J2 [ ]• 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。 完全移籍で(東京V)を、レンタル移籍で(鹿島)、(神戸)を獲得。 逆にレンタルさせていた()と(札幌)、小松塁()を復帰させ、新人ではから、外国人選手ではブラジルからと韓国代表のを獲得。 リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。 第12節の戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3ヶ月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。 5月7日付で監督の都並、コーチの、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。 就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用したミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。 これが功を奏して第20節からは4連勝。 第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、を強化するためにクルピの肝いりでを獲得した。 その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。 しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していたに至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也がにレンタル移籍した。 補強はGKに川崎からをレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南からを完全移籍で獲得、FWにをレンタル移籍で獲得した。 また前田和哉がキャプテンとなった。 開幕はに勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。 5月は前月末の戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。 6月は怪我人と出場停止選手が続出。 1勝1分4敗の成績。 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。 C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督であるの目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。 C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。 香川はキリンカップ・戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。 香川は8月に行われるにも選ばれた。 シーズン途中に、名古屋から、横浜FMから、新人のを含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。 これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。 一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍でに放出した。 この年を最後に森島寛晃が現役を引退。 2009年-ジェルマーノ、、、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。 しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。 また、レンタルでを獲得し、がから復帰した。 外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたが残留、から、からとクラブの主力だった2選手と韓国代表のを「」で獲得。 中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。 マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている。 開幕戦となった戦は4-1で勝利。 以降、3月から4月は、4月19日の戦で一敗を喫したのみであった。 その後も勝ち点を積み重ねるが、6月にと鳥栖に連敗する。 7月9日、鹿島からを獲得。 船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。 マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。 8月30日の戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日にに5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。 同時に勝ち点100越えを達成した。 J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎、広島に次いで3チーム目(ただし川崎は44試合、広島は42試合)。 シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。 11月8日の鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。 西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。 5月20日の戦で復帰後初ゴール。 決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。 11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節の戦(11月28日)の後に開催されている。 なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。 その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦 0-1 、1試合置いて12月5日の鳥栖戦 1-2 と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。 シーズン2位となった()。 2010年 - 2014年 J1 [ ]• 2010年-(磐田…京都へのレンタル移籍期間満了)、()、、、(大分)、(G大阪)、()を完全移籍で、(G大阪…大分へのレンタル移籍期間満了)、()をレンタル移籍で、、(共にC大阪U-18)、()が新加入して、レンタル移籍だったが完全移籍となった。 また()とも契約したが、外国人枠の都合で大分へレンタル移籍。 開幕戦はに0-3で敗戦。 序盤は苦戦したが、京都戦で初勝利をおさめると、鹿島を破るなど前半は8位。 前半戦最終戦の5月16日の戦を以て香川がへ移籍。 香川移籍後も、家長、清武らが彼の穴を埋める活躍を魅せ、更にアドリアーノがフィットしたこともあってチームの歯車がかみ合って好調を維持。 特に前年香川と共に得点を量産した乾が香川移籍後にようやく調子を上げ、チームの柱として活躍。 優勝争いに食い込み、J1過去最高の3位に入り、出場権を獲得。 前年J2クラブがJ1昇格を果たしたその年度にACL出場を果たすのは史上初の偉業だった。 ナビスコカップは1分5敗でグループリーグ敗退、天皇杯は4回戦で鹿島に敗退。 2011年-シーズンオフにのスペイン・リーガエスパニョーラのへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの(神戸)、()、()、()が移籍。 (アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。 一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から(DFの実弟)を完全移籍で獲得。 からを、G大阪から(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。 開幕戦のG大阪とのは1-2で敗戦。 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。 では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。 5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。 しかし、準々決勝でに2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。 8月にがドイツ2部のへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。 これを受け、、よりMFをそれぞれ期限付き移籍にて獲得。 8月20日の戦・9月11日の戦にてが途中出場でのを達成。 シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。 その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のが退任。 2012年-新監督にが就任。 ()、()、()、()が移籍、が退団、はレンタル期間満了(その後へ移籍)となったが、川崎から、清水から、札幌から2年ぶりの復帰となるを完全移籍で獲得。 徳島にレンタル移籍していたが復帰した。 また、をレンタルで、を完全移籍で獲得した。 新しいシーズンのキャプテンには藤本康太が就任した。 開幕戦はに0-0のドロー。 ホーム開幕戦となったはブランキーニョとケンペスのゴールで2-1で勝利を収めた。 3月27日、がへ約3ヶ月半の。 清武弘嗣が7月1日付でへ、キム・ボギョンが8月1日付でへ移籍。 それに伴って外国人枠が空き、からを獲得した。 加えて、夏の移籍期間には(清水)と(草津)をともにレンタルで獲得。 外国人枠の関係でブランキーニョをに期限付きで放出した。 7月27日から8月12日にかけて開催されたのには、山口螢、扇原貴宏、への短期レンタルから戻ってきた、1. FCニュルンベルクへの移籍が決まった清武弘嗣(以上日本代表)、カーディフ・シティFCへの移籍が決まったキム・ボギョン(韓国代表)が選出された。 3位決定戦で日本対韓国が実現し、上記の5選手すべてが出場した。 成績不振を理由に、監督のセルジオ・ソアレスおよびコーチのデニスとの契約を8月25日付で解除。 後任に、前監督のが就任した。 クルピとの契約期間は2012年12月2日までだったが、就任後チームの成績が上向くと、チーム側も続投要請を行い、11月15日、新たに2013年2月1日から1年間の契約更新が発表された。 最終節までJ1残留を争ったが、最終節でに引き分けて、J1残留を決めた。 2013年-G大阪と神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。 監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として()、(在鉉高校)、()、(、期限付き)、()、(からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、()が加わり、ユースからは、、、の4名が昇格した。 、が契約満了、、が期限付き移籍期間満了で退団し、が、が、が(期限付き)へ移籍した。 昨季ともに大分へと期限付きで移籍していたは・に、は・に、再び期限付きで加入した。 また、2012年9月から・に期限付き移籍していたは、移籍期間を2013年4月30日まで延長。 2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、相手に1-0で勝利。 J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった。 また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていたについて、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された。 その後、村田はに加入。 同じく去就が発表されていなかったはへの期限付き移籍が発表された。 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。 第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係で選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季でプレーしていたを緊急補強。 多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。 契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで。 7月1日に井上翔太のへの 、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの 、そして26日には播戸竜二のへの期限付き移籍が発表された。 いずれも期間は2014年1月31日まで。 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。 そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となった。 8月27日にキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた。 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していたが現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された。 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。 マンチェスター・ユナイテッドの一員としてピッチに立った香川真司にとって凱旋試合となったこの一戦は、セレッソが終了間際に失点したことにより、2-2の引き分けに終わった。 試合後、香川は「成長した姿を見せられてよかった」「サッカー人生のひとつの歴史になったというか、誇りに思います」などの言葉を残している。 10月ごろから「来季からクラブのフィロソフィーを変えるプランもある」(社長の)などとして監督・コーチ陣および強化部長を総入れ替えするとの報道が流れはじめ 、かつてセレッソにも在籍したらの名前が監督候補として取り沙汰される中で、11月25日、監督のクルピ、ヘッドコーチのマテル、フィジカルコーチのホドウホ、強化部長のの退任(契約満了)が正式に発表された。 退任の発表にあたり、クルピは「セレッソで過ごした年月を振り返ると、心あたたまる思い出ばかりです。 これから先も、いつまでも私はセレッソを応援し続けます」などとするコメントを発表した。 結局シーズンは最後まで出場権争いに絡み、第33節終了時には一旦6位に下がるも、最終節に勝利し、前節3位、4位だったが最終節で敗れた鹿島、浦和を抜いて4位でリーグ戦を終了、3位以内での出場権獲得は逃したが、の結果次第での出場の可能性を残した。 今季は、柿谷らの活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。 練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった。 その結果、2013年シーズンは観客動員が増加し 、また次シーズンの年間シートの売り上げも、過去最高だった今季レベルにまで年内のうちに到達した。 第93回天皇杯全日本サッカー選手権では4回戦でに敗れたが、天皇杯を2013年J1で2位だった横浜FMが制した為、ACLの出場権を獲得した。 2014年-新監督に前年までFC東京監督だったが就任。 から、からと、から、から、からが加入、期限付き移籍していた、が復帰した。 一方、がの、が、が、が大分へ完全移籍し、2013年シーズン中に期限付き移籍していた、、、がいずれも期限付き移籍先の北九州、、、に完全移籍、が徳島に期限付き移籍、さらに2013年シーズン期限付き移籍で在籍していた、は契約終了でそれぞれFC東京、に戻り、、とは契約を更新しないこととなった。 1月28日、でMVPの、2月26日にからを7月31日までの期限付き移籍で獲得した。 3年ぶり2度目の出場となるではグループリーグをグループEの2位で突破。 2大会連続となる決勝トーナメント進出を果たす。 しかし、決勝トーナメントのラウンド16で前年とACLの2冠を勝ち取ったに2戦合計2-5(長居での第1戦 1-5、広州での第2戦 1-0)で敗れ、ベスト16で敗退した。 6月7日、カチャル本人の意向により早期契約解除が発表。 柿谷曜一朗が7月16日にスイスのへ完全移籍。 成績不振により9日に監督のポポヴィッチとヘッドコーチの契約解除が発表された。 6月16日、新監督にが就任。 8月11日、その柿谷の後釜として、ドイツのを退団したFWが2015年6月までの契約で移籍加入。 9月7日、キャプテンの山口や藤本を怪我で、日本代表の扇原と韓国代表のキム・ジンヒョンを代表招集で欠いた状態で臨んだナビスコカップ準々決勝・川崎フロンターレとの第2戦を3-2で勝った事でペッツァイオリの監督就任後初勝利を果たしたが、ヤンマースタジアムでの第1戦を1-3で落とした事で合計得点で及ばず去年に続いて準々決勝で敗退となった。 ペッツァイオリの監督就任後もリーグ戦で全く勝てずに降格圏内に低迷。 9月8日、ペッツァイオリとヘッドコーチ・の解任及びユース監督のが監督に就任したが、11月29日の鹿島戦に敗れて3度目のJ2降格が決まった。 2015年 - 2016年 J2 [ ]• 2015年-新監督にが監督に就任。 、、、、、を獲得。 また、を期限付きで獲得し、が期限付きから復帰した。 ユースからは、、、、が昇格。 、、、、、が完全移籍し、、が期限付き移籍をした。 リーグ開幕から6試合負けなし(3勝3分)だったが、第7節から・に連敗するなど8試合で3勝5敗、第8節から19節までは、第10節終了後に一度4位になったのを除き、順位は7位以下の昇格プレーオフ圏外で推移する。 第15節から9試合負けなし(4勝5分)で、第20節終了後4位に浮上してからは、プレーオフ圏内から落ちることはなく、第30節からは3位をキープしていたが、第35節、4位との直接対決に敗れ4位に後退、続く第36節戦では勝利したものの、試合後アウトゥオリが選手の前で辞意を表明しチームは混乱、続く5試合で2分3敗と失速したことから、11月17日、リーグ最終節を前にアウトゥオリが退任し、強化部長のが急遽監督に就任。 最終順位は4位となりに回ったが、決勝で福岡に引き分け。 昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)によりJ1昇格は成らなかった。 も参照。 2016年-大熊体制2年目。 に「セレッソ大阪U-23」が発足。 ・から、からが完全移籍でチームに復帰。 さらに金沢から、から、からを完全移籍で獲得、期限付き移籍加入だったが完全移籍、()、()、()、(・)が期限付き移籍先から復帰、新外国人として、、を補強、ユースから、が昇格、大学から、を獲得した。 一方で、、、が退団、が・、が、が、が、がへ完全移籍、がへ期限付き移籍した。 6月に山口蛍がハノーファーから完全移籍で復帰、7月には、の外国人選手2名を補強した。 一方で7月にが、ブルーノ・メネゲウがのへ完全移籍、が、小谷祐喜がへ期限付き移籍した。 リーグ開幕から昇格争い圏内を維持、一時は自動昇格圏内に上がるものの第22節以降は3位、第37節で清水に抜かれ4位となりそのまま4位でリーグ戦を終了。 J1昇格プレーオフ準決勝は京都(J2・5位)に1-1の引き分けとなり、昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)により決勝進出、決勝はを破り、3年ぶりとなるJ1復帰を決めた。 シーズン終了後に大熊が監督を退任した。 も参照。 2017年 - J1 [ ] 2017年• 2017年-新監督に元監督でチームOBのが就任。 新戦力としてから、から、からを完全移籍で、FC東京からを期限付き移籍で獲得、から清武弘嗣が完全移籍で復帰。 が完全移籍に移行した。 また、U-18から、、が昇格。 、の高校生2名を獲得し、広島ユースから、早稲田大学からを獲得した。 一方で、、、が退団、が、が、へ期限付き移籍していたがへ完全移籍、が東京V、が山口、が・へ期限付き移籍、()、(タイ・リーグ・)は期限付き移籍先へ完全移籍し、は期限付き移籍期間満了となった。 6月にがへ、7月にがへ、がへそれぞれ期限付き移籍した。 リーグ戦では第4節の戦で初勝利を挙げる。 その後、トップ下にコンバートされたや1トップに入った杉本の好調もあり、前半戦を首位で折り返す。 8月から9月にかけては2勝1分5敗と苦しんだが、9月9日、第25節FC東京戦に勝利し、同節16位となった広島が引き分けたことで、年間順位15位以上が確定、J1昇格プレーオフにより昇格したクラブとして史上初めてJ1残留を決めた。 第29節以降は5連勝し、第33節の戦での勝利で3位を確定させ、翌シーズンの出場権を獲得した。 山口が2度目の、リーグ2位の22得点を挙げたが初のに選出されたほか、監督の尹がを受賞した。 ルヴァンカップではリーグ戦で控え組の選手が活躍して準決勝まで勝ち進みG大阪と決勝をかけて戦った。 1stレグはホームで2-2の引き分けだったが、2ndレグでは後半終了直前ののゴールで2-1で勝利し、クラブ史上初の決勝進出を果たした。 そのでは杉本とソウザのゴールでに2-0で勝利し、クラブ史上初の優勝を果たした。 天皇杯でもルヴァンカップに続いて、準決勝で、を破り決勝まで勝ち進んだ。 では相手に先制されるも山村と水沼の得点で逆転してクラブ初の優勝を遂げた。 この優勝でルヴァンカップに続いて2冠を達成した。 2018年• 尹体制2年目。 から、から、から、からを獲得。 また、からを期限付き移籍で獲得し、前年から期限付き移籍で加入していたが完全移籍。 から、から、からが新加入。 U-18からとが昇格した。 初出場となったでは、に3-2で勝利し初優勝を果たした。 優勝チームが同大会で優勝するのは、2008年の以来10年ぶりとなった。 4年ぶりに出場するは、、、と対戦。 第1節・済州戦を勝利、第2節・広州恒大戦を引き分け2試合計で勝ち点4を獲得した。 第3節・ブリーラム戦では杉本や山口、柿谷やキム・ジンヒョンらを筆頭に4日前に行われた札幌戦のスタメンをいずれも帯同させずに試合に臨んだが2失点を喫し敗戦。 第4節はブリーラムをホームに迎えた。 ヤン・ドンヒョンのオウンゴールなどで2点を失ったが、杉本が終了間際に同点ゴールを決めて引き分けとした。 第5節・済州戦には勝利、アウェーゲームとなった最終節・広州恒大戦は怪我から復帰したばかりの清武を始め、杉本や山口、柿谷等、3日前に行われたJ1第8節・FC東京戦からスタメンを10人入れ替え試合に臨んだ。 試合は1-3で広州恒大に敗戦、決勝トーナメント進出を争っていたブリーラムが済州に勝利した為、グループリーグ3位となり、チーム史上初のグループステージ敗退となった。 最終節の試合後の会見で尹は記者からの「ACLよりJリーグを優先しているのか」という質問に対し、「ACLよりJリーグに重点を置いてるのは事実」と答えている。 このスタメン入れ替え策については、や等でも賛否が分かれた。 リーグ戦は最初の3戦で全て引き分けに終わるなど勝ち切れない試合が続き、第4節のアウェイ神戸戦で初黒星。 第5節から8節までは4連勝と一気に巻き返すかに見えたが、第9節のアウェイ大阪ダービー(ガンバ大阪)に1-0で惜敗。 第14節までは3勝2分と再び立て直したが、15節からは8戦で4分4敗と失速してしまった。 前年に22得点を挙げた杉本が僅か5ゴールに終わるなど攻撃陣の不振も響き、ACL圏外となる7位で終了した。 ルヴァンカップにはノックアウトステージより出場。 湘南ベルマーレに2戦合計2-5(1stレグ0-3,2ndレグ2-2)で敗れ準々決勝敗退となった。 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、4回戦でヴァンフォーレ甲府に0-1で敗れ、ルヴァンカップ同様連覇はならなかった。 10月6日に行われたホームで開催されたガンバ大阪との大阪ダービー(第29節)に0-1で敗戦。 その直後に尹監督が今シーズン限りで退任するとの報道が流れ、11月20日にはクラブからも公式に発表された。 2019年• アカデミーからの生え抜きであり、クラブの象徴的存在でもあった山口蛍と杉本健勇がそれぞれ神戸と浦和に移籍。 山村和也も川崎に移籍するなど、2017年の2冠達成に大きく貢献した主力が相次いで退団。 大幅な戦力ダウンが懸念されたが、札幌より、仙台より、神戸よりが完全移籍で加入。 オスマルの抜けた外国人MF枠にはを新たに獲得し、攻撃陣ではを期限付き移籍で獲得するなど、即戦力となる選手を数多く獲得して戦力の低下を防いだ。 この他、圍謙太朗と丸岡満がそれぞれ福岡と山口から期限付き移籍から復帰した。 尹晶煥に代わる新たな指揮官として、前年まで東京ヴェルディを率いていたを招聘。 ヘッドコーチとしてロティーナを補佐していたイバン・バランコも同時に加入した。 この年はフロントの体制も大きく変わり、2016年より3年間社長を務めた玉田稔の後任として、クラブOBのレジェンドであり強化部門の責任者を務めていた森島寛晃が就任した。 クラブOBの元選手がJクラブの社長に就任するのは札幌のに次いで史上二人目となる。 リーグ開幕戦は、、といった強力な攻撃陣を揃え、更に山口の移籍先でもある因縁の神戸をホームに迎えた。 守勢に立たされる時間が長い試合展開となったが、77分に山下達也のヘディングゴールで挙げた先制点を守り切り1-0で見事勝利した。 その後はチームの熟成不足もあって低空飛行が続いたが、ロティーナの構築した守備戦術が浸透するに従って徐々に勝ち点を伸ばし、第13節ではそれまで無敗で首位を快走していたFC東京に勝利。 このシーズンに優勝を果たした横浜F・マリノスにはホーム・アウェイ共に勝利し、ホームで行われたガンバ大阪との第27節大阪ダービーでは3-1で快勝しリーグ戦では7年ぶりとなるダービー勝利を果たすなど、一時は優勝争いを伺える4位にまで浮上した。 第28節のホーム鹿島戦に0-1で敗戦して優勝争いからは脱落したが、それでも最終的には勝ち点59で5位に食い込んだ。 この年は強固な守備力が武器となり、シーズン25失点は2008年に大分が記録した24失点に次ぐ史上2番目の少なさであった。 その一方で都倉とメンデスがシーズン途中で負傷離脱したこともあって総得点は39に留まり、得点力の向上が課題となったシーズンでもあった。 ルヴァンカップではグループステージ(Cグループ)を3勝2分1敗で首位通過したが、プレーオフステージでFC東京に2戦合計1-2で敗れ決勝T進出を逃した。 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、サガン鳥栖に2-4で敗れ4回戦敗退となった。 成績 [ ] 詳細は「」を参照 タイトル・表彰 [ ] 日本国内タイトル [ ]• :1回• :1回• :1回• :1回• 表彰 [ ] J1リーグ [ ] [ ]• 森島寛晃、• 山口蛍、 [ ]• 1999年 J1 黄善洪 [ ]• 2013年 [ ]• 2017年 J1 [ ]• 2018年 フェアプレー賞 [ ]• 2017年 [ ]• 2013年 柿谷曜一朗• 2017年 柿谷曜一朗 [ ]• 2009年 森島寛晃 [ ]• 2013年 柿谷曜一朗(第33節・対鹿島戦・38分) J2リーグ [ ] 得点王 [ ]• アジアサッカー連盟(AFC) [ ] [ ]• 2003年 Jリーグカップ [ ] 最優秀選手賞 [ ]• 2017年 その他 [ ] [ ]• 2013年 キンチョウスタジアム [ ] [ ]• 2003年 Jリーグ部門 大久保嘉人 [ ]• 2013年 新人賞 南野拓実 関西スポーツ賞 [ ]• 2009年 特別功労賞 森島寛晃• 2018年 セレッソ大阪 スタジアム他 [ ] 南津守グラウンド ホームスタジアム [ ] ホームスタジアムはおよびである。 なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「」を参照のこと。 2015年9月29日、長居球技場の育成型複合スタジアム化計画「 セレッソの森 スタジアム構想」を発表。 収容人員を4万人規模に拡大し、現在の収容は1万7892人だが、改修後は2万6000人規模のスタジアムになる予定である。 改修費は約50億円を想定している。 工費の一部は募金でまかなう予定である。 2017年頃から着工し、2021年の間に完成を目指すとしている。 完成後はホームスタジアムを長居球技場のみに完全移行する方針。 このため、2019年と2020年のセレッソ大阪主催試合は全試合ともヤンマースタジアムのみを使用する。 練習場・クラブハウス [ ] トップチームのトレーニングは2013年からの「セレッソ大阪スポーツクラブ クラブハウス・グラウンド」を使用している。 この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもの で、天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している。 なお、2012年まで練習場として使用していたスポーツ広場はやアカデミーが使用している。 また2010年以降は毎年9月中旬から約1ヶ月間行う天然芝の養生期間に限りを使用することもある。 以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)やのヤンマーグラウンド(現在は下部組織チームが使用)も使用していた。 スローガン [ ] 年度 スローガン 1994 Jump To J! 1995 To Be Professional 真のプロフェッショナルをめざして 2002 Passion to the Top 2003 PASSION SOUL 情熱魂 2004 Be ONE! 2005 日々進化 2006 さらなる挑戦 2007 猛進 2008 YOU ARE MY HEART 2009 ユアマイハート 2010 攻めきる。 ~最後の笛が鳴るまで~ 2011 攻めきるMAXかかげよ桜冠 2012 追球 THE CEREZO 2013 冒険 ココロ躍れ 2014 史上最攻 ~時は、来た。 ~ 2015 For The Top of Dreams 2016以降 SAKURA SPECTACLE ~閃け。 咲き誇れ。 ~ スポンサー [ ] GK 3rd チームカラー [ ]• ピンク ユニフォームデザイン [ ]• 1994年から1996年まで使用したフィールドプレーヤー用の1stユニフォームは、シャツおよびストッキングが、パンツがであった。 2008年 - 2009年モデルは前年までの配色が反転したようなデザイン、2010年 - 2011年モデルはピンク地に3本の太い縦縞の3ブロック)。 2013年モデルは右胸部と左腰部に紺の太い斜め縞が入っていた。 2014年モデルは紺の縞模様がなくなりピンクの色味も変わった。 2005年のフィールドプレーヤー用の2ndユニフォームは、シャツ・パンツ・ストッキングに薄手のを採用していた。 2010年8月8日のキンチョウスタジアムのオープニングゲームでは、専用デザイン(ピンクが真ん中に1ブロック)のメモリアルユニフォームを着用した。 2017年J1第32節から左胸のエンブレム上に優勝を示す星マークが付けられた。 その後でも優勝を果たした事に伴い、2018年モデルからは同じ位置に星マークが更に1つ追加された。 ユニフォームスポンサー [ ] 掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考 胸 YANMAR 2006年 - 1995年 - 1996年は袖、 1997年 - 2005年は背中 鎖骨 なし 背中上部 Nipponham 1994年後半 2006年 - 1994年前半、1995年 - 2005年は胸 (2009年は「Nippon Ham」、 2010年 - 2014年は「ニッポンハム」表記) 背中下部 SINGHA 2016年 - 袖 SHARP 2019年 - パンツ ナカバヤシ 2018年 - ユニフォームサプライ [ ]• 1994年 - 2014年:リーグ戦・カップ戦とも• 概要(U-23) [ ] 2015年12月15日、Jリーグの理事会においてよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され 、初年度参加チームの一つとして承認された。 「タフな試合環境の中でトップチームを担う次の才能を開花させる」との思いを込めて、 SAKURA NEXT(サクラ・ネクスト)という独自愛称が与えられている。 U-23を育成の一番上のカテゴリー(もしくは育成とトップチームの間)として位置づけ、トップチームと別に練習を行ってチームの育成を図っている。 略歴(U-23) [ ] 2016年 初年度の監督には、2014年シーズン途中からトップチームの指揮を執り、2015年にはアカデミー(U-18)の監督を務めたが就任。 また、初年度では若手がトップチームに上がることが少なかったが、序盤戦にオーバーエージ枠で出場していたがトップチームに這い上がった。 2017年 大熊体制2年目。 開幕戦では、といった高校1年生も選ばれ、平均年齢17歳で挑んだ。 また、序盤こそは選手の入れ替わりがあって苦しんだが、、がトップに絡み、ユースのが試合を重ねて成長をした。 2018年 大熊体制3年目。 第3節から第12節にかけて10戦負け無し(5勝5分)を記録し一時は2位にも入った。 その後は2度の連敗もあって順位を落とすが、第23節から第26節にかけて4連勝を記録するなど、最終的にはチーム発足後初めて勝利数が敗戦数を上回り、順位も過去最高の7位でシーズンを終えた。 個人では、が得点ランク6位の12ゴールを記録する活躍を見せた。 活動方針(U-23) [ ]• ゴールを奪う選手の強化育成• ボールを奪う選手の強化育成• 2017年 個人別• 2019年2月・3月: ユニフォーム [ ] ユニフォームデザイン及びユニフォームのサプライヤーはトップチームと同じ。 ユニフォームスポンサー [ ] 掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考 胸 YANMAR 2016年 - 鎖骨 なし 背中上部 Nipponham 2016年 - 背中下部 ナカバヤシ 2016年 - 袖 2016年 - パンツ なし 歴代ユニフォームスポンサー年表 [ ] 年度 胸 鎖骨 背中上部 背中下部 袖 パンツ サプライヤー 2016 解禁前 - 2017 2018 - 2019 2020 アカデミー [ ] セレッソ大阪のアカデミーは、各年代別日本代表にも多くの選手を輩出しており、アカデミー出身のや、、、らが日本代表に選ばれている。 また、セレッソ大阪の育成組織である「ハナサカクラブ」にも注目が向けられている。 2016年から長期的な「SAKURA SPECTACLE」というクラブ哲学が発表され、アカデミーの名称をスペイン語で「セレッサ」と呼ぶことになった。 アカデミーの構成 [ ] セレッソ大阪のアカデミーは年代別の選抜チームとして、(高校生年代)の「U-18」、(中学生年代)の「U-15」、「西U-15」、「和歌山U-15」、(小学生年代)の「U-12」がある。 これらは、次のようなピラミッド構造を形成している。 セレッソ大阪 アカデミーの構成 2017年時点 チーム 登録種別 U-18 第2種(高校生年代) U-15 第3種(中学生年代) 西U-15 和歌山U-15 U-12 第4種(小学生年代) 2009年にはレディースU-15()が設立され、2013年より2部相当の「なでしこチャレンジリーグ」参入を果たすなど、女子選手の育成にも力を入れている。 ハナサカクラブ [ ] ハナサカクラブは、セレッソ大阪の育成組織をサポートすることを目的に設立した育成サポートクラブ(個人協賛会)で、2007年に発足した。 個人や団体などから年度ごとに会費を募り、合宿や遠征、練習試合、食事などの費用補助にする。 ハナサカクラブの会費はクラブ運営費とは完全に分けられ、育成組織の活動をサポートするためのみに活用される。 セレッソ大阪スポーツクラブ [ ] ユースを含めたすべての育成組織のチームは2012年より、が運営している。 詳細は「」を参照 主な成績 [ ] U-18 [ ]• 優勝1回:2014年• 優勝1回:2014年• 優勝2回:1996年、2009年• 準優勝1回:1994年• 準優勝2回:2008年、2011年• 優勝2回:2008年、2010年 U-15 [ ]• 優勝1回:2015年• 優勝1回:2014年 西U-15 [ ]• 高円宮杯U-15サッカーリーグ関西 サンライズリーグ• 優勝1回:2009年 U-12 [ ]• 優勝2回:2014年, 2017年• 準優勝1回:2012年 BGM [ ] 選手紹介 [ ] 年度 曲名 アーティスト名 DJ 2006 Dark Chest of Wonders 2007 2008 選手入場 [ ] 年度 曲名 アーティスト名 2008 saturate 2009 セレッソ大阪アンセム 決算 [ ] セレッソ大阪の決算は、つぎのとおり。 損益 [ ] 年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益 2005 2,311 1,110 392 413 396 2,283 1,599 N. 684 28 79 2006 2,108 1,161 328 242 377 2,318 1,697 1,150 621 -210 -199 2007 2,066 1,102 200 109 655 2,045 1,497 889 548 21 208 2008 1,940 1,293 216 106 325 1,999 1,448 824 551 -59 -64 2009 2,241 1,252 278 122 589 2,319 1,650 1,085 669 -78 -84 2010 2,554 1,282 428 290 554 2,528 1,938 1,301 590 26 3 出典:各年度のJ1 クラブ決算一覧。 、 、 、 、 、 金額の単位:百万円 人件費は事業費に含まれる。 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益 2011 2,527 1,361 449 223 20 474 2,570 1,185 348 184 56 7 790 -43 -54 2012 2,618 1,120 495 228 0 775 2,546 969 290 538 0 0 749 72 63 2013 3,213 1,499 954 220 0 540 3,201 1,212 464 652 0 0 873 8 6 2014 3,711 1,511 856 232 0 1,172 3,859 1,680 341 679 0 0 1159 -88 -90 2015 2,712 1,505 464 109 0 634 3,195 1,523 297 498 0 0 877 -483 16• 2016年12月6日閲覧。 セレッソ大阪. 2014年2月21日閲覧。 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。 プレスリリース , , 2014年2月10日 , 2016年2月22日閲覧。 2009年6月24日号。 Twelfth 2010年2月号。 セレッソ大阪公式サイト、2011年11月16日• セレッソ大阪公式サイト、2012年8月26日• セレッソ大阪公式サイト、2012年11月15日• スポーツ報知、2013年3月3日 [ ]• セレッソ大阪公式サイト、2013年3月31日• セレッソ大阪公式サイト、2013年3月30日• セレッソ大阪公式サイト、2013年4月11日• セレッソ大阪公式サイト、2013年6月10日• セレッソ大阪 2013年7月1日. 2013年7月12日閲覧。 セレッソ大阪 2013年7月12日. 2013年7月12日閲覧。 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月26日• セレッソ大阪公式サイト、2013年7月24日• セレッソ大阪公式サイト、2013年7月27日• スポーツニッポン、2013年10月10日• セレッソ大阪公式サイト、2013年11月25日• たとえば、 フットボールチャンネル、2013年11月27日• 1試合あたりの平均観客動員数で見ると、J1全体が昨季より約3%落とす中、セレッソは約11%増となった。 朝日新聞、2013年12月4日• スポーツニッポン、2013年12月27日• プレスリリース , セレッソ大阪, 2013年12月29日 , 2016年2月22日閲覧。 日刊スポーツ、2017年11月26日h• スポーツニッポン、2017年10月8日• サッカーキング、2017年11月4日• 公益財団法人日本サッカー協会公式サイト、2018年1月2日• スポーツニッポン、2018年4月17日、2018年4月19日閲覧• セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト Cerezo OSAKA. 2020年2月26日閲覧。 プレスリリース , , 2018年1月9日 , 2018年1月16日閲覧。 セレッソ大阪. 2015年10月3日. 2015年10月9日閲覧。 2015年9月29日. 2015年10月9日閲覧。 大阪市. 2013年6月13日閲覧。 プレスリリース , 日本プロサッカーリーグ, 2015年12月15日 , 2016年1月17日閲覧。 プレスリリース , スポーツナビ, 2016年2月7日 , 2016年6月6日閲覧。 川端暁彦 2016年4月25日. LEAGUE. 2017年9月12日閲覧。 プレスリリース , セレッソ大阪, 2016年1月17日 , 2016年1月17日閲覧。 スポーツニッポン(2016年12月14日)2016年12月20日閲覧。 まいど!セレッソ~マイセレ(2018年1月13日)• たとえば、 SOCCER KING、2013年7月29日 関連項目 [ ]• - で放送されていたセレッソ大阪応援番組• - スターダストプロモーションに所属する5人組の女性アイドルグループ。 2017年に「公式サポーター見習い」、2018年からは「公認セレ女」として広報活動等に協力している。 - ホスト・タレント・実業家。 2020年より「公認セレ男」として広報活動等に協力している。 外部リンク [ ]• - チャンネル• - セレッソ大阪公式ファンサイト.

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セレッソエリートクラス : 奈良サッカーBBS(掲示板)

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今季、開幕前からJリーグの話題をさらっていたクラブといえば、セレッソ大阪だ。 日本代表のレギュラーに定着しつつある柿谷曜一朗選手が所属していること、そしてウルグアイ代表のディエゴ・フォルラン選手が新加入したことが大きな理由だ。 ヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪が発足したのが1994年。 今季は創設20周年という節目の年なのだが、先日行なわれた発表でと話題になっているぞ! ・セレッソ大阪の8番 セレッソ大阪の「8番」といえば、クラブのシンボル。 「ミスターセレッソ」の愛称で親しまれた森島寛晃(ひろあき)氏から受け継がれているクラブを背負う選手の背番号であり、トッププレイヤーの証でもある。 ・8番を背負った3人が代表に選出 そして話題になっているのがブラジルW杯の代表メンバーに「8番」で繋がれた3人の選手が選出されていること。 柿谷曜一朗選手、そして香川真司選手と清武弘嗣選手がそうだ。 ・歴代全員が選出 同じ背番号を背負った3人が同時に選出されるだけでもスゴいのだが、初代・森島氏も1998年フランス大会、2002年の日韓大会で選出されている。 そう、20年間で「8番」を背負った選手全員がW杯の代表メンバーに選出されていることになったのだ。 」 「ヤバイ、セレッソの8番三人代表やで。 歴代8番が全員W杯代表選ばれたことに震える。 」 「セレッソの8番は、W杯の特急券やね。 今回は、残念やった南野君は、8を背負ってからやね!」 などなど、セレッソ大阪の「8番」をつける選手の実力がスゴいといった声や、セレッソ大阪一筋で長年活躍した森島氏の活躍があってからこそというコメントが多く見られた。 気になる次の「8番」だが、4月の代表候補合宿に呼ばれたが濃厚と思われる。 2018年に行なわれるロシアW杯では彼がピッチに立ち、新たな伝統を繋いでいくことだろう。 参照元: 執筆:.

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【衝撃事実】新たな伝統となる!? セレッソ大阪の「歴代8番」全員がW杯日本代表に選出されていると話題

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原告らは本物件の検査済証交付処分取消請求について平成22年5月21日を大阪地方裁判所に提訴しました。 本物件については、平成23年1月13日にて下記のとおり、判決がありました。 1.判決の概要 (1)原告らの訴えを却下する。 (2)訴訟費用は原告らの負担とする。 2.裁判所の判断の概要 本案前の争点についての判断を先行させるため、弁論を終結したものであり、その争点に対する判断 は以下のとおり。 (1)検査済証の交付は工事が完了した建築物及び敷地が建築基準関係規定に適合していることを公権的に判断 する行為である。 検査済証の交付を受けなければ使用開始出来ないという法的効果が付与されている。 (2)建築物の違反是正命令を発するに当たって、検査済証が交付されていることが障害となる規定もない。 建築物の使用が開始された後においては、検査済証の交付の取消しを求める訴えり利益は失われている。 (3)本件マンションは平成21年10月から住民の入居が開始され、使用が開始されており、検査済証交付処分 の取消しを求める訴えの利益は失われている。 (4)原告らの建築確認処分が違法であるとして裁判所が本案判断を回避すべきでないとするが、既に使用が 開始されている建築物の検査済証の交付処分の法的効果を左右するものでないから、訴えの利益の有無 とは関係がない。 以上のとおり、マンションの住民の皆様に報告します。 原告らは本物件の検査済証交付処分取消請求について平成23年1月26日に大阪高等裁判所所に控訴 しました。 本物件については、平成23年5月31日にて下記のとおり、判決がありました。 1.判決の概要 (1)控訴人らの控訴を棄却する。 (2)訴訟費用は控訴人らの負担とする。 2.裁判所の判断の概要 (1)検査済証が交付され、建築物の使用が開始された後でも、検査済証交付処分の適法性の司法審査 が重要であると控訴人らは補充主張しているが、その訴えは不適法であり、却下すべきである。 (2)原判決 第一審 で説示のとおり、検査済証交付処分の取消しを求める訴えの利益はない。 以上のとおり、マンションの住民の皆様に報告します。 原告らは本物件の開発許可不要証明処分取消・建築確認処分取消等請求について平成22年3月2日、 最高裁判所に上告兼上告受理申立をしました。 本物件については、平成23年6月30日にて、最高裁判所第一法廷にて、下記のとおり、決定がありました。 裁判官全員 五名 一致の意見で、次のとおり決定。 1.主文 (1)本件上告を棄却する。 (2)本件を上告審として受理しない。 (3)上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。 2.理由 民訴法の規定の補足説明あり (1)上告について 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条場1項 憲法違反 又は2項 手続き違反 の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は 単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。 (2)上告受理申立てについて 本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項 判例違反や法令解釈を新たにすることの 有無 により、受理すべきものとは認められない。 3.補足説明 上記の決定により、上告人兼申立人らの開発許可不要証明処分取消・建築確認処分取消等請求は棄却 され、不受理となった。 この決定により、原判決の大阪高等裁判所・平成21年 行コ 第134号 平成22年2月18日判決 は確定し、確認済証の取消はなくなった。 併せて原判決における大阪 高等裁判所の判断の内容が全てが確定した。 以上のとおり、マンションの住民の皆様に報告します。 ご安心ください。

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