広島 県 心霊 スポット。 広島市西区

広島市(佐伯区)の心霊スポット

広島 県 心霊 スポット

南原トンネル内でエンジンとライトを切り、クラクションを3回鳴らすと天井から霊が落ちてくる。 南原トンネルを走っていると前から生首が追いかけてくる。 南原トンネルの奥にある石碑で写真を撮ると霊が写る。 南原峡は自殺の名所になっている。 近くにある南原峡キャンプ場のトイレで自殺した人がいる。 近くにある南原峡キャンプ場のトイレで女性が暴行されて亡くなった。 南原峡キャンプ場のトイレに霊が出る。 南原峡キャンプ場の奥にある明神三連トンネルはもっとヤバい。 南原トンネル近辺はご覧の通り沢山の心霊の噂がある場所です。 一つめの 南原トンネル内でエンジンとライトを切り、クラクションを3回鳴らすと天井から霊が落ちてくるという噂がここでよく聞かれます。 私も実際に行って上記のことを試してきましたが、もちろん何も起きませんでした 笑 五つめと六つめは自殺関連の噂ですが、 南原峡キャンプ場のトイレで自殺した方の遺書が残ってるらしく「わしは死にたくない、わしは死にたくない」と書かれているそうです。 死にたくないって言って自殺するのも不思議な話ですね。 死にたくなくても死ななくてはいけないくらい追い詰められていたのかな? 次は八つめの 南原峡キャンプ場の奥にある明神三連トンネルはもっとヤバいという噂に関してお話しします。 明神三連トンネルとは明神ダムへと繋がる三つのトンネルです。 奥のトンネルへ進めば進むほど霊が出やすいと言われており、三つのトンネルを全て通ってしまうと近いうちに死んでしまうとか… 心霊スポットとして有名になってしまったせいか、 明神三連トンネルへの道は現在封鎖されていて関係者以外通れないようになっています。 柵を乗り越えれば行けないことはないですが、中国電力の土地でもありますし、警報設備が作動する旨が書かれている看板があるので辞めておいた方が良いかと思います。 では早速見ていきましょうか。 南原峡方面へ狭く暗い山道を進んでいくと突然トンネルが現れます。 それが 南原トンネルです。 トンネルの近くに車を停めて、まずは徒歩でトンネルを通って行きましょうか。 南原トンネルの外観はこんな感じです。 上には 南原隧道と書かれていますね。 見た目は意外と綺麗なトンネルですが、照明は一切無く真っ暗です。 永遠に続いてるのではないかと思うトンネル、不気味ですね… 中に入っていきましょうか。 トンネル内はこんな感じになっています。 昔は落書きだらけだったそうですが、私が行った時は一切落書きは見当たりませんでした。 ペンキの色が違う部分があります。 そこに落書きがあったんでしょうね。 体感ですがトンネルの長さは100m位でしょうか。 そこまで長くない小さなトンネルです。 トンネルを抜けると南原ダムがあります。 金網のフェンスには花が付けられていました。 自殺の名所になっているという噂を思い出しますね。 ダムで自殺した方へのお供えの花でしょうか? この先にまだ心霊現象が多発する場所があるらしいので更に進んでいきます。 この石碑の前で写真を撮ると霊が写ったり、車に手形が付くらしいですけど… 特に何も写ってませんね。 ここをもっと奥に行くと 南原峡キャンプ場のトイレと 明神三連トンネルがありますが、今回は時間が無くていけませんでした。 南原トンネル内でエンジンとライトを切り、クラクションを3回鳴らすと天井から霊が落ちてくるという噂も試してみましたが、もちろん何も起こりません。 近くに心霊スポットが密集してるので、いくつかまとめて行きたい時にはおすすめの場所です! では終わります、お憑かれ様でした。

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絶対に行ってはいけない最恐心霊スポットの体験談 広島編~信じる信じないはあなた次第~

広島 県 心霊 スポット

広島の出身だが、心霊スポットはぜんぜん知らんなぁ。 己斐峠がコワイという話はよく聞いたが、心霊体験はしてないしなー。 まぁ、胆試しのネタでもカキコ。 ペルー人による少女殺人事件の起きた矢野という場所にJR呉線の廃トンネルと遮断機ナシの踏切がある。 そこのトンネルはかなり短いのだが、周囲に民家が少ないので夜になるとまぁなかなかコワイ。 一応民家は3軒立っているんだが、うち2軒は誰も住んでないはず。 一軒は住んでいた老夫婦が死んじゃってから誰も住んでない。 もう一軒は両親が死んだ後、遺産か何かで親戚と揉めて、兄妹がいたんだがどちらも家を出た。 その踏切なんだが、新トンネルの出入り口からわずか10mのところにある歩行者専用のもの。 住宅団地から国道沿いのバス停までの最短距離を結ぶ道の途中にあるので、年寄りがよく使う。 おれがその町を出るまでは、毎年誰か死んでた。 そのトンネルと踏切の近くに、牛ノ首観音という俗称の観音堂がある。 明治時代に建てられたもので、浅野のお姫様が寄贈したという馬頭観音が本尊だ。 今は埋め立てられちまって、真向かいに安芸南高校というガッコが建っている。 1980年代初めまでは岬の先端にあり、観音堂の背後に回っては真下の岸壁をよく見下ろしたもんだ。 で、この観音堂なんだが、霊感がある奴はみんな口を揃えてコワイと顔を背ける場所だった。 参道は階段になっており、観音堂は一段と高い位置に鎮座している。 ご覧の通り、1組に入ろうとすると、階とお堂の高さが合致すると必ず観音堂を真正面に捉えることとなる。 非常階段と廊下を挟むドアはスリガラスではなく向こうが見えるタイプなので、嫌でも視界に入るのだが。 霊感の強い1組の友人は、1Fの廊下を進んで非常階段を上り、しかるのちに教室に入るという行動を毎度していた。 奴曰く、正視できん、とのこと。 ちなみに当時おれの身近には二人ほど霊感が強いという人間がいたのだが、二人ともこの観音堂は正視できないと断言した。 その二人は違う町の出身で科も部活も違うため知り合いではない。 二人ともウソをつくタイプではなかったので、そうなのかと思っていた。 おれ自身はボランティアでよくその参道やお堂の周りを掃除をしていたので、全然怖くは無い。 むしろ親しみを持っていたくらいだ。 岬にあったんで、投身自殺の名所だった可能性はある。 牛ノ首とは地名で、観音堂のある岬の付近一帯を指すが、よくよく考えれば不気味な名前かもな。 郷土誌でも名前の由来は不明とされているが、地形からそう名付けられたとする説がある。 その岬付近は国道が茶臼山をブチ抜くまでは海岸部に張り出した地形だったらしいので、たぶんそうだろう。 まぁ、海田とか矢野とか坂とか熊野とかを訪れる機会がある人は行ってみるといいかもなー。 でも、町Bの広スレとかで「その話」をすると、何故かみんな口を閉ざしてしまう・・・ 私は広出身ではないので知らないが、なんか(いわくつき)か、土地がらみで話ずらい場所なのかも。 今ではそれをまとめて、団地に隣接したところに集めている。 話の発端は土地分譲中に既にあったらしい。 俺の知り合いのゼネコン関係者に聞いた話なんだが 最初100区画ぐらいまではあっという間に売れたらしい。 ところが、100区画売れた頃からその話が広まり始めて 急に売れ行きが悪くなったって言ってた。 平成14年頃の話。 >怪しいところ 20年近く前、首のない車に入った白骨死体が見つかった。 夜行くとやたら不気味らしい。 基本的に矢野とかと違って、熊野ではあんまりおどろおどろしぃ話は聞かんぞ。 ただの田舎だし。 あんまり関係ないが、うちの親父が小さい頃 昭和30年代 は「一人で外で遊ぶな」とよく言われたそうだ。 無論、池で溺れたり、崖から落ちたりする可能性があるというのもあったんだろうが、 神隠し 人攫い にあう場合もあるから、という理由もあったらしい。 スグ下には土砂崩れしたっぽいアスレチックがあって、 火葬場の上のほうも整備されているのに何故あそこだけ取り壊されないのか・・ 臆病者なんで犬の散歩で通りがかるたびにブルブル ってか、もしただのゴミ焼却場だったらゴメン。 元々よそ者なんでそのへん知らないんです。 辺りを見渡しても、大人もいなく車もありませんでした。 薄気味わるくて逃げました。 男の子も消えてました。 昔火葬場だったんですね 大野浦の奥の奥の一番奥に妹背と呼ばれる瀧があります。 妹子は、玖波の農家に育ち、大野浦の土左右衛門という人の嫁になりました。 土左右衛門は木こりで、仲間と共に大野の奥に働きに行くことになりましたが、 妹子はその時、お腹に赤子を宿していたので連れていけません。 子供を産んでから行くことにして、村境で暫しの別れをしました。 その後、大野の奥からは、無事着いたと一度便りがあったきり、 いくら手紙を出しても音沙汰がありません。 やがて妹子は、男の子を安産し、 日もたち元気になりましたので、赤ちゃんを抱いて大野の奥に尋ねてきました。 それは土左右衛門を送ってから7ヶ月もたった秋の紅葉の頃でした。 来てみてびっくり。 返事の無かったはずです。 土左右衛門には妾ができていました。 それはふとしたことで死んだ仲間の若妻でした。 土左右衛門は妹子を見て隠れ、会えば「帰ってしまえ」と叱ります。 裏切られた妹子は悲しみに耐えられず、髪を振り乱し、子を抱いて瀧の上に立ちました。 思いあまった妹子は、そのままざんぶり、淵に身を投げて死にました。 それからは、夕方になると淵の上の岩に、髪を振り乱した女が、恨めしそうに背を向けて 座っている、という噂がたちました。 その年の暮れの、初雪の降った日、土左右衛門がつまづいた妾を助けようとして 共に谷底に落ちて死んでしまいました。 その日からは、淵の上に背中の幽霊が現れなくなったということです。 福山の手城 天当神社と水門だけはガチ あれは止めた方が良い。 お払いも3回~5回(俺がガソリンスタンドのバイト中に1回) そして地鎮祭も中止になった 新水門建設の関係建設会社も怪我人続出で、お払いしたらしい。 相当凄い噂になってたね。 地元じゃ誰も寄りつかない。 現役で使われてる私有物が多いので注意するように それと、一応マムシに注意 少ないけど棲んでる(昔猫が引っ張ってきた) 上御領も初めて聞いたなぁ 水門はあんまシラネェのでスマソ 一応、場所 赤い橋はR182を2号線から北へ北へ上がる やがて神辺を通り越し、再び福山市の加茂に入る(つか神辺は福山市に併合されるらしいけどよくシラン) さらに上がると「東城別れ」という交差点があって、その先からはR182が片側一車線ずつの二車線道路になってる そこからさらに2kmほど上がれば赤いループ橋に着く(塗装は塗りなおしてあるかも) かなり山の中。 その周り数十~百メートル周辺には家はない。 車止める場所はけっこうある。 静かな田舎なんで、頼むから夜暗くなってから爆音で行ったりしないでね あと冬の朝は来ちゃダメ。 yahoo. その橋の下に待避所があって、待避所のなかに緑色のフェンスで囲まれた 用水路があります。 今は何故か廃車が置いてあるからスグに分かるよ。 実はその用水路で若い女性の全裸死体が2体発見されています。 さらに用水路を右手にして西の方に歩いていくと、石の壁があって、その 壁に向かって右を見ると木のはしごがあるよ。 そのはしごの上を見てごらん。 絶対に鳥肌が立つから…。 赤い橋がある。 その下の駐車場?いやチェーン装着場?今はなんか廃車が 捨ててあったりしてすぐわかるらしい。 そこにフェンスに囲まれた用水路?がある。 そこで全裸の女性の死体が二体でてきたらしいよ。 あとそのさきのヒメヤ家具の横の細道。 巨大なお札を貼った廃屋があったらしい。 でも年末に僕が行ったらお札はなかった。 でもなんか不気味 んでさーなんか警察の立ち入り禁止って張り紙があってちょっとしたバリケードがあるからそれを越えて坂道を下る あと三和町の坂瀬川で藤尾ダムの方行く道に100Mくらい入る。 木にワラ人形がクギで打ち付けてあった。 2.3体かな これはカウボーイ料理ナントカーン? ワスレタ)て看板があるからその道を入る。 そっとするほどの物は私は見たことないです 前後周辺にいくつか細道があると思いますが、獣道みたいなのも道というなら、大抵の道は北東の大谷池へ続いてます さらにその先は広瀬へ。 歩くとたぶん大変。 俺、あそこ二回、泊まった。 しかも両方一番奥の館。 一度目、小学校の時。 上の階の真ん中らへんの部屋に泊まる女子達が何人も泣き出すわ鼻血吹くわの大騒ぎ。 俺が泊まった一階の右端の部屋の窓からは竹藪に人影が皆に見える騒ぎ。 これはヤバいと先生判断、生徒を急遽、部屋移動させる。 二回目、子供会のキャンプに中1の時手伝い付き添い。 俺はまたも一階の端の部屋になった、で、外から戻ったら窓割れてる。 偶然かしらんが。 キャンプ場は他に人無し。 しかもガラス破片は外側に=室内から割れてる で、部屋を二階に移動させられる。 その晩、一番偉いオジサンが悲鳴を。 オジサン曰く、金縛りにあって、「まぁたまにあるわ」と思ったら、上から誰かの視線を感じたらしい またも真ん中の部屋…… あと宇品の山にも出るらしいね 野呂山はしらんが。 今日野呂山行ってきますた シンデレラ城…らしきものを見てきました。 …が、しかしなにもなく… 野呂山についてなんか知ってることあったら教えてください。 私は当時小さかったので記憶にはありませんが遊んでいる写真はあります。 その母方の親戚は新しい就職先が見つかったらしく店長を辞めた後、 経営難?で遊園地は潰れてしまいました。 その当時は別に遊園地自体では何も怖いうわさとか無かったらしいです。 首無しライダーの話は昔からあるらしいです。 後は、水子供養の所が出るらしいです。 赤い光?火の玉?が出ると聞きました。 長文&自分の体験記じゃなくてごめんなさい。 親戚は元墓地と言う事は知っていましたが他の団地に比べて安い& 親戚自身、幽霊とか気にしないらしく買ったらしいです。 その親戚が言う所によると団地を上に上がって行くとT字路みたくなります。 団地ってスジ状とか区画に分けて家が建ちますよね? なのでそのT字路の所の1段上までは出ないと言っていました。 その2段上以上は出るらしく。 自分以外誰もいないはずなのにリビングに誰かが座っていたり 勝手口が勝手に開いたりするみたいです。 でもこの団地は『子宝団地』とも言われています。 3人以上子供が居る世帯が多かったり、妊娠したりするらしいです。 広島から引っ越してもう半年か。 懐かしいな。 もう3年ほど前になるか。 そのころ、西区のT町に住んでたんだが、そこで不思議な体験をした。 ちょうど季節は今頃だったか。 近所にある蕎麦屋で蕎麦を食い、その辺を散歩していた。 スーパーYの裏あたりかな?その辺を当てもなくウロウロ・・・。 今思えばなんで散歩なんかしようと思ったんだか。 しばらく歩いているうちに不思議な通りに出た。 見た感じフツーの通りなんだが、なんか空気がおかしい。 人の気配がまったくしない。 急に動悸が激しくなる。 なんだろう。 急に恐ろしくなった。 すると、後ろからニャーという猫の鳴き声。 振り返ると、セブンの前によく見るデブ猫がそこにいた。 デブ猫につれられるように来た道を戻る。 少し歩いたところでK町の電停前にでた(なぜ?)。 今思い出してみても不思議な体験だった。 あのままあの通りを進んでいたらどうなっていたんだろう? ちなみに、デブ猫は1年ほど前、急に姿を消した。 セブンの人たちにもけっこう可愛がられていたので、みんな残念そうだった。

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広島県の心霊スポットランキング!行ってはいけない廃墟や場所を紹介

広島 県 心霊 スポット

広島に住んでいる人には心霊スポットとして有名の場所があります。 それが南原峡の明神三連トンネルです。 あまりの恐ろしさに昔は通れたみたいですが、今は通れなくなったトンネルが3つ(明神三連トンネル)があります。 明神三連トンネルの先には明神ダムというダムがあるようです。 閉鎖されたトンネルがあるのは山奥の方なのですが、手前にはキャンプ場があります。 そこでも火の玉をみたという人がいました。 今回は明神三連トンネルの話です。 山奥へいき閉鎖されたトンネル前の柵を越え1つ目のトンネルに差し掛かると、トンネルの前に老人が座っていることがあります。 その老人が見えた時点で引き返せばいいのですが、その先に行くと2つ目のトンネルがあります。 2つ目のトンネルでは急に子供の泣き声が聞こえてきます。 それを無視して3つ目のトンネルに向かうと、トンネルの向こうから自転車に乗った警官が来ます。 真っ暗なトンネルなのですが、その警官は電気もつけずに走ってきます。 それも無視して3つトンネルを抜けるとダムで何もないのですが、ただならぬ雰囲気に引き返します。 明神三連トンネル全てのトンネルを通った人は必ず事故にあいます。 たまたまと言われるとそうなるかもしれませんが、友達が3つトンネルを抜けた後、事故をし亡くなりました。 知り合いにも聞いたところ、同じような体験をした人が事故や亡くなったと言っていました。 街灯がない場所なので夜は真っ暗なのは当たり前ですが、日中に行くのも薄暗く気味の悪い場所です。 行かれる場合は気を付けてください。 広島市の北部、可部という町 地元です のさらに北に南原峡 ダム という場所があります。 キャンプ場にもなっているので結構休日には家族連れが一杯きますが、夜に行くとその途中のトンネルでいろんな霊が出るとか。 話としては、車のバンパーを引っ張られたとか、窓ガラスに血の手形がついたとかいうよくある話です。 心霊話としては40点くらいでしょうが、昔話でけっこう怖い話があるのでそれを考え合わせると「ああ、これなら出るよね」と思ってしまいます。 昔、山陰の殿様が後を慕って来た花魁を斬り殺して渕に蹴り込んだとか、吉川興経さん 昔の武将です の愛犬が主の首を本貫の土地まで提げて帰ったとか。 結構景色がいいので私も登山に行くことがありますが、山頂近くに大正時代の茶屋の礎石とかあって、かなり不気味です。 前に逆の方面から上ってみようとしたことがあったんですが、人も誰もいない山道で下には川しかない場所で突然「ヒィー」という声を二度聞いたことがあります。 南原側には、祖父が小さいころ 大正末か昭和初期? にも首吊りをした親子の霊が出るという話があって大きな騒動になったそうです。 「周りに民家が」という点については、ダム周辺は中国電力の施設が多いです。 結構途中にも民家は多いのでそういう目的では行かないほうが良いかと。 暴走族の人も集まることがあるようですし。 軽く小雪が降っている時にしっかり装備して上るとすごく景色が好いです。 あんまり心霊、心霊とか思わずに休日に上ってみてください。 僕の地元には、南原峡という広島では相当有名な心霊スポットがあります まぁ、有名なだけでただ封鎖されたトンネルが3つあり、その先にダムがある。 といういかにもという場所でした。 少し霊感のある僕にとってただのみせかけだけの 場所という印象でしかなかったんですがその勘違いがしなくてもいい恐怖をさせてくれました。 僕はそん時、大学生で高校の友達と三人で飲んでいました。 すると一人が、高校の時の開かずの間があるという話をして、僕の心霊体験などを話していたら雰囲気は心霊ツアーに行こうぜ!!!というノリでした。 正直馬鹿です。 有言実行で飲んでいない僕の運転で南原峡へと車を進めました。 その車での会話で 「幽霊でたら個一時間しばいて正座でさせて説教してやる!」 と、気分はアゲアゲです。 そして、封鎖されたトンネル前の柵をこえて、携帯の明かりを頼りにいかにも幽霊の「出そうな」トンネルをこえて行きました。 一つ、二つ目のトンネルをこえて三個目のトンネルにさしかかったところ、妖怪レーダではないですが、何か違和感を感じました。 そこだけ寒いとかではなく、生暖かいような空気が僕の身を包みました。 すると 「チリーン」 と鈴の音が聞こえました。 しかし2人には聞こえていないみたいで「出てこいや!」みたいなノリで楽しそうに 歩いていきました。 でも、聞こえている鈴の音が鳴り止まないのです。 しかも、どんどん生暖かい空気はよりリアルに感じ取れていました。 さすがにやばいと思い、2人を呼びつけ、いま僕の身に起こっていることを伝えると 20m先ぐらいに小さな光が見えました。 思わず「やばい走れ」叫び、ダッシュでトンネルを走りました。 友達は「ハァ?」見たいな感じでした。 でも、僕は必死でした。 友達を見捨て二つ目のトンネルを抜け最後のトンネルを抜るまで鈴の音は消えませんでしたが、トンネルを抜けると音が鳴り止みました。 そして、車に逃げるように非難しました。 僕に1、2分遅れて友達が顔を引きつらせて、戻ってきました。 僕に一言「大丈夫か?」と聞いてきました。 僕は「すまん」と一言と何で逃げたかを説明しようとしたそのとき、友達は「そんなんはどうでもいい」といい、とにかく友達がファミレスに行こうといって、ファミレスに行きました。 ファミレスにつき僕が逃げた時の話を友達がしてきました。 僕が「やばい!逃げろ」と叫んだとき、友達はふざけていると思って僕を見ると、僕の後ろに光がついてきてたらしいのです。 これはやばいと友達も感じたらしく追って来てくれたらしいのですが、トンネルを抜けるとその光はきえた。 と友達がいいました。 冷静に考えるとすでに、鈴の音がなっていた瞬間、もう僕の後ろには何かがいたと思うと、中途半端な霊感を怨みました。 あれから、その場所に何回か行きましたがそのような体験をしたのはそれっきりです。 今から10年近く前になりますが、当時大学生だった私は友達3人と広島の心霊スポットとして有名な南原峡トンネルへ行くことになりました。 人気のない暗い山道をどんどん進んで行くと、そこには真っ暗で不気味なトンネルが浮かび上がりました。 今は使われていない旧トンネルらしく、トンネルの手前にはコーンが置かれてありましたが、私たちはわざわざそれを横に避けて入口ギリギリまで車で進み、そこに車を停めて歩いて中に入ることにしました。 車のライトは点けたまま出たのですが、光が届く範囲はせいぜい20メートル。 まだライトの光がある内は平気だったのですが、真っ暗な空間に達した途端、急に怖くなりました。 突然の耳鳴りと同時に、人の話し声のようなものが聞こえ始めました。 それも一人や二人ではなく、何人も何十人もいるようなザワザワとした声です。 至るところに何かの気配を感じ、あまりの恐怖にいたたまれなくなり、他の3人に 「もう無理!入口まで戻ろう!」 と言いましたが、 「とりあえず出口まで行こう!」 と促され、みんなで手を繋いで出口まで向かいました。 出口のすぐ脇には何か小さな小屋のようなトイレのようなものがありました。 友達が中を確認しに行くと 「ヤバい…これは見ない方が良い」 と言いながら出て来ました。 何があったのかを聞くと誰か分からないお婆さんの写真が何枚も落ちていたそうです…。 その後は友達に手を引いてもらいながら無事、入口まで戻りそれぞれの家へと帰りました。 しかし、本当の恐怖はここからでした。 私が家に着いたのは夜中の3時頃だったと思うのですが、その当時、私は一人暮らしをしていました。 住んでいのはエレベーターが2つあるマンションだったのですが、エレベーターのボタンを押すと、なぜかボタンを押した方のエレベーターは作動せず、反対側の何もタッチしていない方のエレベーターが開きました。 えっ…と思い固まってしまいましたが、そのままエレベーターに乗りました。 その後は何事もなく部屋に入り、とりあえずテレビを付けてゴロゴロとしていたんですが、テレビ画面がいきなり砂嵐に! 今まで普通に夜中の通販番組をしていたのにおかしいなと思い、リモコンで別のチャンネルにしました。 しかし、いくらリモコンを押しても作動しません。 リモコンの電池切れかなと思い、テレビ本体のボタンをカチカチと押してチャンネルを変えて別の番組にしました。 が、すぐにまたさっきの砂嵐のチャンネルに戻ります。 何度やっても必ず砂嵐のチャンネルに戻るので怖くなって、テレビの電源を抜いて、布団をかぶって朝になるのを待ちました。 安易に心霊スポットには行くものじゃないないです。 昔の話なのですが当時友達とお酒を飲んでいました。 お酒を飲んだらやっぱりテンションが上がり、誰かが心霊スポットに行こうと言い出しました。 びびりの私ですが普段は絶対に行かないのですが、お酒のせいか一緒に行ってしまいました。 昔からある廃墟の黒瀬病院という病院なのですが、山の中の団地にありずっと壊されていません。 着くまで皆ハイテンションでした。 私は頭痛がして気分が悪くなってきました。 黒瀬病院に着いたのですが私は気分がすぐれなくて、運転手と車の中で待っとく事にしました。 車の中からでも黒瀬病院は見え、電話を繋いで行くことになりました。 3人が病院に入って行きました。 最初はルンルンと入って行った3人なのですが、声がドンドン小さくなっていきました。 ふと車のサイドミラーを見たら誰か立っているんです。 一瞬血の気が引いたのを覚えています。 すぐに車の鍵を掛けました。 すると電話が繋がっているのですがざぁー…ざぁー…と電波が悪くなり、 「もしもし!?もしもし!?」 と言っても応答がないんです。 さっき黒瀬病院の窓ガラスから見えて居た懐中電灯の灯りが見えなくなりました。 サイドミラーの人影に気をとられて見失ってしまいました。 運転手とどうしようと言い、二人とも震えて居るのが分かりました。 怖くて入る勇気なんかありません。 ここはただの廃墟の病院ではありません。 首吊り自殺もあった場所でもあるからです。 すると屋上の方から手を振っている人が見えました。 なあーんだと思い懐中電灯消して脅かしただけかと運転手と笑っていると、ざぁーざぁー言っていた携帯電話が繋がり 「もおービックリさせないでよ。 何呑気に屋上で手振ってるの?」 と笑っていると 「誰も屋上言ってないよ」 と言い、最上階に灯りが見え、懐中電灯の灯りをこっちに向けて来ました。 鳥肌が全身に立ちました。 屋上の人は誰? よく見たら髪の長い人なのです。 病院に入ったのは皆短髪の男の子です。 皆に早く帰って来てと叫びました。 皆急いで出てきました。 怖くて、怖くてもうスピードで帰りました。 次の日その中の一人が高熱にうなされて、1週間入院し無事回復しました。 あのまま屋上まで行きバッタリ会っていたらどうなってたのでしょうか? 若い時によく心霊スポット巡りをしていました。 私がその日に行ったのは吉島病院という廃墟なのですが、吉島病院は地下もありまだ建物の中が片付けられていなくて、カルテもそのままで机やベッドもまだ放置されていました。 建物は古く落書きだらけで少し崩れかけていました。 駐車場がないので車の中に残る人と中に入る人と別れました。 私は運転手だったので残りました。 二人が懐中電灯を持って入って行きました。 入り口は草がぼーぼーに生えており、人が入った形跡が全くありませんでした。 私は霊感とかあるとか分からないのですが、入ったらいけない気がしていました。 窓ガラスはほとんど割れています。 3階の端の窓から人が覗いているのが、何となく分かりました。 見たらいけない奴だととっさに思い、一緒に待ってた人には言わずに話をしながら気を紛らわしました。 ちらっと見てもずっと見ているんです。 私の中でやばいなと思いだしました。 中に入った2人に電話をしたのですが、繋がらないのです。 いつもマナーモードにしてないのに気付かない訳がない。 焦って来ました、何回も何回も電話してやっと出てくれたのですが、病院から出るように言っても出口が分からないと言うんです。 さっきから足が重たくて、出たいのに出れないと言ってきました。 私と一緒に居た子に話をすると急に何か唱えだしたのです。 すると数分後に中に入って行った2人は出てきたのですが、足が重たいと言っていた子の足首には、掴まれた跡に痣が出来ていました。 家に帰って落ち着いてから3階の端の窓から人が覗いていた事を言ったのですが、3階の端はトイレがあり人が覗けるような窓はなかったと言われました。 石と板を退けたら地下があったそうですが怖くて入らなかったと、それから足が重たくなったと言っていました。 退けてはいけない物だったのでは…と思います。 痣は一週間くらいで消えました。 海老(カイロウ)山公園は高度成長期に、毛利元就の家臣宍戸孫六が築いた山城跡がある海老山を開発した時に作られた。 合戦で亡くなった兵30人の墓や石垣の跡が今も残る、瀬戸内海を展望する事が出来る公園です。 こういう史跡が好きなW君は駅から歩いて10分程で行ける手軽さから、軽い気持ちで出発の準備をしているとカギをぶら下げていたストラップが壊れ。 部屋を出てしばらく歩いた所で、スニーカーのゴム底が剥がれ。 海老山の麓まで着いた時に、カバンのベルトと本体をつなぐ金具が壊れ。 小さい出来事だとコップをひっくり返して飲み物をこぼし、コンビニで飲み物1本とガム1個を買ったらガムを2個買ったことになっていたり、電車を降りる時にバランスを崩した方のリユックがぶつかったり。 ストラップもカバンも長年愛用していたので壊れることはしかたがないのですが、悪い出来事が続くと気味が悪くなり引き返したそうです。 別の日に海老山公園に行くと山城の名残を感じる普通の公園で、悪いことが続いたのもただの偶然だったと思っていると。 自分しかいないはずの女子トイレで子ども達の声が聴こえたと、海老山公園が雑誌に取り上げられていることを知り、あの日は海老山公園に行っては駄目だと何かが止めてくれたのだと思ったそうです。 どうして女子トイレで何故子供の声が聞こえるのかはハッキリと言えませんが、海老山の整備工事をしている近くで子どもたちが遊んでいたので、学校が注意を呼びかけたらしいので何か関わりがあるのかもしれません。 私が大学を卒業して就職をしたある日の事でした。 こんな恐怖体験をするなんで思いもしませんでした。 入社して4ケ月がたち広島県瀬戸内海国立公園にある大久野島という島に研修旅行に行くことになりました。 1ケ月ものかなり長い研修です。 と言うのも私の就職をした会社はかなりキツイ営業をしなくてはいけない会社なので、精神を鍛えるための研修という事です。 水も飲む事も許されず、砂浜で走ったり、海で延々泳いだり、先輩の言う言葉に従って大声手海に向ってさけんだりと、朝から夕方まで毎日続きました。 グループに分けられ競争をして勝ったグループからお風呂にゆっくり入る事ができ食事ができるという感じでした。 ある日の夜、本当にへとへとで疲れて、ご飯も食べれずお風呂から上がってそのまま寝床に倒れこんでしまいました。 夜中の2時過ぎだったとおもいます。 畳の上をすり足ですって歩く足音が聞こえました。 「ん?」と起きようとしたのですが金縛りになり動けません。 そこで私はこれはヤバイと思いました。 ドンドンすり足が近づいてきます。 私は怖くて目をギュっとつむりました。 すると、頭の上で足音が止まりました。 私は怖くて怖くて目をつむっていたのですが、あまりにも何も変化がないので、うっすら目を開けて見ると、畳の上に顔だけが浮かび上がっていました。 坊主頭に丸めがねをかけて帽子をかぶっている薄い緑の顔をした人は兵隊の帽子をかぶっていました。 私は恐ろしすぎて目を閉じる事も出来ず、ずっと見ているとその兵隊さんは私をずっと見ながら、首だけがすーっとたたみの上を動きそのまま壁に消えていきました。 兵隊さんが居なくなると金縛りがとけて、私は布団を頭からかぶって朝が早く来て欲しいと思いながらいつの間にか寝てしまいました。 そう、私達が研修をしていたこの島は、大久野島といい、いわゆる「毒ガス島」と言われていた島だったのです。 大久野島(おおくのしま)は、瀬戸内海にある島で広島県竹原市忠海町から沖合い3キロメートルにある周囲4. 3キロの小さな島です。 「地図から消された島」とも呼ばれ、第一次世界大戦以降の化学兵器製造の毒ガスを製造していた所です。 「心霊スポット」のようにはなっていませんが資料館が今は立てられています。 私の見た兵隊さんは、昔の事を伝えるために出て来られたのかもしれませんね。 広島県の原爆ドームが心霊スポットかどうか不明ですし、このことが恐怖体験談になるのか分かりませんが、私の身に実際起きたことを綴っておきたいと思います。 今から、11年ほど前のことでした。 某通信教育の彫刻のレポートで仮想彫刻をどこに建てるかというテーマをもらって、私は、原爆ドームにしよう、そこに私の祈りの彫刻を建てようという計画を練りました。 そのためには、原爆ドームを自分の眼で見て、そして絵を描き、その仮想空間に自分の彫刻を描きこまなくてはなりませんでした。 デッサンを兼ねて、どうしても原爆ドームの詳細を見ることが必要と、私は広島で教養講座の試験を受けに行った足でドームまで足を延ばしました。 広島駅からバスに乗り、原爆ドーム前で降りた時から、何か私の感情は変でした。 意味もなく、涙が流れてくるのです。 ここが、どんな場所か知っているはずでしたし、そのためにこの場所を選んだつもりでした。 しかし、それでも、私の意思と無関係に涙は自動仕掛けのように流れてくるのでした。 それは、悲しいとか切ないとか思う私の感情とは、異なる何か…… つまり、私自身が流している涙というのでなく、誰かか私の体を通じて泣いているという感覚でした。 その時から変でしたが、私はレリーフをこの建物に建てるという当初の計画を実現しなければなりませんでした。 その作業に入ると、私は自分のすべき仕事に没頭しました。 軽くデッサンをし、何方向からも詳細な写真を撮りました。 私は原爆ドームの内側がどうなっているのか知りたく、本来ならこんな好奇心はないのでしょうが、なにせ、課題を提出しなければならないので、ドームの内側を撮るために、柵の上から身を乗り出すように写真を撮りました。 普通は、こんな撮り方をしないでしょう。 けれど、いろいろな角度からのドームの写真がほしかった私は、ドームの内側まで写真に納めたのでした。 その時は何も感じませんでした。 夢中だったので分からなかったのでしょう。 寝不足でしたが、帰り道でも何ともなく無事に帰宅しました。 けれど、数日経って写真を焼き増しして驚きました。 何と、原爆ドームの建物の内部の壁には、はっきりと男の人の顔が写っていたし、真ん中あたりに立っている女性の姿もぼんやりと写っていました。 それ以外にも、いろいろな影がありました。 その後、私は、帯状疱疹になり、その一年半後、甲状腺疾患の病気になりました。 今まで、このことは私の過労だと思っていましたが、もしかしたら、霊の障りだったかもしれないと今頃になって思っています。 その写真は邪険に捨てられず、今でも家のどこかにあると思います。 原爆ドームに行ったことのある人の中で霊感の強い人は、そこへいくとぞっとするといいます。 入り口近くに立つだけで、背筋がぞくっとするようです。 何か肌に感じるものがあるようです。 霊感のない人にはわからないし、そのまま何の気にもせず入っていけます。 施設内には原爆で亡くなった人の顔写真がドームの円に沿って横に並べてあります。 この写真の並びは、さすがにまじまじと見ていられず、大人でも子供でも白黒写真が並びます。 通路の壁沿いの手の届かない位置に飾ってあって、それらの写真の人たちは、全員死んだ人です。 さすがにそれは霊感がなくても、ぞくっとするでしょう。 だから、入り口でぞくっとした人も、写真を見てぞくっとした人も大差がないのでは、と思っていました。 しかし、どういうわけか、その原爆ドームの入り口でぞくっとした人は、その後結婚して離婚してバツイチになりました。 一人で子育てをしています。 それとこれとはまた別の話ではないか、と思えます。 しかしながら、もしや何か霊感の強さが要因になっているのかもしれない、まさしく日ごろからそういうのを肌に感じるようなので、妙な霊がとりついているということが徐々に疑いなくさせてきていたようです。 原爆ドームは鎮魂の意味を込めた施設で、実際に霊がいるわけではないと信じていますが、実際に霊感が強くてここで何かを感じた人はいます。 たくさんのが戦争の犠牲になって、これからも修学旅行や小旅行で訪れることがあるでしょう。 3グループ合同で、広島県呉市郷原の二級峡にある二級ダムと旧二級峡トンネルに肝試しに行くことになりました。 呉駅までは電車で移動して、駅の近くでワゴンをレンタルして。 私達は封鎖された旧二級峡トンネルと、二級ダムへ向かいました。 初めましての人もいましたが、それぞれが調べた二級ダムと旧二級峡トンネルの話題から打ち解けて。 和やかな雰囲気で、車内では会話がはずみました。 旧二級峡トンネルは封鎖されてるけれど、心霊スポットとして訪れる人が多くて。 行った人のブログで写真を見たら、コンクリートブロックが金網の前に置かれていたり、だんだんと強固になってる。 旧二級峡トンネルは工事中の死者への慰霊碑があるけど、ダムにはそういう話があったかな? とにかく、二級ダムを中心にして不思議なことが起こるんですよ。 川の流れが霊的な通り道で、ダムがそれを遮っているんですかね。 大丈夫ですよ、ブログに上げていた人に何も起きてないんだから。 金網と鉄条網で封鎖された旧二級峡トンネルの入り口の手前に、二級ダムへの入り口があります。 二級ダムには駐車場が無いようなので、道幅が広くなっているこの辺りに車を停めることにしました。 封鎖された旧二級峡トンネルは、行き止まりにしては大げさに閉ざされていて。 曇り空というほどでは無いのですが、車の外は思ったよりも肌寒くて。 もう一枚着るものを持ってくれば良かった、そういいながら二級ダムに向かいます。 雨が染み付いたコンクリートに、苔むしたスロープ。 廃墟手前という佇まいに圧倒されて、何かがおきても不思議ではないと納得します。 そして、私達は予定よりも早く、二級ダムから引き返すことになります。 二級ダムについてから、寒気というよりも居心地の悪さを何人もうったえます。 手を洗いにトイレにいったS子さんが、このトイレはダメだと感じて引き返したら、人の気配が私達以外に無いのに、音がトイレから聞こえたといい。 私も呼ばれた気がしたから振り返ったのに、誰も私を呼んでいない。 よい雰囲気ではないから帰ろうとしたら、車のエンジンが一発でかからない。 遠ざかる封鎖されたトンネルの入り口を見ていると、山全体に拒絶されているように感じました。

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