台湾 と 中国 の 関係。 台湾問題

台湾は中国なの?

台湾 と 中国 の 関係

このインタビューでトン記者は、WHOは台湾の加盟を再検討するかと質問。 するとアイルワード氏はしばらく沈黙した後、トン記者の声が聞こえなかったとし、別の質問に移るよう促した。 トン記者が再度、台湾について話しを聞きたいと言うと、アイルワード氏は電話を切ったように見えた。 トン記者は電話をかけ直し、改めて台湾の新型ウイルス対策についてコメントを求めた。 これに対しアイルワード氏は、「ああ、中国についてはもう話した」と返答した。 同氏の最後の言葉は、台湾は中国の一部だとする、中国の姿勢を反映したものとみられた。 一方、台湾は自らを独立国家だとみなしている。 台湾とWHOの関係 アイルワード氏の応答は、台湾とWHOのぎくしゃくした関係を示すものと、多くの人に捉えられた。 台湾はWHOへの加盟を認められていない。 に限られている。 国連は台湾を加盟国と認めていない。 こうした状況のため、。 台湾当局のスタンレー・カオ氏は、台湾は近年、世界保健総会の年次会合にも出席を断られていると話す。 現在、新型ウイルスに関する台湾のデータは中国の集計にまとめられている。 カオ氏はこれについて、パンデミックに関する正確で時宜に合った情報を世界に伝えることにならないと指摘する。 台湾の排除と、中国に対する度重なる称賛(これに対してはしている)から、が出ている。 中国はWHOにとって大口の資金提供国となっている。 台湾の除外は、国際オリンピック委員会(IOC)や国連の国際民間航空機関(ICAO)などでもみられる。 ただ、世界最高レベルの医療制度を自負する台湾にとってWHOはどの機関よりも重要だろうと、同地にいるBBCのシンディ・スイ記者は説明する。 台湾はかつて中国政府と良好な関係を保ち、世界保健総会にもオブザーバーとして出席していた。 しかし近年、両者の緊張が高まると、台湾はオブザーバーの地位を失った。 どんな問題が起こるのか 台湾はこれまでも、国際機関から除外されるたびに不公平で差別的だと声をあげてきた。 新型ウイルスに関しても同じだ。 台湾は今月上旬、WHOの対応を非難した。 新型ウイルスの大流行が中国で発生してすぐのころ、台湾政府がWHOに人から人への感染について質問したところ無視され、人命に危険が及んだという。 台湾の陳時中・衛生福利部長(保健相に相当)はこれまでの記者会見で、「どの地域も除外されるべきではない」、「世界への貢献のために、いかなる地域の強みも軽視されるべきではない」と述べている。 台湾は早期に中国からの航空機の乗り入れを大幅に規制し、渡航者を隔離するなど、コロナウイルス対策で世界各国と共有できる多くの知見や手法があるとしている。 香港大学の伝染病学者、ベンジャミン・カウリング教授は、「台湾はコロナウイルス感染の疑いがある人を集中的に検査し、非常にすぐれた感染経路の追跡や社会的距離戦略を実施してきた。 かなりうまくやっていると思う」と評価する。 電話インタビューについてWHOは? WHOはアイルワード事務局長補佐のインタビュー後、。 また、台湾の保健衛生の専門家や当局と協力し、素早い情報の伝達と効果的な対策の共有に努めていると述べた。 ただ、そうした面はある一方、情報回路が限定されているなど、加盟国と同等の効率的な情報交換はできていないと、BBC特派員は指摘する。 台湾の蔡英文総統は30日、WHOの声明に応えて、「すべての国がこの大流行を経験した後、台湾の能力と貢献への理解を深め、パンデミックへの世界的な対策に台湾が加わることを真剣に検討することを望む」と述べた。 また、「台湾のスタンスは常に明快だ。 各国と共に健康問題を防ぐ能力も意志もある。 役立つ経験を共有する意志もある」と表明した。 台湾の呉釗燮(ジョセフ・ウー)外交部長(外相に相当)はより直接的に、「なんと、WHOでは『台湾』と言うことすらできないのか?」とWHOを批判するツイートをした。

次の

台湾はなぜ、WHOにとって頭痛の種なのか?

台湾 と 中国 の 関係

中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が7日、シンガポールで会談した。 1949年の中台分裂以降、両国の最高指導者同士が会談するのは初めて。 この会談では、中国と台湾は分かれることの出来ない『一つの中国』であるという原則のもと、経済・文化交流を拡大することが話し合われ、中台の分裂後66年にして初の歴史的な会談となった。 「あれ?中国と台湾って仲悪かったんじゃないの? いつからそんな仲良しになってんの?」 という人や、 「そもそも、中国と台湾って仲悪いの? っていうか台湾って中国の一部じゃないの?」 という人のために今回は、中国と台湾の関係をわかりやすく解説します。 中国と台湾の関係を、老舗鞄屋のお家騒動に例えてみます 『中国帆布』は、その丈夫さや、シンプルながら使いやすい布製カバンの製造・販売で多くのファンを持つ老舗であった。 しかし、その経営権をめぐって、兄弟間で骨肉の争いが繰り広げられたのである。 もともと、数名の従業員で切り盛りしていた中国帆布の知名度を高め、大きくしたのは兄の力によるところが大きいのだが、最終的に兄は、弟との権力争いに破れてしまう。 中国帆布を追われた兄は、町外れの小さな店舗を買取り、そこで新たに『新中国帆布』の営業を始める。 一方、弟はというと、『中華人民帆布』という新たなブランドを立ち上げ、我こそが正当な『中国帆布』の後継ブランドであり、兄の『新中国帆布』は偽物であると、激しく非難する。 しかしながら、従来からの取引先は、中国帆布時代の兄との取引が長かったこともあり、初めのうちは、兄の店を中国帆布の正当な後継ブランドと見ていた。 ところが、弟が主導する『中華人民帆布』は、巨大企業であるソビエト工業と提携し、その力と規模を急速に発展させる。 その結果、従来の取引先も 「お兄さんにはほんま申し訳ないんでっけど、弟さんの『中華人民帆布』がここまで大きくなってしもうたからには、弟さんを正当な後継者として認めるしかないですわ。 」 として、『中華人民帆布』を正当な後継者であるとみなすようになる。 ついに世間からも中国帆布の正当な後継ブランドとして認知された『中華人民帆布』は、その巨大な力で 「おい!兄貴!!いつまでも、新中国帆布なんて紛らわしい名前を名乗ってんじゃねんぞ!!とっとと、俺の会社に吸収されてしまえ!!」 と、兄に圧力をかける。 さて、そんな窮地の兄に手を貸したのが、ソビエト工業と並ぶ大企業『アメリカコーポレーション』である。 アメリカコーポレーションの最先端のデザインを取り入れたモダンな兄の鞄は大評判となり、弟の『中華人民帆布』も、うかつに兄に手出しが出来なくなってしまった。 ますます、悪化する兄弟関係。 「今は泳がしてやってるけど、俺は認めねーぞ!!お前の会社も俺の『中華人民帆布』の一部みたいなもんだからな、それだけは覚えておけ!! だいいちお前がまだ『中国』の名前使ってることが許せねえ!!」 と、あくまでも兄の『新中国帆布』を認めない弟と、 「いや、もう『中国』とか正直どうでもいいし。 今はもう『TAIWAN』ってレーベル名の方がメジャーになって来てるから、『中国』って名前をお前が使うなって言うなら、別にそれでもいいよ。 だから、もう俺たちのすることにいちいち口出ししないで、自由にやらせてくれ。 」 と完全に新しい『TAIWAN』ブランドとして、『中国』との関係を断ち切りたい兄の意見は平行線のままであった。 しかしながらここ数年、弟が設立した『中華人民帆布』と、兄が育て上げた『新中国帆布』(今では『TAIWAN』というレーベル名で呼ばれることの方が多い)の両社の関係に変化が起きている。 きっかけは、最近『TAIWAN』の新しい社長に就任した馬永久という男である。 彼は、ますます巨大企業に成長した『中華人民帆布』の経済力に大きな魅力を感じ、彼らに擦り寄る方針に転換したのである。 しかし、この方針転換には、『TAIWAN』の従業員たちからも 「今まで『中華人民帆布』からの嫌がらせにも負けずに、必死で独自路線を貫いて来たのに、それを無駄にする気か!!」 「『TAIWAN』は立派な独立会社だ!!その誇りを失ったのか!!」 「『中華人民帆布』は今は調子のいいことを言っているが、どうせ、我々を吸収する気に違いない!!」 と反対の声も多数上がっている。。。 中台分裂から現在までの時系列 では、国民党と共産党の権力争いにより起こった、中華人民共和国と台湾の分裂から現在までを時系列で見てみましょう。 1895年 日清戦争に勝利した日本は、台湾を清から譲り受ける。 以後、第二次大戦終結まで日本が台湾を統治する。 1945年 第二次大戦に破れた日本は台湾を手放し、台湾は中華民国の領土に編入される。 1949年 中華民国における、共産党軍との権力争いに敗れた蒋介石率いる国民党は台湾に逃れ、そこを新たな中華民国とする。 一方、中国においては毛沢東率いる共産党が、中華人民共和国の成立を宣言する。 1971年 中華民国(台湾)は国連の常任理事国の座を失い、代わりに中華人民共和国が常任理事国となる。 これにより、名実ともに中華人民共和国が『中国』の代表となる。 1988年 李登輝が台湾出身者として初の総統となり台湾の民主化が進む。 また台湾として、中国からの完全な独立を望む声も強くなる。 一方、中華人民共和国はこれに強く反発し、台湾が独立を宣言した場合、武力行使も辞さないという法律を制定する。 2008年 馬英九が総統に就任。 中華人民共和国との対立による緊張の緩和と、台湾経済の発展を促進するため、中華人民共和国との関係性を改善する方針に舵をきる。 一方、台湾国内では、将来的に台湾が中国に吸収されてしまうのでは、と中国との結びつきを強める馬英九の方針に反対の声も多く上がっている。

次の

中国はなぜ「2020年、台湾武力統一」を目指すか:日経ビジネス電子版

台湾 と 中国 の 関係

台湾の人々は、中華人民共和国 中国本土 のことを「大陸」と呼びます 英語だとMainland。 その言葉のニュアンスに、あまり好意的なものはありません。 台湾人の中国人に対する感情は単純に語れるものではありません。 「一つの中国」を主張する中国政府と、台湾内で台湾独立を主張する人々との摩擦で、一触即発の雰囲気にひやひやの時代もありましたが、今は比較的落ち着きつつあります。 台湾と中国との問題は、常に両国の微妙な力関係の中で揺れ動いています。 台湾という小さな島の歴史を紐解けば、台湾のアイデンティティーの複雑さを少し理解できるかもしれません。 延平郡王祠内の鄭成功像 台南市 【鄭成功と本省人】 もともと台湾にはマレーポリネシア系の先住民が住んでいました。 17世紀に入って、スペインやオランダの植民地になりましたが、、1661年、中国人と日本人のハーフ、鄭成功がオランダ人を追い払いました。 鄭氏による台湾支配はその後の清朝の攻撃によって短期間で終わり、台湾は清朝の支配を受けることになります。 このころ中国福建省、広東省から多くに人々が台湾に移住し、今日の台湾における、いわゆる 「本省人」の基礎となりました。 日本台湾統治時代に建築された建物がならぶ台北市博愛地区 【日本の統治と敗戦】 1894年、清朝が日清戦争に敗北したため、台湾は日本に割譲され、 その後1945年まで日本政府の台湾統治が行われました。 この時、日本同化政策として日本語教育が施行されたため、この時代に教育を受けた人たちの中には今でも日本語を話す人がいます。 1945年、第2次世界大戦の日本敗戦をもって、日本の台湾支配は終わります。 だたし、日本が連合国側諸国と締結したサンフランシスコ平和条約において、台湾の主権移転対象 帰属先 については明記されておらず、これが台湾の国際的地位をちゅうぶらりんなものにしているとも言えます。 蒋介石の座像がある、中正記念堂 台北市 【蒋介石と外省人】 このころ中国本土では、蒋介石率いる中華民国政府と毛沢東を中心とする中国人民解放軍との内戦が激化し、1949年になると中華民国政府は首都の南京から台湾へと撤退しました。 これ以降台湾に移住してきた人たちが、 「外省人」と呼ばれます。 中華民国は、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れてきて以来、中国と敵対してきました。 当初、アメリカや日本は台湾を正式な国家とみなしていましたが、中国の台頭によって状況が変化、1979年にはアメリカは中国と正式に国交を結びます。 日本も田中首相時代に中華人民共和国との国交を開始して以来、現在においても台湾との間に正式な国交はありません。 【台湾独立運動と今】 「一つの中国」という思想は1970年代当時、中国・台湾両サイドとも持っていた概念で、、それぞれ自分こそが中国の正当な政府であると主張していました。 双方とも、ゆくゆくはお互いを取り込んで一つの国家を築くと思っていたわけです。 1980年代後半からの李登輝総統時代に入ると、台湾は北京政府を容認した上で、台湾は台湾として独立した国家だという姿勢を取り始めます。 その後2000年代前半にかけては、「台湾は中国の一部だ」と主張する中国政府からの軍事的プレッシャーを受けることも度々ありました。 しかし、 ここ10年で中国が躍進し世界的大国になってきたことで、台湾人の意識も変化してきました。 中国が途上国だった時代には台湾のほうが圧倒的に経済力を持っていましたが、昨今台湾と中国の経済帝に立場は完全に逆転し、台湾内の独立運動は下火になってきています。 中国と仲良くしておいたほうが、経済的には得だという計算です。 現在、台湾政府としては、現状維持がもっとも現実的だという姿勢です。 台湾人と一口に言っても、九州と同じ面積しか持たない小さな島に、 本省人、外省人に加えてそれぞれ独自のの言語を話す土着の少数民族たちが住んでいます。 中国本土に対して帰属意識を持っている人々もいて、本省人と外省人との間でも、独立に対する気持ちに温度差があります。 かれらのアイデンティティーはどこに帰属するのか、「台湾」としてのアイデンティティーは今後どのように確立されるのか、そんなことを考えながら台湾を旅するのもおもしろいのではないでしょうか。

次の