ショパン ワルツ 遺作。 ショパン 楽譜 無料 ダウンロード 図書館

ショパン・ワルツ

ショパン ワルツ 遺作

ショパン ワルツ解説 ショパン:ワルツ Frederic Chopin : Valse ワルツは皆さんよく知っている三拍子の舞曲です。 日本でワルツというと、ほとんどの人はウィンナワルツ(ウィーン風のワルツ)を想像すると思いますが、ショパンのワルツはウィンナワルツとは少し様相が違います。 ショパンはピアニストを目指していた20歳前後にウィーンに滞在し、同地での音楽家活動を模索したことがありましたが、うまくいきませんでした。 ありていに言ってしまえば、ウィーンはショパンを拒絶したのです。 ショパンのピアノ奏法は繊細なニュアンスを重視していたため、当時ウィーンで流行していた華麗なヴィルトゥオーゾ(超絶技巧系の名人芸)からは程遠かったことと、オーストリアがポーランドに対して政治的に敵対関係を取ったことがその理由と言われています。 音楽の都での成功を夢見たショパンはウィーンをあきらめ、フランスへと旅立つことになります。 <コラム:ウィンナワルツについて> ウィンナワルツの巨匠といえばヨハン・シュトラウス2世(1825年生まれ)が有名ですが、ショパンが活躍した頃はちょうど父親のシュトラウス1世(1804年生まれ)の時代にあたります。 現在では2世の方が有名ですが1世も大変な売れっ子作曲家で、シュトラウス父子のワルツやポルカは当時の最新ポップスだったことを意識しておく必要があります。 この点は注意が必要です。 ショパンのワルツを理解する手がかりは、たとえばウェーバーの「舞踏への勧誘」などになります。 この曲は舞踏会へと向かう男女の気持ちを表現したものであり、舞踏用の音楽ではないのです。 ウェーバーはこの曲を奥さんに献呈しており、舞踏会へ向かう男女とは実はウェーバー夫妻にほかならないという大ノロケなオチのついた曲だったりしますけどね(笑)。 ショパンはポロネーズ、マズルカ、ワルツと三拍子の舞曲を好んで書いています。 ポロネーズでは民族意識を芸術作品として結晶化し、マズルカでは素朴な望郷の念を歌っています。 そこに含まれるポーランド風の旋律やリズムは、フランス人には歴史深い異国を想像させ、ポーランド人には郷愁を思い起こしたことでしょう。 しかし、ポーランド風の曲ばかり書いていては外国での受けが悪いという配慮も働いたに違いありません。 サロンに集う人の気を引くには、気軽に聞いてもらえて、なおかつ少しだけ下世話な要素も必要なのです。 ワルツは男女の出会いの場である舞踏会のための曲ですから、本来猥雑な要素が含まれます。 ショパンは強い美意識を持っていたため音楽において猥雑な表現を避ける傾向が強く、ワルツなどは積極的には作りたくなかったと思うのですが、その反面、私生活においては派手好きで、おしゃれ好きで、しょっちゅう夜会に繰り出しては朝まで遊んでいたようです。 残された手紙などから推測すると、結核が表面化する以前(ジョルジュ・サンドとマジョルカ島へ旅立つまで)は身体的にも絶好調だったようで、都会生活を謳歌していたことが伺えます。 派手好きなショパンは、ついにワルツの魅力に抗うことはできなくなります。 夜会での華やかに着飾った女性、格好つける男たち、高揚する気持ち…そういう要素を抽出して、小粋なワルツを作り始めます。 しかしショパンはすぐにそういった表面的な気分を表現したワルツでは満足できなくなってしまいます。 三拍子のリズムをきっかけに次々といろいろな楽想が登場するワルツは、移り変わり行く心情の表現にも適しています。 そのため、ショパンは次第に自分の心を反映したワルツを作るようになります。 ショパンの心を反映した小品という点で、マズルカとワルツは似ています。 実際、ショパンのワルツにはマズルカ風のリズムが混ざる作品もあります。 そのためか、「私がワルツを作ると、どういうわけかマズルカになってしまう」という、自嘲気味な言葉も残っています。 ショパンのワルツはその曲調から華やかなワルツ(Valses brillantes)と、叙情的なワルツ(Valses lyriques)に大別することができます。 叙情的なワルツは演奏難易度が低いにもかかわらず深みのある作品が多いため、ピアノ初心者〜中級者のショパン入門曲としても適しています。 なお、通常出版されている楽譜には14曲あるいは17曲のワルツが収載されています。 存命中に出版されたのはそのうち8曲で、没後フォンタナによって6曲が出版されました。 その後、さらに3曲が発見されています。 そのため、「ショパン・ワルツ全集」というタイトルが付いたCDも14曲だったり17曲だったりしますので注意が必要です。 さらに、この17曲以外にも草稿が2曲存在しており、紛失した作品が3曲あります。 華麗なる大円舞曲 Grande Valse brillante Op. 18(第1番) 次々と異なる楽想が登場しては移り変わっていく、いわゆるGrande Valse様式の曲です。 フランスに移住してから出版されていますが、ウィーン滞在時に作曲しています。 ショパンもウィーンで成功するためにはワルツが必要だと考えたようです。 そのためシュトラウスの影響が濃厚で、ショパンのワルツの中で最もウィーンっぽさを感じさせる曲になっています。 ただ実用的な舞曲ではなく純粋な器楽として書かれているところがポイントです。 とても華やかな雰囲気でまとめられており、マズルカっぽさも皆無な、都会的な曲と言えるでしょう。 ショパンでは珍しい同音連打が多用されており、コケティッシュな雰囲気を生み出す要因になっています。 華麗なる円舞曲 Valse brillante Op. 34(第2番〜4番) Op. 34-1はOp. 18と同じ要領で曲を始め、ABCBAコーダという循環形式で書かれるなどウィンナワルツ調というかGrande Valse様式を残していますが、すでにマズルカ調のリズムが出はじめます。 34-2は中低音でスラブ的な物悲しい旋律が歌われるValses lyriquesの名曲です。 この曲は非常に有名ですが、ショパン自身も大変気に入っていたようです。 コーダの展開(ホ長調で歌いまくり)が意表をついていて面白いと思います。 34-3はValse brillanteの小品で、後の小犬のワルツを先取りするような雰囲気があります。 大円舞曲 Grande Valse Op. 42(第5番) ショパンの天才性が発揮された曲で、演奏難度が高いです。 主題がいきなりヘミオラ風はじまったかと思えばアルペジョが自在に駆け回り、そうかと思えば濃厚な歌があり…と、諧謔的というかカプリッチョ的な要素が全面に出ています。 各ブロックの繋ぎが抜群に上手く、曲想が次々移り変わる気まぐれな雰囲気がうまく演出されています。 コーダに入る前(250〜260小節)がびっくりするほどの転調の嵐になっているのもポイントですね。 Valses brillantesとしては第1番よりずっと出来がよく、傑作だと思います。 ワルツ Valse Op. 64(第6番〜8番) Op. 64-1は「小犬のワルツ」として知られ、Op. 64-2も非常に有名な曲ですが、3曲を連続して演奏したときのまとまりのよさも特筆されるショパン円熟期の名作です。 叙情的なOp. 64-2は付点音符で跳ねるマズルカ的な旋律が印象に残ります。 64-3は高度な転調を多用した非常に完成度の高い曲ですが、やはりマズルカ調のリズムが鳴っています。 この作品が書かれた時期、ショパンは体調が悪化していきジョルジュ・サンドとの仲も険悪だったようなのですが、曲を聴く限りそのような暗さはほとんど感じられません。 ワルツ Valse Op. 69(第9番、10番) これ以降はすべてショパンの没後に出版された曲となります(Op. 69と70は幻想即興曲とともにフォンタナによって出版されました)。 69-1は「別れのワルツ」とも呼ばれます。 静養に訪れたドレスデンを離れるとき、同地で恋に落ちて婚約者となったマリア・ヴォジンスカに捧げられたことから「別れ(告別)」というタイトルが付いています。 その後ヴォジンスカとの婚約が破局したことで、いっそうのドラマを有することになりました。 69-2はワルシャワ時代に作られた物悲しい叙情的なワルツ。 19歳の青年らしい感傷的な旋律が印象的ですが、掛留音が多く意表をつく転調なども含まれ、ドラマチックな構成になっています。 ワルツ Valse Op. 70(第11番〜13番) Op. 70-1は3拍目がポンと上がる旋律です。 3拍目にアクセントが付くことや跳ねるリズムから、Valse brillantesというよりマズルカ(オベレク)の雰囲気を感じさせます。 70-2はこれまた有名なValses lyriquesで、スラブ的なほの暗さをもった甘美な旋律が印象的です。 この曲にはより平易なバージョンもありますので、初心者の方でも弾きやすいと思います。 70-3はOp. 69-2と同時期に書かれています。 要するに当時恋していたコンスタンチア・グラドコフスカを想って書いているわけです。 全編がポリフォニーになっている珍しいワルツで、聴いた感じよりも演奏は難しいです。 ワルツ遺作 Valse Op. post. (第14番〜17番) 14番は非常に有名で、かなり切迫感を持った短調で始まるけれども曲調はValse brillantesという面白い発想です。 これもOp. 69-2と同時期での作曲ですが、ピアノの幅をいっぱいに使うアルペジョや外側から指を巻き込むようなフレーズの作りがピアノ協奏曲にも通じており、技巧的に難しく演奏効果の高い曲になっています。 あと、ここまで見てきてわかるように、恋愛を作曲動機にしたワルツは大事に仕舞っておいて生前には出版していません。 恋愛に対して積極的になれなかったショパンの性格を反映しています(笑)。 15番はマズルカ風の中間部をもつ小品ですが、作風は平易です。 16番は同じ音型が繰り返されるエチュード的なワルツで、演奏指示がほとんど書かれていないこともあり、習作あるいはスケッチと思われます。 17番は右手が延々2声体で奏されるワルツで、やはりエチュード的な要素があります。

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ショパン ワルツ 遺作

ショパン ワルツ解説 ショパン:ワルツ Frederic Chopin : Valse ワルツは皆さんよく知っている三拍子の舞曲です。 日本でワルツというと、ほとんどの人はウィンナワルツ(ウィーン風のワルツ)を想像すると思いますが、ショパンのワルツはウィンナワルツとは少し様相が違います。 ショパンはピアニストを目指していた20歳前後にウィーンに滞在し、同地での音楽家活動を模索したことがありましたが、うまくいきませんでした。 ありていに言ってしまえば、ウィーンはショパンを拒絶したのです。 ショパンのピアノ奏法は繊細なニュアンスを重視していたため、当時ウィーンで流行していた華麗なヴィルトゥオーゾ(超絶技巧系の名人芸)からは程遠かったことと、オーストリアがポーランドに対して政治的に敵対関係を取ったことがその理由と言われています。 音楽の都での成功を夢見たショパンはウィーンをあきらめ、フランスへと旅立つことになります。 <コラム:ウィンナワルツについて> ウィンナワルツの巨匠といえばヨハン・シュトラウス2世(1825年生まれ)が有名ですが、ショパンが活躍した頃はちょうど父親のシュトラウス1世(1804年生まれ)の時代にあたります。 現在では2世の方が有名ですが1世も大変な売れっ子作曲家で、シュトラウス父子のワルツやポルカは当時の最新ポップスだったことを意識しておく必要があります。 この点は注意が必要です。 ショパンのワルツを理解する手がかりは、たとえばウェーバーの「舞踏への勧誘」などになります。 この曲は舞踏会へと向かう男女の気持ちを表現したものであり、舞踏用の音楽ではないのです。 ウェーバーはこの曲を奥さんに献呈しており、舞踏会へ向かう男女とは実はウェーバー夫妻にほかならないという大ノロケなオチのついた曲だったりしますけどね(笑)。 ショパンはポロネーズ、マズルカ、ワルツと三拍子の舞曲を好んで書いています。 ポロネーズでは民族意識を芸術作品として結晶化し、マズルカでは素朴な望郷の念を歌っています。 そこに含まれるポーランド風の旋律やリズムは、フランス人には歴史深い異国を想像させ、ポーランド人には郷愁を思い起こしたことでしょう。 しかし、ポーランド風の曲ばかり書いていては外国での受けが悪いという配慮も働いたに違いありません。 サロンに集う人の気を引くには、気軽に聞いてもらえて、なおかつ少しだけ下世話な要素も必要なのです。 ワルツは男女の出会いの場である舞踏会のための曲ですから、本来猥雑な要素が含まれます。 ショパンは強い美意識を持っていたため音楽において猥雑な表現を避ける傾向が強く、ワルツなどは積極的には作りたくなかったと思うのですが、その反面、私生活においては派手好きで、おしゃれ好きで、しょっちゅう夜会に繰り出しては朝まで遊んでいたようです。 残された手紙などから推測すると、結核が表面化する以前(ジョルジュ・サンドとマジョルカ島へ旅立つまで)は身体的にも絶好調だったようで、都会生活を謳歌していたことが伺えます。 派手好きなショパンは、ついにワルツの魅力に抗うことはできなくなります。 夜会での華やかに着飾った女性、格好つける男たち、高揚する気持ち…そういう要素を抽出して、小粋なワルツを作り始めます。 しかしショパンはすぐにそういった表面的な気分を表現したワルツでは満足できなくなってしまいます。 三拍子のリズムをきっかけに次々といろいろな楽想が登場するワルツは、移り変わり行く心情の表現にも適しています。 そのため、ショパンは次第に自分の心を反映したワルツを作るようになります。 ショパンの心を反映した小品という点で、マズルカとワルツは似ています。 実際、ショパンのワルツにはマズルカ風のリズムが混ざる作品もあります。 そのためか、「私がワルツを作ると、どういうわけかマズルカになってしまう」という、自嘲気味な言葉も残っています。 ショパンのワルツはその曲調から華やかなワルツ(Valses brillantes)と、叙情的なワルツ(Valses lyriques)に大別することができます。 叙情的なワルツは演奏難易度が低いにもかかわらず深みのある作品が多いため、ピアノ初心者〜中級者のショパン入門曲としても適しています。 なお、通常出版されている楽譜には14曲あるいは17曲のワルツが収載されています。 存命中に出版されたのはそのうち8曲で、没後フォンタナによって6曲が出版されました。 その後、さらに3曲が発見されています。 そのため、「ショパン・ワルツ全集」というタイトルが付いたCDも14曲だったり17曲だったりしますので注意が必要です。 さらに、この17曲以外にも草稿が2曲存在しており、紛失した作品が3曲あります。 華麗なる大円舞曲 Grande Valse brillante Op. 18(第1番) 次々と異なる楽想が登場しては移り変わっていく、いわゆるGrande Valse様式の曲です。 フランスに移住してから出版されていますが、ウィーン滞在時に作曲しています。 ショパンもウィーンで成功するためにはワルツが必要だと考えたようです。 そのためシュトラウスの影響が濃厚で、ショパンのワルツの中で最もウィーンっぽさを感じさせる曲になっています。 ただ実用的な舞曲ではなく純粋な器楽として書かれているところがポイントです。 とても華やかな雰囲気でまとめられており、マズルカっぽさも皆無な、都会的な曲と言えるでしょう。 ショパンでは珍しい同音連打が多用されており、コケティッシュな雰囲気を生み出す要因になっています。 華麗なる円舞曲 Valse brillante Op. 34(第2番〜4番) Op. 34-1はOp. 18と同じ要領で曲を始め、ABCBAコーダという循環形式で書かれるなどウィンナワルツ調というかGrande Valse様式を残していますが、すでにマズルカ調のリズムが出はじめます。 34-2は中低音でスラブ的な物悲しい旋律が歌われるValses lyriquesの名曲です。 この曲は非常に有名ですが、ショパン自身も大変気に入っていたようです。 コーダの展開(ホ長調で歌いまくり)が意表をついていて面白いと思います。 34-3はValse brillanteの小品で、後の小犬のワルツを先取りするような雰囲気があります。 大円舞曲 Grande Valse Op. 42(第5番) ショパンの天才性が発揮された曲で、演奏難度が高いです。 主題がいきなりヘミオラ風はじまったかと思えばアルペジョが自在に駆け回り、そうかと思えば濃厚な歌があり…と、諧謔的というかカプリッチョ的な要素が全面に出ています。 各ブロックの繋ぎが抜群に上手く、曲想が次々移り変わる気まぐれな雰囲気がうまく演出されています。 コーダに入る前(250〜260小節)がびっくりするほどの転調の嵐になっているのもポイントですね。 Valses brillantesとしては第1番よりずっと出来がよく、傑作だと思います。 ワルツ Valse Op. 64(第6番〜8番) Op. 64-1は「小犬のワルツ」として知られ、Op. 64-2も非常に有名な曲ですが、3曲を連続して演奏したときのまとまりのよさも特筆されるショパン円熟期の名作です。 叙情的なOp. 64-2は付点音符で跳ねるマズルカ的な旋律が印象に残ります。 64-3は高度な転調を多用した非常に完成度の高い曲ですが、やはりマズルカ調のリズムが鳴っています。 この作品が書かれた時期、ショパンは体調が悪化していきジョルジュ・サンドとの仲も険悪だったようなのですが、曲を聴く限りそのような暗さはほとんど感じられません。 ワルツ Valse Op. 69(第9番、10番) これ以降はすべてショパンの没後に出版された曲となります(Op. 69と70は幻想即興曲とともにフォンタナによって出版されました)。 69-1は「別れのワルツ」とも呼ばれます。 静養に訪れたドレスデンを離れるとき、同地で恋に落ちて婚約者となったマリア・ヴォジンスカに捧げられたことから「別れ(告別)」というタイトルが付いています。 その後ヴォジンスカとの婚約が破局したことで、いっそうのドラマを有することになりました。 69-2はワルシャワ時代に作られた物悲しい叙情的なワルツ。 19歳の青年らしい感傷的な旋律が印象的ですが、掛留音が多く意表をつく転調なども含まれ、ドラマチックな構成になっています。 ワルツ Valse Op. 70(第11番〜13番) Op. 70-1は3拍目がポンと上がる旋律です。 3拍目にアクセントが付くことや跳ねるリズムから、Valse brillantesというよりマズルカ(オベレク)の雰囲気を感じさせます。 70-2はこれまた有名なValses lyriquesで、スラブ的なほの暗さをもった甘美な旋律が印象的です。 この曲にはより平易なバージョンもありますので、初心者の方でも弾きやすいと思います。 70-3はOp. 69-2と同時期に書かれています。 要するに当時恋していたコンスタンチア・グラドコフスカを想って書いているわけです。 全編がポリフォニーになっている珍しいワルツで、聴いた感じよりも演奏は難しいです。 ワルツ遺作 Valse Op. post. (第14番〜17番) 14番は非常に有名で、かなり切迫感を持った短調で始まるけれども曲調はValse brillantesという面白い発想です。 これもOp. 69-2と同時期での作曲ですが、ピアノの幅をいっぱいに使うアルペジョや外側から指を巻き込むようなフレーズの作りがピアノ協奏曲にも通じており、技巧的に難しく演奏効果の高い曲になっています。 あと、ここまで見てきてわかるように、恋愛を作曲動機にしたワルツは大事に仕舞っておいて生前には出版していません。 恋愛に対して積極的になれなかったショパンの性格を反映しています(笑)。 15番はマズルカ風の中間部をもつ小品ですが、作風は平易です。 16番は同じ音型が繰り返されるエチュード的なワルツで、演奏指示がほとんど書かれていないこともあり、習作あるいはスケッチと思われます。 17番は右手が延々2声体で奏されるワルツで、やはりエチュード的な要素があります。

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ショパン ワルツ 遺作

ショパンのワルツは、現在『ワルツ集』の形でまとめて出版され、広く普及している。 しかしながら、ショパンのワルツ全19曲(遺作、ソステヌートを含む)は、その作曲年代、出版年、出版地、さらには献呈も様々である。 第2~第4番や第6~8番のように、セットで出版されたものもあれば、第5番のように、一つの作品が単独で出版されたものもある。 番号 作品番号( Op ・ KK ) カタログ番号( CT ) 調 作曲年 出版地:出版年 献呈 備考 第 1 番 Op. 18 CT 207 Es 1831-2 ライプツィヒ、パリ、ロンドン: 1834 ローラ・ホルスフォード 第 2 番 Op. 34 )として出版 第 3 番 Op. 34-2 CT 209 a c1834 G ・ディヴリ男爵夫人 第 4 番 Op. 34-3 CT 210 F 1838 A ・ダイクタル男爵令嬢 第 5 番 Op. 64-1 CT 212 Des 1847 ライプツィヒ: 1847 、パリ、ロンドン: 1848 デルフィナ・ポトツカ伯爵夫人 ワルツ集( Op. 64 )として出版 第 7 番 Op. 64-2 CT 213 cis 1847 シャルロット・ド・ロトシルド 第 8 番 Op. 64-3 CT 214 As 1847 カテリーナ・ブラニツカ伯爵夫人 第 9 番 Op. 70 )として出版 第 12 番 Op. 70-2 CT 218 f 1842 クラカウ: 1852 マリー・ド・クリュントネル嬢、ウーリ夫人、エリス・ガヴァール嬢、エステルハージ伯爵夫人 第 13 番 Op. とりわけ二曲目にあたる「Lento」のワルツは、「華麗なる」舞曲とは無縁の憂いを含んでいる。 別々の年に作曲された3つのワルツが、合わせて作品34として、1838年12月にパリ、ライプツィヒ、ロンドンで出版された。 このことについて、ショパンは1838年12月28日に、ジョルジュ・サンドと過ごすマジョルカ島のパルマから、友人フォンターナに宛てて次のように書いている。 「シュレジンガーはもっとはるかにろくでなしだ。 ぼくのワルツを一つのアルバムにして、ブライトコプフに売りとばそうとしたのです」。 この書簡からもわかるとおり、ショパンの曲集は純粋な音楽的理由だけで成り立っているわけではなく、当時の出版事情やショパン自身の経済状態とも密接に結びついている。 変イ長調 作品34-1 【作品の基本情報】 作曲年:1835 出版年:1838(Paris, Leipzig, London) 献呈 :ヨゼフィーナ・ド・トゥン=ホーエンシュタイン嬢 A Mademoiselle J. de Thun-Hohenstein 【楽譜所収情報】 パデレフスキ版:No. 2/エキエル版:No. 2/コルトー版:No. 2/ヘンレ版:No. 2/ ペータース版(原典版):No. 2(補遺3[1835年9月15日付の自筆譜に基づく]あり) 1835年9月15日に書かれた自筆譜が、フランツ・アントン・フォン・トゥン=ホーエンシュタイン伯爵のふたりの令嬢アンナとヨゼフィーナがもつアルバムに残されている。 ショパンはワルシャワで別れたままであった両親と、1835年夏にチェコで再会を果たした。 カルロヴィ・ヴァリに3週間滞在後、両親を見送る途上で、ボヘミアのヂェーチェンのホーエンシュタイン家に招かれた。 変イ長調のワルツは、このホーエンシュタイン家滞在中に作曲され、令嬢ヨゼフィーナに贈られている。 この贈られた自筆譜は、出版に用いられた決定稿と大きく異なっているため、ペータース新版の補遺3に収録されている。 出版稿に比べて即興性が強く、ダルセーニョによる反復を伴う連鎖型である。 また「Tempo di Valse(ワルツのテンポで)」という指示が見られるが、「3つのワルツ」として出版される段階で、速度表示が「Vivace」に変更されている。 フランス初版に用いられた決定稿には、ショパンが形式的な面で練り直した跡が見られる。 16小節の導入の後、典型的な舞踏ワルツのリズムを刻む主部、中間部(変ニ長調)、再現部、コーダという三部形式は作品18と同型であり、自筆譜にはない調号の付け替えによって中間部ははっきりと示されている。 イ短調 作品34-2 【作品の基本情報】 作曲年:1831? 出版年:1838 献呈 :C・ディヴリ男爵夫人 A Madame la Baronne C. 3/エキエル版:No. 3/コルトー版:No. 3/ヘンレ版:No. 3/ ペータース版(原典版):No. 3 ショパンの生前に出版された8つのワルツ(作品18, 34-1, 34-2, 34-3, 42, 64-1, 64-2, 64-3)の中で初めての短調によるワルツである。 晩年に作曲・出版された「3つのワルツ」作品64でも二曲目に短調を置いており、いずれもショパンのワルツの中で、他に代え難い詩情を湛えている。 イ短調という調性、「Lento」という速度表示からも、舞踏会におけるワルツとは別次元の作品である。 ワルツはポーランドにおいて、マズルカと並んで日常的に踊られていた舞踊であり、ショパン自身、ウィーンでは「ワルツが作品と呼ばれている!」と驚いていた。 このイ短調のワルツがもつ一種庶民的な哀愁は、同時期に作曲された《ワルツ》作品18と好対照をなしており、1831年のウィーン滞在で、ショパンのワルツ観が大きく揺れている様子が感じ取れる。 曲構成は5つの楽想が一見気まぐれな順序で繰り返される(A-B-C-D-B-C-D-A-E-A)。 しかし全体はやはり三部形式の変形である(A-B [bcd-bcd]-A [-E-A]))。 16小節の憂鬱な冒頭主題Aは、低音の持続音、右手に配されたリズムパート、そして内声部の旋律、と声部配置は例外的だが、民族合奏団の器楽合奏を思わせる。 この主題は最後に、経過部を挟んで二度繰り返される。 やはり16小節からなるイ長調の主題D(第53~68小節)は、イ短調で反復されることによって、単純ながら微妙な感情の変化を見事に表現している。 ヘ長調 作品34-3 【作品の基本情報】 作曲年:1838 出版年:1838 献呈 :A・ダイクタル男爵令嬢 A Mademoiselle A. 4/エキエル版:No. 4/コルトー版:No. 4/ヘンレ版:No. 4/ ペータース版(原典版):No. 4 作品34-1と同じくVivaceの華やかなワルツである。 ジョルジュ・サンドとの深い恋愛が始まる1838年に作曲されている。 同年サンドとマジョルカ島へ出発したことから、フランス初版のための校訂は友人フォンターナに託された。 自筆譜が失われたため、具体的な校訂過程は不明である。 1839年8月8日に、サンドと過ごすノアンから、フォンターナに宛てて、このヘ長調のワルツの写しを、ダイクタル嬢へ届けたかどうか尋ねつつ、「届けていなくてもかまいません」と書き残している。 献呈は出版に際して一種形式化していたとも言えるかもしれない。 1838年という年はジョルジュ・サンドの年というだけではない。 1837年に《12の練習曲集》作品25の出版を終えて全24曲のエチュードを完成させたショパンは、すでに1836年から書き始めていた《24の前奏曲集》の作曲に集中的に取り組んでいた。 バッハの楽譜をマジョルカ島にも持ち込んでおり、《平均律クラヴィーア曲集》に刺激を受けた調性感や転調に対する意識の高さはこのヘ長調のワルツにも表れている。 中心となるワルツ主題に導入された細かく上下する音階パッセージは、経過音の多用により調を曖昧にする効果があり、自然な転調を可能にしている(例えば143~158小節)。 ワルツ第6~8番 いずれも1846年から1847年にかけて作曲、1847年に出版された。 この《3つのワルツ》作品64とあわせて、作品63《3つのマズルカ》と作品65《ピアノとチェロのためのソナタ》がブライトコプフ社にまとめて売り渡され、これらがショパンの生前最後の出版となった。 これ以後に作曲されたワルツとしては、没後に発見されたイ短調のワルツ(KK. IVb-11)のほか、1848年10月に作曲されたロ長調のワルツが、自筆タイトルページの複写機コピーのみ残されている。 ショパンにとってワルツは、マズルカと並び生涯書き続ける日記のようなものであったのかもしれない。 とりわけワルツは、女性との結びつきを強く喚起させる。 1838年から続いていたジョルジュ・サンドとの恋愛は1847年には破綻していた(ただし《3つのワルツ》は破局前にほぼ完成していたようである)。 作品64の3つのワルツは、それぞれ別の女性に献呈されているが、3曲をまとめて聴くことで、哀しくも美しい想い出のアルバムのようにも味わうことができる。 2曲目に短調を挟む3つのワルツのまとまりは、作品34とは異なりショパン自身の意図に基づくものである。 変ニ長調 作品64-1 【作品の基本情報】 作曲年:1846~47 出版年:1847 Paris, Leipzig 献呈 : デルフィナ・ポトツカ伯爵夫人 A Madame la Comtesse Delphine Potocka 【楽譜所収情報】 パデレフスキ版:No. 6/エキエル版:No. 6/コルトー版:No. 6/ヘンレ版:No. 6/ ペータース版(原典版):(No. 6, 補遺4[自筆譜に基づく]) 「子犬のワルツ」の愛称でよく知られる。 自筆スケッチのほか、複数の自筆譜が残されている。 「leggiero(軽く)」の主要主題と「sostenuto(支えるように音を保って)」の中間部による三部形式の短い楽曲である。 糸玉を操るような細かい動きが特徴的な冒頭主題は、2小節で大きな3拍子を作り上げるヘミオラが用いられており、5小節目から加わる左手の3拍子との間に絡み合うリズムで複雑なテクスチュアが織り上げられる。 一方、37小節目から始まる中間部は、全体としてAs(変イ)の音が支配する中、ジグザグの音型の中に半音進行を取り入れており、グラデーションのような美しい響きの変移が、この作品に深みを増している。 小曲ながら細かい工夫の凝らされた名曲である。 献呈を受けたデルフィナ・ポトツカ夫人は、パリに着いて最初にショパンをもてなし、またピアノの弟子となった女性のひとりである。 非常に美しく音楽的才能にも恵まれた彼女は、生涯変わらずショパンを友人として支え、また最後までショパンの音楽のよき理解者であった。 ショパンは以前に《ピアノ協奏曲 第二番》作品21を彼女に献呈している。 なお、1848年2月16日にプレイエル・ホールで行われたショパンのパリ最後のコンサートで、ショパンはこの変ニ長調のワルツを演奏している。 嬰ハ短調 作品64-2 【作品の基本情報】 作曲年:1846~47 出版年:1847 Paris, Leipzig 献呈 : シャルロット・ド・ロトシルド(ナタニエル・ド・ロトシルド男爵夫人) A Madame la Baronne Nathaniel de Rothschild 【楽譜所収情報】 パデレフスキ版:No. 7/エキエル版:No. 7/コルトー版:No. 7/ヘンレ版:No. 7/ ペータース版(原典版):(No. 7, 補遺5[ロトシルド家が所蔵していた自筆譜に基づく]) 主音は作品64-1と異名同音関係にあたる(変ニと嬰ハ)。 そのため4分音符による最初の一音(属音の嬰ト)は変ニ長調のワルツと同じ音であるにも関わらず、次に続く短3和音で全く異なる哀愁に満ちた短調の響きへと転換する。 冒頭2小節が右手の6度並進行・半音下降による長い嘆息だとするなら、次の2小節では細かく優雅なステップが続く。 この伸び縮みの感覚はこの曲全体に行き渡っており、絶妙のバランスを保っている。 たとえばA-B-C-B-A-Bという構造の中で、情感豊かに歌われるAやCと、ノンストップの円舞であるBが交互に現れる。 いずれにしても、自由度の高い速度の揺れが、この曲の大きな魅力となっている。 この曲を献呈されたシャルロット・ド・ロトシルドは、ジェイムズ・ド・ロトシルド男爵の娘であり、ショパンのピアノの弟子であった。 ショパンは1832年に、男爵のサロンで同夫人ベッティに出会ったことから、ベッティとその娘シャルロット、さらに孫娘マチルドにピアノを教えるようになった。 《ワルツ》変イ長調(作品69-1)、《バラード第4番》ヘ短調(作品52)などの重要な作品もシャルロットに贈っていることから、彼女が(あるいはロトシルド家が)ショパンにとって大切な存在であったことがよく分かる。 《円舞曲 Valse》 変イ長調 作品64-3 【作品の基本情報】 作曲年:1846~47 出版年:1847 Paris, Leipzig 献呈 :カテリーナ・ブラニツカ A Mademoiselle la Comtesse Catherine Branicka 【楽譜所収情報】 パデレフスキ版:No. 8/エキエル版:No. 8/コルトー版:No. 8/ヘンレ版:No. 8/ ペータース版(原典版):(No. 8) 変イ長調という調性は、この《3つのワルツ》作品64をひとまとまりと考える上で、最適の選択であるように思える。 作品64-1と64-2がそれぞれ、属音にあたる共通音(変イと嬰ト)から始まることはすでに述べたが(作品64-2参照)、印象的なこの音が作品64-3の主音となることで、調性上の統一感が生まれる。 長く引き延ばされた変イ音で終わる作品64-3の後にふたたび他の曲へと戻れば、文字通り際限のない円舞としても成り立つ。 モデラートの一見穏やかな主題で始まるが、半音階を駆使して自在に転調を繰り返し、トリルを挟んで中間部へと続く移行部は怒りにも似た激しさを見せる。 しかしそれも束の間であり、73小節目から始まるハ長調の中間部では、旋律を左手に託してまた穏やかに始まり、転調を繰り返して再現部へと至る。 この中間部は、左手の旋律がチェロの響きを想起させ、右手の多声的な構造と合わせて室内楽を連想させる。 1848年のパリ最後のコンサートでも同作品をフランコムと共演していることからも、どこかしら間接的な影響を受けたのかもしれない。 最後はアッチェレランドでだんだんと速度を速め、クレシェンド、ディミヌエンドを波打ちのように繰り返しながら、低音の変イ音へ向けて一息になだれ込んで終わる。 1曲目の変ニ長調、モルト・ヴィヴァーチェは、デルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人に捧げられた。 ジョルジュ・サンドの飼っていたマルキという名の仔犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐると回る様子を見て作曲したというエピソードがあり、<仔犬のワルツ>の愛称で親しまれている。 3部形式で書かれている。 冒頭にレッジェーロ、中間部にソステヌートと記されていることから、タッチの変化が要求されるワルツとなっている。 また、中間部では変イ音の短前打音による手法が印象的である。 曲の最後は、4オクターヴを駆け下りる右手で締めくくられる。 2曲目の嬰ハ短調、テンポ・ジュストは、ナタニエル・ドゥ・ロスチャイルド男爵夫人に捧げられた。 前曲と同様に、3部形式で書かれているが、主題の1つがリトルネロの役割を果たしている。 中間部では主音が異名同音の関係にある変ニ長調に転調し、ピウ・レントとなる。 長調に転じてもこのワルツの主題が持つメランコリックな性格が消えることはなく、そのことがこの曲に深みをもたらしていると言えるだろう。 3曲目の変イ長調、モデラートは、カトリーヌ・ブラニツカ伯爵令嬢に捧げられた。 小節をまたぐタイが特徴的である。 3部形式で書かれているが、ワルツとしては、様々な調が用いられていることもまた特徴的である。 中間部では左手に旋律が現れる。 このワルツの主要テーマを再現するためにこの中間部の終わりで用いられる半音階的な和声は、いかにもショパンらしい手法である。 ワルツ全体の最後は、5オクターヴの音域内を駆け上がり、それから駆け下りることにより締めくくられる。 ワルツ 第11~13番 遺作として1855年に出版された3曲のワルツ。 1曲目の変ト長調は、1832年の作とされている。 マズルカの1種、オベレクのような雰囲気が感じられる3部形式のワルツ。 モルト・ヴィヴァーチェの主部とメーノ・モッソの中間部からなる。 アウフタクトの開始や装飾音の多用、旋律の所々に見られる10度の跳躍等、短いながらにはっきりした特徴をもっている。 主部の旋律が1本の線のようであるのに対し、中間部では3度や和音による旋律となる。 2曲目のヘ短調は、1841年の作とされる。 1曲目と3曲目と同様に、献呈されていないものの、非公式にはマリー・ドゥ・クルトナー等数人に贈られている。 テンポ・ジュストの2部形式からなる。 出版に際して校訂者がこの2部形式をそのままそっくり繰り返す版を作ったため、演奏に際してはそのどちらかを選択することになる。 2部形式のB にあたる部分では、変イ長調に転じ、そのまま曲を閉じることが興味深い。 曲全体を通して、スラーの長さが1小節、2小節、比較的長いスラーと多様であるため、演奏に際してそのことに留意すると、短いながらに印象深い作品としての味わいが出てくるだろう。 3曲目の変ニ長調は、1829年の作とされる。 3部形式によるモデラート。 献呈はされていないが、ワルシャワ音楽院での学生時代に知り合った声楽の学生、コンスタンツィア・グウァドコフスカのことを想って作曲したとされる。 右手は2声からなり、演奏に際してはこの2つのラインを弾き分けることが大切である。

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