水車 なんのため。 ため池:農林水産省

日本の巨石ミステリー。500トンの一枚岩が宙に浮かぶ奇岩・兵庫県「石の宝殿」

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二ヶ領宿河原堰 ところで堰(せき)とダムの違いって何でしょう? 上の写真は二ヶ領宿河原堰ですが、多摩川にはこのような大きな堰(せき)がたくさんあります。 また、小河内ダムをはじめとして、大きなダムもいくつかあります。 ところで、堰とダムの違いって、いったい何なんでしょうか? 大きさによって区別しているのでしょうか? それとも事業主が、何らかの自主ルールを作って勝手に付けているのでしょうか? よくわからないので教えてほしい! 最近、こんな質問をときおり受けることがあります。 そこで、堰とダムの違いについて、記載しておくことにしました。 ついでに「砂防ダム」と普通のダムとの違い、「水門」と堰との違いについても整理しておきます。 ここでの説明が、日ごろのもやもやを解消するきっかけになれば幸いです。 堰堤(えんてい)の話・解説 ダムと堰の違い 堤高15m以上がダム、15m未満が堰 河川を横断して構築する構造物のうち、貯水を目的とする施設にはダムと堰がありますが、これらの区別はどうなっているのでしょうか。 1964年(昭和39年)に改定された河川法(=新河川法)によると、ダムに関する特則(第2章第3節第3款)の適用を受けるダムとは、「河川の流水を貯留し、又は取水するため第26条第1項の許可(河川区域内における工作物の新築等の許可)を受けて設置するダムで、基礎地盤から堤頂までの高さが十五メートル以上のものをいう。 」と規定されています(第44条第1項)。 すなわち、 堤高(=堤体の高さ)が15m以上のものを「ダム」と呼んでいるのです。 一方、河川管理施設等構造令(政令)では、「堰は、流水を制御するために、河川を横断して設けられるダム以外の施設で、堤防の機能を有しないもの」と規定されています。 すなわち、 堤高15m未満のものが「堰」だということになります。 ダムと堰。 堤体の高さによって区分されていたんですね。 一般には堤高が高い大規模なものがダムで、小規模なものが堰と考えて間違いありませんが、堰でも利根大堰や長良川河口堰など大規模なものもたくさんあります。 あくまでも高さで区分しているのです。 注意:古いダムには15m未満のものもあります 旧河川法によるダム ダムと堰とを堤高(=堤体の高さ)を基準にして区別することに決めたのは昭和39年からです。 それ以前に制定された河川法(=旧河川法、明治29年制定)では、ダムと堰との区分が明確にされていませんでした。 そのため、昭和39年以前に施工されたダムでは、高さ15m未満のものでもダムと呼んでいるものがあります。 注意してください。 また、 ダムは古くは堰堤(えんてい)とも呼ばれていました。 砂防ダムについて 正式名称は砂防堰堤(さぼうえんてい) 砂防ダムは、いわゆる一般のダムとは異なり、水をためて利用するのではなく、土石流などの土砂災害防止を目的として設置するものです。 規定する法令も「河川法」ではなく「砂防法」が適用されます。 そのため近年では、一般のダム(貯水ダム)との違いを明確にするために、 「砂防ダム」とは呼ばずに「砂防堰堤」と呼ばれるようになりました。 渓流釣りをする方たちのブログやサイトでは、いまでも「砂防ダム」という名前が使われることが多くありますが、正しくは「砂防堰堤」ということになります。 堰と水門の違い 洪水のときの操作が異なります(水門=堤防) 堰とよく似た構造物に水門があります。 特に可動堰(引上堰)は、外見や形状が水門と大変よく似ているため、見掛け上、区別しがたい場合があります。 よく例示されるのが、常陸利根川が利根川に合流する位置に一直線上に設けられている「利根河口堰」と「常陸川水門」です。 普通に見れば水門がずらっと並んでいるように見えるのですが、一方は堰で、他方は水門。 この違いは何なのでしょうか? 一直線に並んだ利根川河口堰(奥:青色)と常陸川水門(手前:赤色) (画像提供:carview) じつは堰と水門には決定的な目的の違い、機能の違いがあります。 水門は洪水時にはゲートを閉鎖して堤防としての機能を持つのに対して、堰はゲートを開放して洪水をできるだけスムーズに流下させるものであって、堤防としての機能は持ちません。 洪水時にゲートを閉じるのが水門、逆にゲートをあけるのが堰というわけです。 先の利根河口堰の場合は、利根川の流量を制御すると同時に、満潮のとき海水が遡上してくるのを堰止める役割を果たしています。 一方、常陸川水門の方は、利根川が洪水になった時に常陸利根川に洪水が逆流しないように締め切るのが第一の役割になっています。 つまり洪水のときは利根川の堤防の一部として機能するわけです。

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NHKテレビ小説おひさま

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ため池 更新日:令和2年6月4日 平成30年7月豪雨を踏まえた取組 全国ため池緊急点検の結果について 平成30年7月豪雨において、多くのため池の決壊等が発生したことから、その後の豪雨や台風等に備えて、都道府県等の協力の下、全国のため池の緊急点検を実施し、必要に応じて応急措置を講ずることにより、ため池の被災リスクの低減を図る取組を行いました。 平成30年7月豪雨等を踏まえた今後のため池対策について 平成30年7月豪雨において、防災重点ため池ではない、小規模なため池で甚大な被害が発生したことを受け、農村振興局内に検討チームを設置し、効果的なため池対策の在り方を検討しました。 ため池対策検討チームの検討結果を踏まえ、平成30年11月13日(火曜日)に、新たな防災重点ため池の選定の考え方や、緊急時の迅速な避難行動につなげる対策、施設機能の適切な維持、補強に向けた対策を取りまとめました。 防災重点ため池の再選定結果について 平成30年11月に公表した新たな基準により、都道府県で再選定した防災重点ため池を取りまとめました。 ため池の概要 ため池とは ため池とは、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などで、農業用水を確保するために水を貯え取水ができるよう、人工的に造成された池のことです。 ため池は全国に約16万箇所存在し、特に西日本に多く分布しています。 ため池の多くは江戸時代以前に築造され、築造にあたっては、各地域において試行錯誤を繰り返して得られた経験をもとに造られたものと推測されます。 ため池に関する法律 自然災害によるため池の被災が頻発している中、ため池の権利者の世代交代が進み、権利関係が不明確かつ複雑となっていることや、ため池の管理組織の弱体化により日常の維持管理に支障をきたすおそれがあることが課題となっています。 このため、施設の所有者等(所有者、管理者)や行政機関の役割分担を明らかにし、ため池の適正な管理及び保全が行われる体制を整備することを目的として「農業用ため池の管理及び保全に関する法律(令和元年7月1日施行)」が制定されました。 この法律では、全ての農業用ため池を対象に、 ・所有者等による適正管理の努力義務 ・所有者等による都道府県へのため池情報の届出を義務付け ・都道府県によるため池のデータベースの整備、公表 ・ため池の適正な管理が行われていない場合、都道府県による勧告 が規定されています。 また、都道府県は、決壊した場合の浸水区域内に住宅等があり、居住者等の避難が困難となるおそれのあるため池を「特定農業用ため池」として指定することとしています。 特定農業用ため池に指定されると、 ・堤体の掘削等の形状変更行為が知事の許可制となり、ため池の改良・廃止といった防災工事を実施する際、所有者等は計画の届出が必要 ・市町村はハザードマップの作成等の避難対策を実施するとともに、必要に応じてため池の施設管理権を取得可能 ・都道府県は必要な防災工事が実施されない場合に、所有者等へ防災工事の施行命令を出すことができ、必要に応じて防災工事の代執行が可能 となります。 ため池一斉点検 豪雨や大規模地震等により多くのため池が被災し、大きな被害が生じたことを踏まえ、都道府県や市町村が主体となって、平成25年度から平成27年度の3か年で、全国のため池の一斉点検を実施しました。 この結果を踏まえ、防災重点ため池を中心に、地方公共団体等において詳細調査を実施し、対策が必要であるかどうかの判断が行われています。 対策が必要な場合、ハードとソフトを組み合わせた防災・減災対策を実施することとしています。 防災重点ため池については、平成30年7月豪雨によるため池被害を踏まえ、新たな選定基準を設定し、現在、再選定を行っているところです。 〇ため池一斉点検の結果及び詳細調査等の実施状況 ため池の安全対策 ため池の周囲には都市化や混住化が進んでいるところも多く存在し、事故の危険性が増しています。 このような中、安全管理に対する施設管理者の意識高揚、関係者間の連携などが重要となってきています。 ため池についての情報発信 ため池百選 農業者の減少、高齢化の中で管理が難しくなりつつあるため池について、その歴史や多様な役割、保全の必要性を国民の皆様に理解いただく契機とするため、農業用の水源として秀でた特徴を有する全国のため池100地区を「ため池百選」として選定しました。 特色のあるため池の紹介 全国にあるため池には、農業用に利用されているだけでなく、地域の資源として活用しているものや、農業者以外の団体などと一緒に管理・保全しているものなど、特色のあるため池が多数存在しています。 ・青森県: ・千葉県: ・岐阜県: ・兵庫県: ・高知県: ・佐賀県: 過去に掲載されたため池については、から閲覧できます。 ため池通信 ため池通信は、ため池のある地域の安全・安心で豊かな暮らしを実現し持続するために、全国各地のため池の防災減災対策や保全管理活動などの情報を関係者や地域の皆さんと共有することを目的としたメールマガジンです。 四半期に1回配信しています。 配信登録、または、配信先の変更、配信解除等については、より手続きをお願いします。

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ため池:農林水産省

水車 なんのため

の記述から復元したの水力製粉機の模型。 上部のひき臼石を下部にある歯車機構を経由して下射式で駆動している。 水車場の構成要素である水車と歯車は紀元前1世紀にギリシア人が発明し、時代には下射式、上射式、中射式の水車場が運用されるようになった。 西洋での動力水車についての最古の文献は、(紀元前280年-220年ごろ)に仮託した紀元前80年頃のものである。 ()の螺旋機構はそのころ既に完成しており、エジプトの紀元前2世紀の壁画にも描かれている。 Lewis は水平型のを使った単純な水車場はギリシアの植民都市で紀元前3世紀前半に、垂直型の水車による水車場は時代ので紀元前240年ごろに実用化されたとしている が、一般的には紀元前2世紀後半と考えられている。 古代ギリシアの地理学者は『』の中で、紀元前71年より以前からのの宮殿の側に水力製粉所があったことを記している。 古代ローマの技師は紀元前40年から紀元前10年ごろ、西洋では初めて水車場について工学的な記述を残している。 それは下射式水車を動力源とし、歯車機構でそれを伝達するものだった。 また、パン生地や粘土などを捏ねる水力機械の存在も示しているともしている。 古代ギリシアの風刺詩人は、紀元前20年から紀元10年ごろの改良された上射式水車を使った水車場について記している。 彼はその製粉の様子と人間の労働を軽減するという事実を次のように賞賛している。 粉挽きの少女たちよ、製粉機から手をどけよ。 たとえ鶏鳴が夜明けを告げても、眠り続けよ。 がお前たちの手作業をに課し、それらが車輪の上に飛び乗って車軸を回させるのだから。 それを取り巻く歯車 と共に、車軸は産の中空の錘も回転させる。 苦役なしに大地の産物を享受できるようになれば、ふたたびが訪れるだろう。 古代ローマの博物学者は紀元70年ごろの『』の中で、イタリア半島の大部分で水力駆動のが使われていることを記している。 のでは、紀元73年ごろの(毛織物の仕上げ工程のひとつ)用水車場の証拠が見つかっている。 南の紀元2世紀のには水車場があり、ローマの西側では機械動力が集中していた地域の1つである。 16台の上射式水車があり、同数の機を駆動していた。 1日で約4. 5トンのを生産していたと見られ、に当時住んでいた12,500人の住人の食べるパンを作るのに十分な生産量だった。 同様な水車場複合施設はに小麦粉を供給するためにの丘に建設された。 この施設はローマにとって非常に重要だったため、後に内になるよう城壁が建設された。 2世紀末ごろの中射式を使った水車場がフランスので発掘されている。 のにある古代ローマの水路。 この先端に水平型水車()があり、回転させていたと見られている。 最古のタービンと言われている。 最古のを使った水車場とされているのがのやで見つかった遺構で、3世紀末から4世紀初めのものである。 水力を使った最古のとしては、フランスので見つかった遺構がある。 によれば水車場は主に穀物から穀粉を作るのに使われたが、他にもやの石切りにも使われた。 古代ローマでは固定の水車以外に水面に浮かべる形の水車も使い、各地で水力を利用していた。 軸が垂直で水車本体は水平なものをギリシア式、軸が水平で水車本体が垂直なものをローマ式と呼んだ。 ギリシア式の方が古くからあって構造が単純だが、水流の速度が速くないとうまく機能せず、駆動できる石臼も小さかった。 ローマ式は歯車を使って回転軸の方向を変換してやる必要があった。 古代ローマの水車場は十数か所しか見つかっていないが、が広範囲に張り巡らされていたことから、まだ見つかっていない水車場の遺跡があると見られている。 例えばロンドンでは、に沿って存在した水路の遺構から潮力を使った水車場と見られるものが見つかっている。 537年、の将軍はを包囲した際に、水面に浮かべる形態の水車船と呼ばれるものを巧妙に使い、ゴート人への水の供給を断った。 これは、流れの速い川に係留して浮かべた船に水車を設置したものである。 1411年ごろのドイツの。 に浮かんでいた。 の崩壊に続くにも水車場の重要性は変わらなかった。 中世前期の水車場の急増と同期するように言及する文書(、の憲章、聖人伝など)も急増した。 6世紀のガリアには10基の水車があったとされる。 その後の研究で最低でも6,082の水車場があったと推定されているが、イングランド北部の記録は不十分と見られ、実際にはさらに多かったと見られる。 1300年ごろにはその数は10,000から15,000にまで増えた。 7世紀初めまでにはにも水車場が作られ、8世紀にはでローマ帝国に征服されなかった北部にも水車場が広まっていった。 や潮力を使った水車場 は6世紀に登場した証拠があるが、それ以前の古代に存在したかどうかについては確証がない。 それらはや河川の水位の変化に応じて作動するもので、中世前期の水車場の広まりを示している。 近年、の海岸で相次いで潮力を使った水車場の遺構が見つかり、その登場年代が早まってきている。 6世紀の垂直型水車を使った潮力水車場は、近郊のキロタランにあった。 で見つかった水平型水車を使った2つの水路のある潮力水車場は630年ごろのものである。 それと並んで、垂直型の下射式水車を使った潮力水車場も見つかっている。 の(湖)に浮かぶ島には787年のものとされる がある。 その石臼は直径830mmで、垂直型水車は最大で7馬力から8馬力の力を発揮したと推定されている。 同じ島から619年のものとされる水車場も後に見つかった。 2005年、Adam Lucas は西ヨーロッパにおける水車場の用途ごとの登場時期の調査結果を公表した。 フランスが水力利用において進んでいたという結果が見て取れるが、Lucas は他の国の水車場についての発達がフランスに比べて進んでいない点を強調している。 中世ヨーロッパで各種産業用に水車場が使われ始めた時期(770年-1443年) 用途 時期 国 粉砕 770年 フランス 1080年 フランス 皮革なめし 1134年ごろ フランス 炉 1200年ごろ イングランド、フランス 研磨 1203年 フランス 糸製造 1209年 フランス ふいご 1269年、1283年 スロバキア、フランス 1282年 スペイン 1300年ごろ フランス 鉱石粉砕 1317年 ドイツ 1384年 フランス 鉄棒の切断(釘の素材) 1443年 フランス 中国 [ ] (960年-1127年)の水車場。 水平型水車を使ってを行っていた。 中国では紀元前3世紀から水車が使われている。 当初は(または)や石臼を機械的に回転させる動力源として全土で広く使われ、各地の墳墓や遺跡から遺構や部品が発見されている。 天体観測用の(参照)などにも使われた。 紀元前2世紀の代になると水力を動力として歯車やシャフトを介して動作させる鉄の熔連用の、窯の操作抗、翻車が作られた。 の学者のの20年ごろの著作『』に、水力による杵についての言及が見られる。 またでは、杜詩が建武7年(30年)になどの機械要素を使っ水排 水力の を作った」との記述がある。 488年、数学者で技術者のが水碓磨 水力によるひき臼 を作り、それをの(在位482年-493年)が視察した記録が残っている。 代(581年-618年)のは、6世紀初めまでに数百の水磑 水車場 を運用していたと書かれている。 『広弘明集』に、大業8年 612年 水車場から得られた利益についてが議論していることが記されている。 代(618年-907年)になると737年に水路についての法律が制定され、水車場が水路を妨げてはならないとされ、場合によってはその使用が特定の季節に限定された。 8世紀唐代の別の文献では、有力者のものであれ、商人のものであれ、のものであれ、法規制に違反した水車場を政府が取り壊していたことが記されており、そういった法律が厳格に適用されていたことがわかる。 唐の皇帝(在位712年-756年)に仕えたは天宝8年 748年 に5台の水車のある水車場を所有しており、日産300ほどの小麦粉を製造していた。 610年か670年に、に水車場の技術が伝えられたという説がある。 には遅くとも641年までには伝わっている。 インド [ ] イスラム世界 [ ] イスラム世界では、やサーサーン朝の遺領であるイランからエジプトの掛けて、広く使用されていた水車を継承している。 イスラム世界での水車場の用途としては、、、つき、、、などがあり、水車船や潮力水車場もあった。 11世紀までにイスラム世界のほとんどあらゆる集落に水車場ができ、その範囲はやからを経てにまで広がった。 中東の技術者は水車場や揚水にややを使い、水源としてを建設し水の位置エネルギーを蓄えることで、水車場などにさらに力を供給できるようにした。 縮絨や製鉄のための水車場はからキリスト教世界(スペイン)に12世紀に伝わった。 水車場を中心とした比較的大規模なが11世紀から13世紀のアンダルスで建設されている。 イスラム世界の技術者らは、水車の出力を高めるためにいくつかの手段を使った。 その1つは、の橋脚に水車を設置して捉える水流の量を増やすというものだった。 もう1つは流れの中に係留した船に水車を設置したである。 この技法は10世紀にとで採用され、材とでできた巨大水車船で日産10のを生産し、のに供給していた。 水車場の運用 [ ] の水車小屋群 一般に水車やタービンにはや専用のから水路やパイプ(、導水路、導水管)を通して水を供給する。 水流の力で水車やタービンの羽根を動かし、それらが軸を中心に回転し、その回転力によって他の機構を動かす。 水車やタービンを回した水は排水路に排水されるが、それが次の水車やタービンの導水路ということもある。 水量はで調節される。 水門はの制御手段にもなる。 大規模な水車場には複雑に相互接続された水路があるため、水門も多数存在する。 最古の水車場では水平型の水車を使っていた。 単純な羽根のついた水車を水平に流れに沈めて垂直な軸を回転させ、その上部に直接設置された石臼を回転させていた。 この種の装置では歯車機構がないため、水車の回転数の限界がそのまま石臼の回転速度の限界となり、作業速度の限界となっていた。 欧米の水車場で使われている垂直型水車は、下射式、上射式、中射式に分類される。 水平な軸を回転させるので、これを直接使ってハンマーや杵を持ち上げることができ、やなどの作業ができる。 しかし石臼を回転させてを作るには、回転軸を垂直にする必要がある。 このためには機構が必要で、歯数を調節することで回転数を上げることができる。 欧米の製粉用水車場では水車が水平な軸を回転させ、その先端に歯車がある。 この歯車が垂直な軸に設置された歯車とかみ合い、同じ軸上に設置された大きな歯車を回転させる。 これに別の小さな歯車をかみ合わせて回転させ、その軸に設置された石臼が回転する。 駆動できる石臼の数は水量に依存する。 19世紀にはこの機構が改良され、1つの水車で石臼を4つまで駆動可能になった。 各段階のギア比を調整すれば石臼の回転速度を上げることができる。 の開け具合を調整することで水量の季節変動を補償できる。 多くの場合、垂直な軸の大きな歯車で駆動するのは1つの石臼だが、1つの建物にこのような機構が複数存在することも珍しくない。 1つの水車で複数の石臼を駆動する機構を初めて描いたのは で1723年のことである。 それを1744年、が出版した。 水車船 上射式水車は比較的後になってからの技術革新で、従来の下射式の約2. 5倍の効率である。 下射式では水車を単純に水路の水流に設置したものであり、水流によって回転した羽根が後方で水流から出る際に回転を妨げる力が働くため、本質的に効率が低い。 上射式は水流を水車の上に持ってくることでこの問題を解決した。 水車には単なる羽根ではなくバケツ状の水を溜める部分があり、上からの水をそこに溜める。 その重みで水車は回転し始める。 バケツは下がるに従って斜めになるので水がそこから流れ落ちていく。 水車自体はその排水路に浸かっていないので、回転を妨げる抵抗が発生しない。 水の重さだけでなく、上から水車に落ちる水の衝撃も回転に利用される。 上射式水車を使うには水車よりも高い位置に水を溜める必要があり、ため池や水路や水門なども建設する必要がある。 19世紀末までにが発明され、従来の水車の代わりに導水管とペルトン水車のを設置する水車場もあった。 水車(製)の先端に歯車の歯を付け、ではなく、その歯車を別の歯車と噛み合わせることで駆動する方式もある。 潮力を使った水車場は、動力源として川の流れを使わず、海岸の小さな湾の口に防波堤や道路を築き、そこに設置する。 干潮時に水門を開いて徐々に上がってくる海水を湾内に入れる。 満潮になると水門を閉める。 外側の潮がある程度引いたら水車への水門を空けて内側の海水を流し、水車を回転させる。 これはカナダののように干満の差が大きい場所で特に効果を発揮する。 現在も動作する例として がある。 また、大きな橋では橋脚の間の水流がその前後よりも速いため、そこに水車を設置することがある。 の下にはかつて水車場が多数あり、船頭が通りにくいと不平を言っていた。 穀粉を挽いている機械の音 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 現代の水車場 [ ] 20世紀初めごろには先進国では電力が安価に使えるようになり、水車場は廃れていったが、1960年代ごろまでは田舎の水車場で運営が続けられたところもあった。 今も運営されているのは主に観光用がほとんどで、水車を動力源として何らかの生産をしているところは少ない。 開発途上国では今も製粉に水車場を使っている国もある。 例えばには25,000箇所、には200,000箇所の水車小屋があると見られている。 その多くは古くからの方式のままだが、一部は木製の部品を金属製のものに置換して効率を向上させている。 例えば は2003年から2007年の間に2,400箇所の水車小屋を改造している。 水車場の用途 [ ] にある水力製粉所。 水車がないので水車小屋ではないが "watermill" である。 同様の設備は、日本語では「添水唐臼」(そうずからうす)、「バッタリ」などと呼ばれる。 - をひいてにする。 最も一般的。 - を搗いてにする。 日本ではの中期以降、都市部を中心に広まった。 - 毛織物の仕上げ工程。 - 木を切断してにする。 また、原木のをはがして粉状にし、のなめしに使えるようにする。 - 綿花から糸を作る。 初期に水車を動力源としていた。 関連して木製のも水車を動力源として作っていた。 - 糸からを作る。 などを織る工場でも、水車を動力源とすることがあった。 黒色やの製造。 、炉、細工などは蒸気機関が登場する以前は水力を使っていた。 鉄の棒を一定の長さに切断し、をつくる。 金属の• - 動力として水車を使うと同時に、製造工程そのものにも大量の水を必要とした。 主に非鉄金属のをで粉砕する。 の製造もかつては水力を使っていた。 やの製造もかつては水力や風力を使っていた。 - 発電機の技術向上と金属製歯車の組み合わせにより、10rpm以下の水車でも有効な発電が可能になったことから、近年ミニ水力・マイクロ水力といった発電用の動力として再評価が進んでいる。 水車小屋の見られる場所 [ ]• 水車小屋と作品 [ ]• 作曲 作詞「」 さすらいの旅に出た若き粉引き職人が、旅先で美しい水車屋の娘と出会い恋におちる。 しかし男性の想いは娘には伝ず、若者は娘の姿に心を奪われながら悩み続ける。 そのうちに娘はに心を奪われる。 粉引き職人は心痛のあまり、に身を投げる。 脚注・出典 [ ]• , pp. 325ff. ; , pp. 217—302; , pp. , pp. 234, 270• , pp. 396f. ; , p. 11; , pp. , p. 160; , p. 396• 373f. ; , p. , p. 402• 375; , p. , Millstone and Hammer: the origins of water power, University of Hull Press 1997. この語の解釈は非常に重要である。 一般的には「スポーク」と翻訳されてきたが(, p. 17)、Lewis はその語が第一義的には「光線」を意味するものの、具体的なものを指す場合は「歯車」を意味すると指摘した。 水平型水車では製粉に歯車を必要としないので、この水車場は垂直型の水車を使っていると断定している。 , p. 158; , p. 403; , p. , p. 406• Kevin Greene, "Technological Innovation and Economic Progress in the Ancient World: M. Finley Re-Considered", The Economic History Review, New Series, Vol. 53, No. Feb. , 2000 , pp. 29-59 39• 375• , p. 161• , pp. 149—153• , p. , pp. 507f. ; , p. 377; , p. , pp. 507f. ; , p. 377; , p. , p. 407• Spain, Rob: , Paper submitted to the Kent Archaeological Society• , p. 383• Yorke, Stan 2005. The Industrial Revolution explained. Newbury, Berks: Countryside Books. 20—31. レジーヌ・ペルヌー『中世を生きぬく女たち』(1987)白水社,p103.ただし「(もっともこの時代に書かれた資料は少ないということを考慮せねばならない)」との注記が続いている• , p. 170, fn. , pp. 11—12• , pp. 9-10• , pp. , p. 400• , pp. 155—157• 10, fig. 2; 17; 49• Adam Robert Lucas, 'Industrial Milling in the Ancient and Medieval Worlds. A Survey of the Evidence for an Industrial Revolution in Medieval Europe', Technology and Culture, Vol. 46, Jan. 2005 , pp. 1-30 17. , pp. 417f. 桓譚,『新論』離事第十一• 范曄,『後漢書』巻三十一杜詩伝• 『南史』列伝第六十二 祖冲之伝• 『隋書』列伝第十三 楊素伝• , pp. 400-401• 釈道宣『広弘明集』巻6 列代王臣滞惑解上• 『旧唐書』134. 列伝第一百三十四 宦官 高力士伝• 401• Adam Robert Lucas 2005 , "Industrial Milling in the Ancient and Medieval Worlds: A Survey of the Evidence for an Industrial Revolution in Medieval Europe", Technology and Culture 46 1 , p. 1-30 [10]. Ahmad Y Hassan,• Adam Robert Lucas 2005 , "Industrial Milling in the Ancient and Medieval Worlds: A Survey of the Evidence for an Industrial Revolution in Medieval Europe", Technology and Culture 46 1 , p. 1-30 [11]. Hill; see also• The Scottish Miller 1700 - 1900. Pub. John Donald. A Course of Experimental Philosophy II 1744; 1763 edition , 449-53. 参考文献 [ ]• Burns, Robert I. 800 bis 1400. Tradition und Innovation 4th ed. , Berlin: Gebr. 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