オーストラリア 人口。 政治

オーストラリアの移民政策とこれからの移住。今後の移住を考える!

オーストラリア 人口

4万年前からアボリジニが定住。 1770年にジェームズ・クックにより発見されると1788年にイギリス人が入植し、オーストラリア最初の植民地として定められた。 都市名はクックの後援者・シドニー卿トマス・タウンゼントにちなんだもの。 当初は流刑植民地であり、大部分は囚人であったが、1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3. 囚人の人口が減少するにつれ商業が活発化し、1850年にはオーストラリア初の大学・シドニー大学が創設された。 シドニーは、19世紀前半まではオーストラリアの6つのイギリス植民地最大の都市であった。 1851年に近隣でゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し工業化が進んだ。 だが、メルボルンのほうが航路上本国イギリスに近いことから繁栄し、19世紀後半にはシドニーはオーストラリア第2位の都市に後退した。 この頃からシドニーとメルボルンとの敵対感情が強くなる。 1901年にオーストラリア連邦が成立すると首都は臨時に最大都市メルボルンに置かれたものの、その後両都市の敵対関係を考慮して中間地点にあるキャンベラに遷都された。 20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市である。 2位 メルボルン 419万人 オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港町。 先住民族クリンの地であったが、ヨーロッパの移民により持ち込まれた病気により、クリン族は滅びた。 1837年、英国首相メルバーン卿にちなんで「メルボルン」と名付けられる。 石やレンガでビルが建てられ、ニューサウスウェールズ植民地の中心地となった。 1850年代に近隣でで金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、シドニーよりも英国に近い地理特性を活かし急速に発展した。 1880年代はシドニーを抜き大英帝国でも2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。 今日でも市内にはヴィクトリア時代の建築物が多く残る。 1901年にオーストラリア連邦が成立してから、1927年にキャンベラに移転されるまで臨時首都。 1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会が開催された。 エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で度々首位を獲得し、ロンドン、ニューヨーク、パリに次いで世界の学生が学んでいる。 3位 ブリスベン 205万人 オーストラリア東部にある、クイーンズランド州の州都である港湾都市。 当市の南には、観光地として有名なゴールドコーストがある。 1842年にイギリスの流刑植民地となる。 街の名前は当時の総督名にちなむ。 第二次世界大戦中はアメリカ軍が駐屯し、連合国軍の太平洋南西部の中心基地となった。 川が多く、たびたび水害に見舞われている。 現在は国内外から多くの移民を受け入れ、オーストラリアで最も人口増加率の高い都市の一つである。 4位 パース 187万人 オーストラリア南西部にある、西オーストラリア州の州都である鉱工業都市。 オーストラリア大陸西部でヨーロッパ人が建設した最初の大規模な入植地である。 1826年、オーストラリア入植の兆しを見せていたフランスに対し機先を制するため、パース南のオールバニーに基地を作り、1829年に自由移民の入植地としてパースを建設した。 1850年には安価な労働力を手に入れたい農家や実業家の要求によって、流刑植民地となる。 金やダイヤモンドの発掘によって発展。 パースはオーストラリアの他の主要都市からかなり離れた場所にあり、隣国のインドネシアの首都・ジャカルタの方が首都キャンベラやシドニーより近い。 世界の住みやすい都市ランキングでは常に上位に名を連ねる。 5位 アデレード 116万人 オーストラリア南部、南オーストラリア州の州都。 他のオーストラリアの大都市とは異なり、流刑植民地ではなく、はじめから自由植民地として計画されたという歴史を持つ。 1836年にイギリスの植民地となる。 オーストラリア初代測量局長官ウィリアム・ライトが、トレンス川近郊のアデレードヒルと呼ばれる高台を都市建設地として選定。 都市名はドイツ語で「貴婦人」を意味する。 計画都市であり、整った街路と豊かな緑地帯を持ち、中心部に州議会議事堂、官庁、大学、博物館、植物園などがある。 文化芸術の都市としても有名。 6位 ゴールドコースト 60万人 オーストラリア東部、ブリスベン南に位置するオーストラリア最大の観光保養都市。 サーファーズパラダイス、バーリーヘッズ、パームビーチなどが連なる全長50kmほどの長い海岸が有名。 1889年にブリスベンからの鉄道が開通すると、ホテルが海岸沿いに建てられるようになる。 第二次世界大戦後も帰還兵の保養地として人気を集め、いつしか不動産や物価の上昇が顕著な状況から「ゴールド・コースト」と呼ばれるようになった。 夏には人口が3倍に膨れ上がる。 7位 キャンベラ 43万人 オーストラリアの首都。 都市名は先住民族の言葉で「人々が集う場所」の意。 ライバル関係にあったシドニーとメルボルンの首都争奪戦を裁定するため、1908年、両市の中間に位置する当地がオーストラリアの首都として選ばれた。 世界中から都市計画案を募り、1911年にアメリカ人建築家B. グリフィンの案を基礎に建設が始まった。 1927年にメルボルンから正式に首都が移転。 しかし都市建設の歩みはきわめて遅く、都市建設が本格化したのは第二次大戦後しばらくしてからである。 1960年代には人造湖や衛星都市が完成。 円形、六角形、八角形の広場を中心に環状、放射状の街路が組み合わされ、機能ごとにわけられた地区によって整然とした市街が形成されている。 当初の人口2万5000人の計画が見直され、人口100万人都市として新都市計画が策定。 幾何学的パターンにとらわれない、居住環境を重視した都市建設が進められている。 連邦直轄地だが、1988年に地方自治権が与えられた。 多くが政府機関で働き、住民の所得も高い。 8位 ニューキャッスル 32万人 オーストラリア東部、シドニーの北に位置する港湾、工業都市。 地名はイギリス本国のニューカッスルにちなむ。 1801年に流刑植民地として入植され、石炭の産地、農産品の積出港として発展した。 1915年に石炭を利用する製鉄所の建設を機に近代工業も発展している。 戦時中には日本軍の攻撃を受けたこともある。 1989年にはオーストラリア史上最大のニューキャッスル地震が起きている。 9位 セントラルコースト 30万人 オーストラリア東部、ニューキャッスルとシドニーの間に位置する都市。 中心地・ゴスフォードには1823年に入植がはじまる。 オーストラリアに多い、典型的な流刑植民地であった。 1889年にシドニーへの鉄道が開通し、1930年に高速道路ができると発展。 2016年、ゴスフォード市とワイオング市が合併し、同国第9の人口を持つ都市・セントラルコーストとなった。 10位 ウロンゴン 26万人 オーストラリア東部、シドニーの南に位置する都市。 ウロンゴンの名前の由来は、「海の音」を意味するアボリジニの言葉であるとする説がある。 鉄鋼業を中心とする、同国最大の重化学工業都市である。 市内南部のイラワラ湖は観光地として知られ、市内には植民地時代の歴史的建造物が多く残る。

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オーストラリアの2019年の人口は?都市別や外国人移住者ランキングは?

オーストラリア 人口

最大の都市 政府 () 総計 () 水面積率 0. 註2:本土以外の地域ではこれと異なる時間帯を採用しているものもある。 また夏時間は一部地域のみ採用している。 詳細は「」の記事を参照。 オーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、: Commonwealth of Australia) 、または オーストラリア(: Australia) は、に位置し、、島及び多数のから成る。 首都は。 最大の都市は。 加盟国であり、の一国となっている。 日本での略称は 豪州(ごうしゅう)である。 詳細は「 ()」を参照 総面積はである。 近隣諸国としては、北に・・、北東に・、東は・・、南東2,000km先にがある。 2014年、同国の一人当たりの国民所得はであった。 同国は、、イギリス連邦、、 OECD 、、及び加盟国である。 2013年9月にも参加した。 18世紀末期における最初のまでの少なくとも4万年の間 、おおよそに分類される言語話者のが居住してきた。 彼らの食文化は1970年代から注目された。 1606年における探検家によるヨーロッパのオーストラリア大陸発見後、1770年にが同大陸の東半分を領有主張し、1788年1月26日からの植民地に初めてを通じて定住が開始された。 その後の数十年間で同大陸の調査が行われ、人口は着実に増加し、さらに5つの自治が設立されていた。 オールレッドライン [ ] 19世紀前半にの牧羊が普及した。 1859年に持ち込んだが牧草を食べてしまい、羊毛生産量を減じた。 に始まったの開拓者に食わせる肉が必要だった。 19世紀後半にはが敷設されてゆき、が陸揚げを果した。 経済は羊毛からジリ貧となって、義賊が出た。 彼はの期間中に処刑された。 恐慌が響いて1893年5月頭バンクホリデーに陥った。 1901年1月1日、6つの植民地がしイギリス自治領として連邦を形成、事実上独立した。 以後、から成る及び立憲君主制の役割を果たす安定したの政治体制を維持してきた。 2,360万の人口は、高度にされた及び沿岸部にかなり集中している。 には、首相ヒューズが全権代表として参加した。 太平洋の旧領諸島の帰属については、日本と激しく争った末に、赤道を挟んで北側を日本が、南側をオーストラリアがC式委任統治領として確保することで妥結した。 また、日本が提案した人種平等案(規約への挿入)に対してはカナダと共に反対し、これを阻止した。 でオーストラリアは蚊帳の外に置かれたが、1925年にはがホノルルで発足、1961年まで活動した。 の終結年において、オーストラリアは圏にとどまる外交姿勢を堅持した。 1950年、フランク・フェナー博士()が指揮する調査のあと、野ウサギを駆除するため粘液踵症ウイルス(の遠い親類)が撒かれた。 半年足らずで蔓延し、個体数を二度と繁栄できない数にまで減らした。 1950年代にダグラス・コップランド()が、オーストラリアのポンド圏残留によって、オーストラリアとニュージーランドがからくるドル不足から逃れたことを認めた。 しかし同時に、この残留措置がオーストラリアの経済成長を遅らせるという見解も示した。 1950-60年代、オーストラリアの覇権をかけて、が途上国から引き上げたポンドとUSドルを投下した。 マーチャント・バンクの機関化 [ ] 1960年代と1970年代は激動期であった。 羊毛主体であった産業構造は鉱業主体となった。 この間にまずが起きた。 それから国際的に遅れてをとった。 また、この期間にオーストラリア系は・・を除く地域で支店数を増やした。 1961年にたった12店舗であったのが1978年に528店舗となり、これほどの急展開を諸外国の銀行に見ることはできなかった。 1980年マーチャント・バンク()のニューガン・ハンド・バンク()が倒産した。 の天下る同行はでもスキャンダルとなり、マーチャント・バンクのする背景を成した。 1986年、がに買収をしかけたとき、主役の、の、の、以上の三人が阻止に成功した。 ロバートの出身はイギリスのヘイツベリー(Heytesbury)男爵のであるが、ヘイツベリーは19世紀初期のであった。 を演じたロバートは、スタンダードチャータード銀行のに迎えられた。 クー・テクバはスタンダードチャータード銀行の重役を辞めた。 一番上の息子邱万福(Khuu Ban Hock)は国立銀行(National Bank of Brunei)元会長であったが、同行で金融犯罪に手を染め折り悪く有罪を認めていた。 ブルネイ国立銀行はクーが王族と出資割合7対3で1965年に創立したが 、の設立が2年後であるのと比べて早い。 この1986年にはHSBCと懇意のが(Vanke City Garden)をに売却しとして非難を浴びているが 、2000年 を買収 、2013年PA親会社のの持つ利権をめぐって税務署と衝突し 、2017年1月現在も電力事業の買収を続けている。 1990年代、香港経済の脱英国化が進行した()。 この頃にマーチャント・バンクは機関化されていった。 このとき動いていた機関投資家は欧米のや保険会社であった。 これらはオーストラリアの機関投資家を内から蚕食していったものと考えられる。 2001年3月15日、HIH保険()がサウスウェールズの最高裁から暫定破産の許可を得た。 2001年8月27日には解散命令を受けることになり、負債総額は36億オーストラリア・ドルから53億に達した。 HIHは企業編成をした1995年、ウィンタートゥール(現)に持株会社を買収された。 その後HIHは合衆国の保険会社(Great States Insurance Co)を買収するほどの拡大経営を展開した。 1998年8月、ウィンタートゥールは資本を引き揚げた。 1999年 、HIHは国内のFAI保険を公開買い付けで買収した。 2000年9月13日にへ国内個人向け事業を5億ドル近くの廉価で譲渡して 、翌日からすぐHIHの株価は低迷するようになった。 不自然な取引は調査に付された。 の保険会社(National Idemnity Co. )は、HIHの清算人へ200万ドルを払い込んでいた。 この事件は2005年、やはりバークシャー・ハサウェイの保険会社で不正会計が問題となったときも振り返られたのである。 金融スキャンダルの上書き [ ] が2009年3月から2018年4月までの銀行スキャンダルを年表に書いている。 (中央銀行)とについて、それぞれ10件以上の記事がリンクされている。 年表が全く取り上げない事実を補足しておく。 のときオーストラリア準備銀行はレポ市場から700億ドル超を借り入れており、ユーロ危機をすぎて2016年以降に再び600億ドル超を記録しようとしている。 世界金融危機時の貸し手は特定がむずかしいが、2014年以降のそれは海外機関投資家である。 これはつまり、アメリカのが規制されたので、そこへ資金を投下していた大物機関投資家がオーストラリアへ乗り換えてきたのである。 自らの関わった世界金融危機を棚にあげて、オーストラリア経済の不祥事を追及し、経営を合理化し、年金債務を整理し、ガバナンスからも収益性を担保しようとしているのである。 2014年7月、・インドネシア・各国政府高官と関係する汚職について、過去のものを含むあらゆるメディアが政府の命令でを受けていたことが、オーストラリア準備銀行筋での公開により明らかとなった()。 この翌年にマレーシアでをめぐる汚職が報道され、が捜査に活用された。 2017年8月3日、豪金融取引報告・分析センター()が、資金洗浄の疑いがある取引について報告義務を怠ったなどとして、を連邦裁判所に提訴した。 不正の温床とされるのは2012年5月に同行が導入した新型ATMであった。 原告によると、2014-15年に起きた香港の犯罪組織が関与したとみられる事件で、容疑者らは同行のATMから30の口座に2059万豪ドルを入金、その大半が即座に海外へ送金された。 2017年8月24日、の長男(Lachlan Murdoch)を幹事とするコンソーシアムが大手メディア()を買収することについて、オーストラリア公取委会長()は競争を阻害するものではないと声明を出した。 マスメディアは積極的に国内大手銀行の不正を報じて、それらを機関化する流れをつくろうとした。 コモンウェルス銀行のスキャンダルをきっかけに、国内金融の不正を追及する王立委員会が設けられた。 国内年金ファンドが反発にもかかわらず、委員会は2017年末に設置され、翌2018年2月12日にメルボルンで公聴会を開催し活動をはじめた。 4月19日、コモンウェルス銀行は委員会に対して、死亡した複数の顧客から財政面での助言に対する見返りという名目で手数料を取り続けていたことを認めた。 大手金融機関AMP()も集団訴訟に直面してCEOが引責辞任する事態となった。 2018年7月、オーストラリア証券投資委員会()が企業の登録料として実際のコストの数千倍に当たるほとんど内容のないに等しい手数料を請求し、2017年には総額8億170万豪ドルの関連収入を得たことが分かった。 王立委員会の考える「不正」については、銀行から反論がなされている。 国名 [ ] オーストラリアの最も古い地図(1547年) 正式名称は、 Commonwealth of Australia( 英語発音: コマンウェルス・ァヴ・オ(ー)ストゥ レイリャ)。 通常日本語の表記は オーストラリア。 Commonwealth of に対応する語として「連邦」を付け オーストラリア連邦とすることもある。 実質的にはをとるが、形式上は世襲の英国(女)王を元首に戴くであり、 Republic of(〜共和国)とすることはできないことから、同義語・類義語の Commonwealth of (中葉に成立したの英名は Commonwealth of England であった)を用いている。 したがってこれを「連邦」と訳すのは必ずしも正しくはないのだが、オーストラリアが連邦制国家であることは間違いないので、便宜上このオーストラリア連邦が Commonwealth of Australia の正式な訳語として用いられている。 日本におけるでは 濠太剌利とされ、またそこから 濠洲(ごうしゅう)とも呼ばれる。 「濠」はの「豪」を代用して 豪太剌利・ 豪洲と書くことも多い。 また、豪州という略称は「 호주 Hoju 」でも用いられる。 圏での漢字表記は 澳大利亞、略称は 澳洲となる。 国名の由来はで「南の地」を意味する terra australis で、これはヨーロッパにおける、(ラテン語: Terra Australis Incognita)のことを指している。 カカドゥの壁画 (・) 40000〜45000年前(60000年前、更にそれ以前とも言われる)、の何回かのの結果が100〜150m下降した更新世末期の、今日より低海面の時代にアボリジニがニューギニア方面から渡り、先住民となったと考えられている。 南東のタスマニア島に人類が渡った時期は、同島に存在する最古の人類居住遺跡が形成された時期約38,000年前であろうと考えられている。 また、その時期はに陸橋が形成されたであろう時期と合致する。 沿岸は、に伸び、ともに1つの陸地()であり、、、をつないでいた。 からの短い距離の部分を渡って Sahul へ、続いてを渡って来たと考えられている。 的証明では、の上流に40,000年前、タスマニア(タスマニアも当時大陸に繋がっていた)には30,000年前に人類居住跡が見つかっている。 また約42,000年前とされる人類の化石もニューサウスウェールズ州で発見されている(例:)。 ニューギニア、インドネシアとの・種の共有は、当時の陸橋の結果で、最後の氷期の終わりに海面が上昇し、ニューギニアとの間は海でへだてられた。 海面レベルは6,000年前から現代までほとんど同じである。 また ()で発見されたやのの高齢者の主張を基に、オーストラリアの先住民はから弓と突出した船尾を備えたボートで海を渡って11000年前にオーストラリアや等世界中を周回した、と主張する者も居る。 人類の居住と氷期の終焉 [ ] の発見から、火の使用も確認されている。 は森林、を開拓するためなどに使用した。 耐火性の高い、、などが残った。 動物種では人間より大きいの多くは絶滅し、多くの小型動物もいなくなった。 ディプロトドン(全長3m、ので史上最大の有袋類)、数種の大きな、肉食の、体長5mの、ほどの大きさのなどを含む、 約60種のが絶滅した [ ]。 大規模な絶滅の原因は火、狩猟、などと考えられるが、最も大きな原因は人間の介入だと思われている。 人による入植以前の人口は分かっていない。 13,000年前に更新世末期、氷期終焉を迎え、トレス海峡、とタスマニアの間のバス海峡、との間に海面が広がった。 アボリジニのによると、氷期の終焉は早く(あっという間に訪れた)、海面の上昇(陸地の失現)とともに、が天から降って来た、があったと伝えられている。 そのとき以来、タスマニアアボリジニは地理的に孤立し、9,000年前にバス海峡の島々とカンガルー島の人間は消滅した。 ヨーロッパ人の到達 [ ] のは、を指揮してに上陸、領有宣言を行った。 周りは荒い海であったために、頃の世界地図に Terra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。 1606年に当大陸に最初に到来したは人のヴィレム・ヤンツ であった。 だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった。 1770年に人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのに上陸して領有を宣言し、入植が始まった。 東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。 の独立により、1788年からアメリカに代わりとしてイギリス人の移民が始まった。 初期移民団1030人のうち、736人が囚人 男586人・女242人という説あり で、その他はほとんどが貧困層の人間であった。 また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという。 1791年の第2回囚人護送は1017人で、航海中に281人が死んだが、植民地での食糧難を加速させたため、政府は1年を待たずして自由移民を募り農地を拡大させた。 1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。 内陸を探検し、農牧地を開拓した。 その段階で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した。 1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた()。 [ ]の初めにはスペイン産メリノ種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。 なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類の中で羊肉が長持ちしたためである。 1850年代にゴールドラッシュが発生すると中国系の金鉱移民に対する排斥運動が起こり、後のにつながった。 この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2015年11月) 1901年の、事実上のイギリスからの独立後もへの忠誠からイギリスが参加した戦争には度々参加した。 では として英仏軍と共にに参加し、日本から供与されたを使用するなど軍との激戦を経験した。 ANZAC軍の上陸記念日である4月25日はとして国民の祝日となっている。 なお、1927年にはシドニーとによる首都争奪戦のすえ、妥協案として両都市の中間地点に新都市を建設し首都とした。 第二次世界大戦では、機による周辺などの北部都市への度重なる爆撃や、を受けた。 また、ニューギニアやからをはじめとする広範囲で連合国として日本軍と戦い、以降はヨーロッパ西部の地上戦にも参加した。 日本占領にもの一員として多数の部隊を派遣したり、極東軍事裁判の裁判長を出すなどして参加し、同裁判では天皇の訴追を要求した。 戦後はヨーロッパが人口激減と経済復興を経験したこともあり、白人移民は減り続けた。 国力の基礎となる人口増加が鈍化したため、1980年代からは白豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行した。 やにも積極的に参加し、アメリカと共に戦い、その後を数多く受け入れた。 1975年、がパプアニューギニアとして独立した。 英米と協同歩調を取った2003年のにも参加した。 このように距離は離れているものの、同じの英米や移民の出発地である他のヨーロッパ諸国との結びつきが依然として強い。 もっとも地政学的要因から、必ずしも北半球の欧米諸国の一員として行動していられない場面も多い。 特にフランスによる南太平洋での核実験の際には、北半球の欧米諸国が黙認するなかで、隣国のニュージーランドと共に猛抗議した。 このときは市民の間にもフランス製品に対する不買運動が広がり、大都市のフランス有名ブランド店には一時休業を余儀なくされたところもある。 地理 [ ] オーストラリア上空からの衛星画像。 国土のほとんどがで覆われているため、人口の多くは沿岸部に集中している。 オーストラリア大陸()とタスマニア島及び、その他の小さな島で構成される。 オセアニア州のオセアニア大陸とは、ほとんどオーストラリア大陸に等しい。 平均高度が340mと地球上の全中もっとも低く、2,000m以上の地点の面積比が計算上0. これも他の大陸にない特徴であり、つまりは低い大地が一面に広がり、起伏が小さな大陸だと言える。 当大陸の東側にはのが延びる。 最高峰は首都キャンベラの南南西120kmの地点にそびえる Kosciuszko。 標高2,228m(オーストラリア政府)、2,230m(理科年表2006)。 更に東側は、の過ごしやすい気候で人口はこの地域に集中し、、シドニー、メルボルンといった大都市は全てこの地域にある。 グレートディバイディング山脈の西側は乾燥したの(グレートアーテジアン盆地)であるが、井戸を掘れば水が出るので、の放牧が行われている。 大鑽井盆地より更に西は、、等のが広がり、人はあまり住んでいない。 大陸の西海岸にがあるぐらいである。 旅客鉄道路線 結節点 [ ] は、特に鉄道が、専ら観光業や鉱業のために結節点をつくっている。 都市も結節点の周辺に発達してきた。 大陸の北東部はまたはに属し、が広がるが有名で観光地になっている。 が観光拠点になっている。 のは複合遺産として認められた代表的な自然景観で、有名な観光地になっている。 グレートディバイディング山脈ではが採れる。 は金属の宝庫である。 大陸の北西ではが、西部ではが産出する。 大陸北部ではやが産出し、世界有数のボーキサイト・ウラン輸出国になっている。 ウランについては、弾が戦争で使用されて国内外から批判を長らく浴びたので、輸出量は往時に比べると激減した。 しかしなどの採掘業者は撤退していない。 その理由は土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないことの3つである。 こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野において農業生産性は極めて低い。 また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされる。 このような苛酷な環境に加え、近年の地球温暖化の影響により、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えている。 また、ヨーロッパの入植者によって砂漠地帯開発のための、狩猟目的のや、サトウキビの害虫を駆除するための、(正確には飼育されていた豚がしたもの )など、本来生息していなかった多数の外来種が持ち込まれ野生化・繁殖し、天敵がいないため個体数を急激に増やしている。 結果、在来生物を絶滅・減少させ生態系が破壊され、牧草や農作物へも被害を及ぼし問題となっている。 近年、更に深刻な問題となっているのが南極上空付近のオゾン層破壊による紫外線問題であり、皮膚炎、皮膚ガン患者数は年々増加している。 政府は国民に対し、外出の際には紫外線対策を怠らないように警告を促している。 政治 [ ] 「」も参照 政体は立憲君主制・連邦制である。 成文のをもつ。 イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア女王が国家とみなされる。 実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務め、その権限は専ら儀式程度に限られる。 1975年には、上下院が対立して予算案が議会を通らずに労働党政府の維持が困難になった際に、総督が憲法に基き議会を解散、当時の首相であったを解任するという事件が起き、論議を呼んだ。 政府は議会に対してのみ責任を負うイギリス型の議院内閣制で、政府機関には移民市民権省など特有の機関がある。 一方で「へ移行して、名実共に英国から独立すべき」と主張する共和派も活動しており、君主制の是非を問うもこれまで何度か実施されたが、いずれも僅差で否決されている。 2016年12月には、当時の首相だったが「 ()(ARM)のはオーストラリアのための大義だ」として、共和制への移行を求めるARMの会合で行った基調にて「女王エリザベスの後に行うべき」との旨を訴えていたことが報じられている。 議会 [ ] 「」も参照 議会はで、下院が金銭法案の先議権を有するほかは両院の権限は対等であり、米国のような上院の独自の権限は存在しない。 は18歳以上()。 上院は任期6年(ただし特別地域選出議員は3年)で、通常は3年議員は年毎に半数が改選される。 各州から12名ずつ、特別地域(首都とノーザンテリトリー)から2名ずつの計76人から構成され()、州を代表する。 下院は任期3年で、小選挙区から1名ずつ選出()され、定員は150人。 主な政党は、、、。 このうち、労働党を除く三党は(保守党)を構成している。 下院に基礎をおく議院内閣制であるにもかかわらず、上院は選挙制であり(カナダのように任命制の場合は、上下両院が対立した場合には、選挙制である下院が優越すべきとなるが、選挙制であるためこれがない)、上下両院は対等の権限を有している。 そのため上下両院が対立して政治危機となった場合にそなえてオーストラリアでは上下両院の解散(下院のみの解散は、制限なく可能)の制度を有している。 これは下院で可決された法案が上院で否決された場合に行うことができるものでこの場合は上院も全数が改選となり得票の上位半分が6年、下位が3年となる。 更にこの上下両院選挙によっても対立が解消されない場合は問題の法案を上下両院合同会議に付議できるとしている。 2009年9月21日、にて握手を交わす、、オーストラリアステファン・スミス 日本は中国に次ぐ2番目の輸出相手国であり、鉄鉱石、石炭、などが輸出されている。 近年、アジア・太平洋地域との結びつきを重視し始めており、日本製品(主の自動車や電子機器などの工業製品)も多数輸入しており、多数の日本製品が生活には欠かせないものとなっている。 これらのことから、2007年にと呼ばれる、日本とのFTA()交渉が始まり、2014年7月調印、2015年1月15日に発効した。 内外から批判は多いものの、イラク戦争で共同歩調を取ったことから政治的な友好関係が深まり、2006年には日米豪閣僚級戦略対話が行われるなど、政治、安全保障、経済、科学技術などの面での関係拡大が図られ、政治面でもアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつある。 1976年に、が締結され、締結30周年目に当たる2006年は「 日豪交流年」とされ、これを記念し国内最大のコレクションを有するメルボルンの NGV で、日本のに焦点をあて「フォーカス・オン・ラッカー展」を開催した。 1984年来、同美術館に所蔵されている家創作の赤漆盛器が改めて日豪交流の一役を担った。 2007年3月には日豪首脳会談において、日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「」が調印された。 戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。 これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。 一方で、同年、上院で慰安婦問題和解提言決議が採択され、慰安婦制度を『日本の歴史におけるおぞましい出来事』と批判した。 留学生や観光客が日本から訪れているほか、協定を最初に締結した国(1980年)であり、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。 ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、多数の日本人の店員や観光客、日本語の看板も多く目にする。 一方、スキー・スノーボード目的の観光客が、近年、日本ののに多く訪れている。 北海道の雪質が好まれる他、「地理的にさほど離れていない・時差が少ない・季節の逆を利用して楽しめる」等の点が人気のようである。 また、日本語学習者も多く、有名な観光地では日本語を話すことができる人や日本に留学したり住んでいたりする人も多くいる。 日本語学習者は実際数も、総人口に占める日本語学習者の割合もどちらも欧米諸国の中でトップである。 ちなみに、日本人が当地に初上陸した場所はメルボルンで、2002年の『第22回』()の関東大会第一問でとりあげられた。 日本の調査捕鯨に対して批判的であり、元環境相のイアン・キャンベル()とはそれぞれ現在の国際諮問委員との元理事を務めたことがある [ ]。 地方行政区分 [ ] 6州とACT・NT 6つの州とその他の特別地域に区分されている。 政体としての地方行政区画には、都市部では、City(シティ 市)、Town タウン 町 、農村部では、Shire 、District がある。 自治体組織を指す場合はCouncil(カウンシル 直訳:議会)を付けて呼ばれることが多い。 州 [ ]• ACT• 西オーストラリア州 WA• ビクトリア州 VIC• クイーンズランド州 QLD• 南オーストラリア州 SA• タスマニア州 TAS• ニューサウスウェールズ州 NSW• 経済 [ ] 、の多くを国、州などが権利を持つ。 具体例は、の、各種(鉄道・・など)、最古のである。 のを幹事のなどが引受けている。 シドニーは同国最大のであり、世界有数のである。 基本情報 [ ]• - 7月1日から6月30日• 加入している主要貿易関係国際組織:APEC、WTO、OECD• :8640億 AUD 2005-2006• 1人あたりGDP:43,000 AUD• - 3. 労働人口 - 1千万人• - 5. - 1,270億 AUD• 相手国 - 日本、、、アメリカ、ニュージーランド• - 1,495億 AUD• 相手国 - アメリカ、中国、日本、 出資:25億 AUD 産業 [ ]• 業 - 、• - 乗用車の製造(GM、、トヨタ・オーストラリア)が行われてきたが、2017年にオーストラリアドル高などを理由にトヨタとGMが撤退、生産国の看板を下ろすこととなった。 農業 - 輸出を行っている品目がある ものの貿易に特化しているとは言い難く、多くがとなっている。 - 牛肉()(、)• - 、 、など• - 、、、、、(、)、、、、、、、など• 鉱業 - 鉱物資源が豊富であり、鉄鉱石、ボーキサイト、、ウラン、金、が採れる。 鉄鉱石の採掘者で近年もっとも活躍するのはである。 金鉱山はによる開発が知られる一方、南アから来たも操業している。 では石炭、、など。 - 豊かな自然のため、主産業の一つ。 - 庶民・観光客の娯楽となっている。 国民 [ ] 詳細は「 ()」を参照 は各州の教育省が管轄しており、州によってカリキュラム、への進学学年、学期制度などが異なる。 6歳から15歳(日本の1年)、あるいはタスマニア州の16歳(高校2年)までが期間となる。 他の先進国同様、共働き家庭などの子どもはに預けられ、入学前にキンダーガーテンまたはプリスクールと呼ばれる機関に通う。 キンダーガーテン(幼稚園)を幼児教育ではなく、アメリカ合衆国のようにの一部とする州もある。 小学校は男女共学で6年または7年生まで。 はセカンダリー・スクールと呼ばれるで12年生までが通うが、例外はタスマニア州で7年から10年までのハイスクールと11・12年のセカンダリー・カレッジに分かれている。 が盛んで、アメリカで言うところのが多く設置されており、理数系、芸術系、外国語など特化教育を行っている。 はとくにカトリックとに属すものが多い。 教会直属の学校のほかに、イギリスと同様、と呼ばれる学校が多くあり、一部は名門校として知られている。 授業料が比較的安いためカトリック系インデペンデント・スクールは人気があり、私立校の一分野を築いている。 の要素が強い中等後教育コースである(州立)やVET(私立)を選択することもできる。 義務教育(高校1年あるいは2年)を終えた時点で終了試験を受け、合格すれば義務教育終了証を得るが、大学に進学しない者も3年生まで通って各州で統一された卒業試験を受ける生徒が多い。 は卒業試験と、高校の最終2年間の成績をもとに入学審査を行う。 どの州にも共通しているのは• 1月末から2月はじめの夏の終わりごろに新学期が始まる• 公立校でも小学校からがある。 が強く、としてだけでなくや屋外で行う授業でも制帽の着用が義務づけられている。 一クラスの人数は20人から25人程度で、も各学校や学級ごとに異なる。 小学校から(該当科目だけ留年の場合もあり)がある といった点である。 人種差別問題 [ ] 住民の主流を占める白人による、先住民アボリジニや他の有色人種の移民に対する迫害や差別の歴史があり、現在も、、系などのに対する優越思想や白豪主義が一部に存在し、2005年にはが発生した。 なお、の調査によると、国民の10人に1人が「白人至上主義者」であることが明らかになり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった。 難民 [ ] かつては積極的に難民を受け入れる国であったが、に端を発する経済危機をきっかけに、移民や難民の受け入れに慎重な姿勢を取るようになってきている。 やの国々と協定を結んで、これらの国に難民受け入れの施設を建設する資金を提供する代わりに、移住を望む難民の受け入れを肩代わりしてもらうようになっている。 協定を交わしている国には、、、パプアニューギニアなどがある。 しかし、これらの国に建設されている難民収容施設は、清潔な水や十分な食料も与えられず、働く場所もないなど非常に劣悪であり 、はオーストラリア版と批判している。 難民保護の実績もなければ、国民ですらまともな人権を享受していない国に難民を送りつける行為を、は批判している。 難民収容所では、職員による的な行為も蔓延しており、2014年2月には、劣悪な環境に耐えかねた収容者による暴動が発生し、死者が出ている。 首相は、2013年7月19日、許可無く漂着した場合は全て、パプアニューギニアへ移送する方針を発表した。 そのラッドから、2013年秋に政権を奪ったは難民についてさらに厳しい姿勢を表明しており、「わが国に不法に入国しようとする難民船は1隻残らず追い返す」とのを掲げ、実際にその公約を実現するために動いており 、近づく不法な難民船は、オーストラリア海軍によって追い出され、出港地に送り返されている。 マスコミ [ ] 詳細は「」を参照 イギリスの影響でや牛肉料理がポピュラーである。 特に低価格を武器にしたオージー・ビーフは国を代表するブランドとして世界中に出荷されている。 やなどのオージー・ビーフを使った家庭料理がある。 イギリスの影響で独立当時は紅茶文化の影響が強かったが、第二次世界大戦終結後に増加したイタリア系移民により、本格的なを楽しむスタイルが伝来した。 現在では著名なを多数輩出するなどコーヒー文化が根付いている。 なお2000年に直営店を出店したは、バリスタが経営する小さな喫茶店から大手チェーンまでが揃った市場に食い込めず、1億ドル以上の赤字を出した後、地元企業に運営権を売却している。 菓子類はやなどイギリスから引き継がれたもの以外に、や、などのケーキ類が考案されている。 先住民の伝統料理としてはなどのブッシュ・タッカーが知られている。 世界遺産 [ ] 詳細は「 ()」を参照 祝日は州毎に定められている。 下記の他に競馬の大レース(、アデレートカップ、ローンセストンカップ等)や農業ショーの日は都市、地域限定の祝日となることがある。 日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 New Year's Day 1月26日 Australia Day Good Friday 復活祭前の金曜日 イースター 復活祭 Easter Saturday 西オーストラリア州を除く イースター 復活祭後の月曜日 Easter Monday 復活祭翌日の月曜日 4月25日 ANZACの日 Anzac Day 6月の第二 女王の誕生日 西オーストラリア州では。 とくにクリケットの国際試合で活躍した選手は国民的英雄の扱いを受けている。 やマリンスポーツに適した海岸線が長いことからやから発祥したなどが盛んである。 サーフィンに関しては、スポーツ競技として捉え、政府公認の選手育成プログラムもあり、科学的なトレーニングを行っている。 も人気があり、というプロリーグも存在する。 またも非常に盛んであり、夏場(日本の冬の時期にあたる)ではほぼ毎日テニスの試合がで放送されるほどである。 また、などの有名なテニスプレーヤーを輩出していることも知られている。 ラグビー [ ] ラグビーはとラグビーリーグに大別できるが、ニューサウスウェールズ州やクイーンズランド州では13人制のラグビーリーグの方が盛んである。 とはいえ、いずれも世界的に見れば強豪国である。 (カンガルーズ)はで過去15大会中11回優勝している。 15人制のユニオン代表チーム()はで優勝2回、準優勝2回の強豪である。 シックスネーションズでニュージーランドとの対戦では国中が盛り上がる。 州ごとのクラブチームもに参加している。 クリケット [ ] 夏のスポーツの代表格はクリケット(ラグビーは冬の代表格)。 イギリスが発祥国で、イギリス連邦などで絶大な人気のあるスポーツである。 クリケット界で世界最高峰のでは史上最多5回の優勝経験を誇る。 のフルメンバーである。 国内ではの試合形式のなどが人気である。 は史上最高のクリケット選手と評されており 、や等と共に20世紀を代表するスポーツ選手の一人である。 競馬 [ ] 詳細は「」を参照 はが持ち込まれてすぐの1810年に初めて開催され、現在でも非常に盛んに行われている。 一人当たりの馬券購入額は日本やイギリスを凌いでおり、の数は、、、クォーターマイル用を全て合わせると大小480場を数える。 生産頭数は約18000頭でアメリカ合衆国に次ぐ世界2位、も約6000頭で、アメリカ合衆国に次ぐ規模である。 地域ごとに大レースがあり、それぞれカーニバルが並行され大きく盛り上がる。 その中でも最大のメルボルンカップは、メルボルンの都市圏が祝日となり、国の機能が停止すると表現されるほどの盛り上がりとなる。 第3の都市ブリズベンでは、農業省の祝日であるでの競馬が有名で、皆が正装(男性は主にスーツ、女性は主にドレス)し競馬を楽しむ。 サッカー [ ] ヨーロッパからの移民(英国圏、イタリア、クロアチアなど)が多いため、競技人口自体は多かったものの、国民のへの関心は薄かった。 これはたとえオセアニアで一番になろうと、に出場しようと(出場枠が1)ほとんど反響がなかった。 これまで主力選手が海外で活躍していたが、2005年に国内のプロリーグが発足したことに加え、代表チームは進出を決め(32年ぶり2度目)、その予想以上の活躍ぶりに国内では盛り上がりを見せた。 バスケットボール [ ] を参照 外国人としては史上2人目の1巡目1位指名選手となったが最も有名。 国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。 男子はこれまでに11回、に9回出場している。 1996年、2000年と2大会連続で4位になるなど、オセアニアの王者としてだけでなく、世界的にも強豪である。 その後のや、世界選手権には出場し続けるものの、成績はやや不振気味。 現在若手への世代交代の最中でアンドリュー・ボーガットを中心とした新たなチーム作りをしている。 このボーガットを中心に、近年にドラフト指名される選手が複数出てきており、復活の兆しが見えている。 男子代表チームのニックネームは「 Boomers」。 とは熾烈なライバル関係にある。 男子以上に世界的に有名で強いのが、である。 女王を始め、数多くの選手を輩出し、2000年のシドニーオリンピックから2008年の北京オリンピックまで 3大会連続で銀メダル獲得。 では遂に優勝し、 金メダルを獲得した。 世界最強のにとって最大のライバル国となっている。 女子代表チームのニックネームは「 オパールズ」。 野球 [ ] は1850年代にから伝えられた。 クリケットやラグビーが大変盛んであり、野球の人気は劣るが、1888年には MLB の世界ツアー慣行の際、シドニー、メルボルン等4カ所で試合行うと、観客動員数1万人を超えた。 3月にはとがシドニーで開幕戦を2戦行うと、2戦とも観客動員数38000人を超えた。 MLB に選手を輩出しており、までに31人の選手がMLBでプレーした。 は1897年に初めて結成され、のでは、予選でに勝利し、準決勝でも日本に勝利し、決勝戦ではに敗れたものの銀メダルを獲得した。 のでは本戦に出場し、4大会連続1次ラウンド敗退となったが、同年3月の発表の世界ランクでは8位にランクインし、過去最高位を更新した。 国内ではに ABL が発足したが、に財政難により消滅した。 しかし、にオーストラリア野球連盟(ABF)とMLBの出資により、国内6都市に球団を置き、11月から2月までをシーズンとするプロ野球リーグとして復活した。 や、 MiLB 、 CPBL 、 KBO ではオフシーズンの時にシーズンであるため2010年から毎年各リーグの球団から選手が派遣されている。 モータースポーツ [ ] メルボルンで、、が年1回行われており国内選手権なども盛んに行われ、数多くの年間王者を輩出しており高い人気を誇っている。 競泳 [ ] オーストラリアは競泳の強豪国でもあり、中でもはにおいて5個の金メダルを獲得しており、 人間魚雷の異名を持つスーパースターでもある。 [] 注釈・出典 [ ] 注釈 [ ]• 1900年7月9日. 2011年8月5日閲覧。 It shall be lawful for the Queen, with the advice of the Privy Council, to declare by proclamation that, on and after a day therein appointed, not being later than one year after the passing of this Act, the people of New South Wales, Victoria, South Australia, Queensland, and Tasmania, and also, if Her Majesty is satisfied that the people of Western Australia have agreed thereto, of Western Australia, shall be united in a Federal Commonwealth under the name of the Commonwealth of Australia. Macquarie ABC Dictionary. The Macquarie Library Pty Ltd. 2003. Oxford Dictionaries. Oxford University Press 2010年4月. 2012年7月26日閲覧。 外務省 閲覧2018年1月20日• Data refer mostly to the year 2014. Accessed on 25 April 2015. Wade, Nicholas 2011年9月22日. The New York Times. Australian Government:Culture Portal. Department of the Environment, Water, Heritage and the Arts, Commonwealth of Australia 2008年1月11日. 2010年5月7日閲覧。 Governor Phillip carried instructions to establish the first British Colony in Australia. The First Fleet was under prepared for the task, and the soil around Sydney Cove was poor. Davison, Hirst and Macintyre, pp. 157, 254. News. softpedia. com. 2013年4月27日閲覧。 website. Commonwealth of Australia. 2008年6月6日閲覧。 Walsh, Michael 1991 "Overview of indigenous languages of Australia" in Suzanne Romaine 1991. Cambridge University Press. 2012年12月1日閲覧。 Singleton, Paul Robertson, Economic Relations Between Britain and Australia, 1945-1970, Springer, 2001, p. 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【オーストラリア留学】都市別の日本人比率から仕事と差別の話

オーストラリア 人口

オーストラリアは移民人口の割合が世界で第3位です。 移民大国として成功しているのは状況に応じたオーストラリアの移民政策のおかげですが、その反面、移民による問題も日に日に大きくなりオーストラリア政府の悩みの種になっているのも事実。 この移民政策によって今のオーストラリアはどのような状態になっているのでしょうか?ボクは オーストラリアの移民政策は今、大きな転換点を迎えているのではと考えています。 今回はオーストラリアの移民政策や移民にまつわる事をオーストラリアは移住の情報を集めまくって蓄えたボクの独自の視点を紹介していきたいと思います。 2019-20年の移民計画 オーストラリア政府は 来年度の移民受け入れ人数を16万人と設定しました。 これまでの人数は19万人だったので受け入れ人数を3万人減らすことになります。 ただ、ので、 受け入れ人数を実際の受け入れ人数に合わせていると思われます。 これによって スキルセレクトでのインビテーションに必要なポイント数がさらに上がることが予想されます。 次のページ > この移民の受入数はその時の経済の状況である程度上下しますが ここ数年は減少傾向です。 なぜ減少傾向なのでしょうか? 人口の3割は移民 オーストラリア 人口の28. この割合は世界で3位です。 建国からの人たちを先祖にもつオーストラリア人の人口は少数派になりつつあります。 オーストラリア人としても自分たちが少数派になりたくありません。 これもでしょう。 ただそれだけではありません。 移民によってもたらされた繁栄と問題 オーストラリアは 技術移民と言っ て仕事上の知識や技術がそれなりにある人に対して積極的に移民の為のビザを発給してきました。 その結果、オーストラリアは起業家を世に輩出し、また移民受け入れによって増えた人口は国内の消費を増やしたので 経済が豊かになりました。 その反面、を引き起こしました。 まさに東京のような人だらけの都市が増えてきたと考えてみてください。 オーストラリアの都市部は住みやすい都市ではなくなっているのです。 次のページ > まだイギリス系が多いけど 移民人口の割合が3割以上と書きましたが、その移民の内訳にはイギリスを先祖に持つ人たちが多い。 今のところ移民の割合で一番多い国籍がイギリス人、次いでニュージランド人。 オーストラリアの歴史を考えるとオーストラリアの大多数はいまだにイギリス系の人たちです。 移民受け入れの成長は中国とインドが高い 今後数十年のうちに中国とインドがオーストラリアの移民割合の大多数になる可能性が高い。 移民人口における中国、インドの割合はまだ少ないですが受入数は年々多くなっています。 これらの都市ではすでにオーストラリア人は少数派になっているんですね。 移民の人口割合や構成比が変わることで住みにくい地域になり、コンフリクトが増えると思われます。 だからこそ、 オーストラリア政府はいま移民を地方に流そうとしているのです。 移民を地方に Scott Morrison首相は永住権目的に地方エリアに住みたい移民希望者が1年間で2. 5倍以上増やすことを明らかにしました。 2019年度は23,000人にする予定 オーストラリアの移住の焦点は都市から地方に確実に移っています。 オーストラリアは2019年の後半に2つの地方ビザをリリースする予定です。 また地方の大学を卒業した場合には卒業ビザの延長も加えられる情報があるので「 AUS移住は地方」と真剣に考えた方が良いでしょう。 次のページ > 今後の中・長期的なオーストラリア移住は 移住は地方といえどももっと大きな時間軸で考えるとオーストラリアの移民政策に変化が起きています。 それを反映してかです。 逆に一時滞在用のテンポラリービザの発給数は増えています。 今後、 オーストラリアは永住より 一時的な 移住がメインになりそうです。 そして 地方経済を支えるオーストラリアの為に貢献してくれる人だけが永住権を手にできるのかもしれません。 次のページ > そのあたりはこれまで説明した移民の諸問題を考えると「当たらずとも遠からず」といったところでしょう。 参考記事: オーストラリアに移住したいと思う人に幸運を。

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