地方 競馬 開催 日程。 地方競馬場 開催日・開催日程 :楽天競馬

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地方 競馬 開催 日程

地方競馬における無観客競馬の実施について 地方競馬における 無観客競馬の実施について 地方競馬は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、以下の開催を無観客競馬として開催いたします。 無観客競馬の実施開始から4ヶ月以上を経過し、競馬場へのご来場を楽しみにされている皆様には、心よりお詫び申し上げます。 何とぞ皆様には 電話・インターネット投票のご利用をお願いいたします。 無観客競馬の日程 (6月29日 10:00現在) ばんえい帯広競馬 6月20日 土 から7月6日 月 門別競馬 6月3日 水 から当面の間 盛岡競馬 5月31日 日 から当面の間 浦和競馬 6月29日 月 から7月3日 金 船橋競馬 6月15日 月 から6月19日 金 大井競馬 6月1日 月 から当面の間 川崎競馬 6月8日 月 から6月12日 金 金沢競馬 6月28日 日 から7月7日 火 笠松競馬 6月3日 水 から当面の間 名古屋競馬 7月7日 火 から7月10日 金 園田競馬 5月27日 水 から当面の間 高知競馬 5月30日 土 から当面の間 佐賀競馬 5月30日 土 から当面の間 なお、場外発売施設については、一部で 勝馬投票券の発売・払戻を再開いたしました。 下記リンクおよび各主催者のホームページ等でご確認ください。 地方競馬主催者ホームページ• TOPICS (6月29日 13:30更新)• 03無観客競馬の実施にかかる特設ページを開設いたしました 20. お客様におかれましては、 電話・インターネット投票をご利用のうえ、競馬をお楽しみください。 インターネット投票サイト 指定の銀行に口座をお持ちのお客様は、 ご登録日から勝馬投票券をご購入いただけます。 新規会員登録は各サイトからお申込みください。 ライブ中継を無料でネット配信 テレビ中継• 地方競馬のポータルサイト• 騎手からのメッセージ (4月14日掲載) 無観客競馬のご理解と、ご不便をおかけしているお客様への感謝の気持ちを込めて。 騎手からのメッセージをご紹介します。 他場では無観客競馬がすでに始まっていますが、ホッカイドウ競馬では開幕の4月15日に初めて無観客で開催されることとなりました。 門別は他場に比べると入場者数が少ないので、正直に言うと「あまり変化はないのかな?」と想像してますが、どのような競馬になるでしょうか。 ホッカイドウ競馬の朝の調教は、騎手が各厩舎から馬に乗り、コースや坂路で調教した後、次の調教騎乗馬への乗り替わりは厩舎まで戻って行うというサイクルを普段からやっていて、騎手が待機所で固まって次の調教すべき馬を待つということがないので、調教中の関係者間の接触は最低限に保たれています。 門別競馬場はいわゆる繁華街と呼ばれるエリアとは地理的に遠いんですけれども、各騎手がそういう地域への立ち入りを自制してますし、調整ルームへの入室時、朝の調教開始時、調教終了後の再入室時の少なくとも1日3回は検温を義務付けていて、37. 無観客競馬で開幕を迎えますが、どんな状況下でも、騎手は、騎手としてやるべきことをきちんとやって、自らの騎乗馬を勝たせる努力をするのみです。 今年は門別競馬場でJBC2歳優駿が行われますし、競馬ファンの注目がホッカイドウ競馬に集まる年になるので、質の高い競馬を提供し続け、11月3日のJBCには多くのファンに門別競馬場へ来場してもらいたいですね。 桑村 真明(門別)• ファンの見守る中で競馬ができないことは、何より寂しいです。 ジョッキーのみならずスポーツ選手はモチベーションが第一ですし、ファンからの声援の有無が大きく影響することを実感しています。 一刻も早く、新型コロナウイルスが終息に向かってくれることを願っています。 いま大井競馬場では、関係者全員が気を配り、外出を控え、手洗い・うがいといった当たり前の予防対策を丁寧に行っています。 調整ルームの共用スペースでは全員がマスクと手袋の着用をするようになりました。 僕個人としても、移動の際には常にアルコール消毒液を持ち歩いて、こまめに使用するようにしています。 競馬が中止になってしまう心配も生じている昨今の状況の中で、競馬開催を継続させていただいていることのありがたみを強く感じています。 これも感染症対策に懸命に尽力していただいている医師や看護師など医療従事者の皆様のおかげに他ならないと心から感謝しています。 それら関係の方々には、いつか競馬界全体で恩返しができればいいなと思っています。 無観客競馬に対する、皆様のご理解とご協力に深く感謝し、競馬に携わる一人として、この苦難を乗り越えるための寄与をこれからも実行していく決意です。 笹川 翼(大井)• 無観客競馬開始から1か月以上が経って、その環境に慣れてきてしまっていることの怖さを逆に感じています。 この無観客の期間中に、JRA初騎乗を経験したんですが、とりわけ大きな観客席がガランとしている中で競馬を開催していることに、寂しさを痛感しました。 西脇トレセンや園田競馬場の業務エリアは、各所にアルコール消毒液が置かれていたり、関係者全員がこまめな検温と手洗いを励行したりして感染予防に努めています。 厩舎地区は外部との接触を制限できる施設なので感染拡大防止には適していて、僕たちもできるだけ人と接する機会を減らしています。 今年は年間100勝を目指して頑張っています。 競馬開催を継続していただいていることにとても感謝しています。 ファンの皆さんが自宅にいながら楽しめる娯楽の一つとして、「競馬」で盛り上がっていただけるのなら、たいへん嬉しいです。 その期待に応えられるよう、僕たち騎手は精一杯騎乗することを約束します。 いまは日本全体が我慢の時。 一人ひとりの心掛けは小さなことかもしれませんが、皆が共通の気持ちと対応で感染予防に取り組めば、大きな成果につながると思います。 今こそ皆のチカラを結集しましょう!よろしくお願いします。 鴨宮 祥行(園田・姫路)• LVRレディスヴィクトリーラウンド2020名古屋ラウンドは無観客の中での最終戦となりました。 ケガから復帰後、念願だったLVR初出場の機会に総合優勝を果たすことができたことについて、お客様に向けて直接お礼を伝えたかったのですが、それが叶わず、とても寂しい思いをしました。 お客様の応援の声が、競馬にはなくてはならない大事なものだということも本当によく分かりました。 佐賀競馬でもしばらく無観客競馬が続いていて、馬たちは「いつもと違うな」と感じているように思います。 普段は入れ込む馬が落ち着いている時があって、その面では騎手にとって良いことだと思いますが、馬も気合いが抜けてしまっているように感じることがあります。 馬の飼養や調教に関わっている者の責任として、競馬場全体で新型コロナウイルス感染拡大防止のための注意事項をしっかり守り、外出も控えて生活しています。 お客様の声援が騎手のパワーになることは間違いないことなので、以前のような雰囲気の中でのレースが1日も早く実現されるよう願っています。 ファンの皆さん、競馬場にお越しいただくまで、まだしばらく時間が掛かると思いますが、いまはお身体をどうかご自愛いただいて、インターネットやCS放送などを通じてご声援をお願いします。 私もその声を受け取る気持ちでレースに臨みます。 入場再開の時には、お客様のありがたさを改めて味わわせてください。 皆様のご健康を心よりお祈りしています。 岩永 千明(佐賀)• お客様が競馬場内に全くいない状況に、違和感を感じています。 やはり寂しいですね。 意外に思われるかもしれませんが、例えば最後の直線のシーンで、スタンドのお客様が追え!と口にしたとします。 そう言った声援は僕たちの耳にきちんと届いていて、フレーズ単位でしっかり聞き取れてるんですよ。 だから場内の歓声がないと寂しく感じます。 まるで能力試験みたいですよね。 馬は全体的に普段よりも大人しいですね。 いつもなら入れ込んでる馬も落ち着いてたりします。 もしかしたら、通常の環境だと能力を発揮できない馬が、今の無観客競馬でなら走るかもしれませんし、その逆もあると思うんです。 たしかに張り合いを感じにくい部分はありますが、僕たちは騎手ですので、レースが始まれば無観客競馬に関係なく、少しでも上の着に入れるよう全力で乗るだけですね。 そう言った意味では普段と違いはないです。 騎手がファンの皆様のためにできることって、すごく限られていると思うんです。 だからこそ、目の前のレースに集中して一生懸命に騎乗しています。 皆様が感染予防に努められているように、僕たち騎手も強い意識を持って体調管理を徹底しています。 一人一人がしっかりと予防しないといけない状況にあると思うんです。 ファンの方々も不安で大変だと思いますが、僕たちも精一杯頑張りますので、一緒に力を合わせて、今のこの状況を乗り切って行ければと思います。 森 泰斗(船橋)• 無観客競馬と通常の開催を比べると、どうしても盛り上がりに欠けてしまうかもしれません。 馬に変化があったかと聞かれると、馬が人の言葉を話すわけではありませんので確かなことは言えませんが、騎乗してて違いはあまり感じません。 もしかしたら、馬は環境の変化に気付いていないのかもしれませんね。 とても難しいことだと思うのですが、競馬場にいることで肌で感じられるリアルな喜びや感動を、どのようにしたらインターネットやテレビ中継を通じてファンの皆様にお届けできるのかと悩んでいます。 私も手洗いうがいやマスクを着用して予防に努めていますが、新型コロナウイルスは目に見えないものなので、皆様も不安だと思います。 日本の方々が健康でいられることを心からお祈りしています。 しばらくの間、皆様にお会いできずとても寂しいです。 1日でも早くこの事態が収束し、また競馬場でお会いできることを願っています。 ミカエル・ミシェル(川崎)• 無観客競馬を初めて経験しましたが、身が引き締まらないというか、すごく寂しかったです。 ファンの方がいないこともですが、競馬場内のお店もシャッターが閉まったままで、そういう光景も寂しかったですね。 パドックで騎手への掛け声や応援もなく、ただただ寂しい思いを感じました。 今年のLVRは、新人3名に加え、ミカエル・ミシェル騎手の参加で、高知も佐賀もたくさんのファンの方が来場されましたし、名古屋もこれまで以上に、たくさんのファンの方が来場してもらえると期待してたのに…。 私の知人も、名古屋競馬場でミシェル騎手と私が戦う姿を見るために、仕事をお休みして応援してくれることになっていただけに、うーん…本当に残念です。 今回のLVR名古屋ラウンド観戦をとても楽しみにしてくださった方は多いと思います。 無観客で開催されることにはなりましたが、地元名古屋で最終戦を迎えるLVRは、絶対に総合優勝したいと思っていますので、ライブ映像を通して、皆さん応援してください! 宮下 瞳(名古屋)• 競馬場にお客さんがいなくなるとどうなるかと思ってましたが、馬たちは落ち着いていて、騎手としては乗りやすい環境かもしれないです。 逆に場内の喧噪もないので、たまに近くの道路を走る救急車のサイレンが場内までよく響き、馬が驚いています。 一方で、騎手としてはファンの声援がなく、張り合いがなくて「寂しい」の一言ですね。 高知はナイター開催なので、昼間のうちはまだ大丈夫なんですが、ナイター時間になると、スタンドの照明がいつもよりも落ちているので、もっと寂しくなります。 この機会が無観客となることは、余計に寂しいですね。 かつて高知競馬存続が危ぶまれ、当時は競馬場に来ていただけるファンも少ない時代があったわけですけれども、少しだけその頃を思い出しました。 ここ数年で高知競馬はインターネットでの馬券発売に支えられ、競馬場も活気づいてきました。 いま日本中も世界全体としても大変な状況になって、外出を控える事態にもなってしまいましたが、その間はインターネットで馬券を買って、ライブ中継で応援いただくしかないですね。 ファンの皆さんもそうでしょうが、僕たち競馬関係者も寂しい思いをしています。 早くこの事態が収束して、皆さんが競馬場に来られる時のことを楽しみにするしかありませんね。 通常開催に戻った時には、ファンの皆さんの来場と声援を心からお待ちしています。 赤岡 修次(高知)• copyright 2020 NAR The National Association of Racing All Rights Reserved•

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各種開催時刻 ばんえい十勝では、新型コロナウイルス感染症対策に基づき、帯広競馬場を一時閉場しております。 それに伴い各種ツアー、施設のご案内を停止しております。 期日は未定となっておりますが、再開の際は公式HPにてご案内いたします。 ばんえい競馬をお楽しみにしているお客様へは大変ご迷惑をおかけいたしますが、お客様の安全と健康を最優先に取り組んでまいります。 皆様のご理解とご協力をお願いいたします。 他場でのばんえい競馬の発売は、「場外発売日程」でもご確認頂けます。 2020年 6月 曜日 日 月 火 水 木 金 土 日付 1 2 3 4 5 6 ばんえい開催 第1R 14:45 第11R 20:45 第1R 14:40 第11R 20:45 他場発売 JRA発売 日付 7 8 9 10 11 12 13 ばんえい開催 第1R 14:40 第11R 20:45 第1R 14:40 第11R 20:45 第1R 14:45 第11R 20:45 他場発売 JRA発売 日付 14 15 16 17 18 19 20 ばんえい開催 第1R 14:40 第11R 20:45 第1R 14:40 第11R 20:45 第1R 14:45 第11R 20:45 他場発売 JRA発売 日付 21 22 23 24 25 26 27 ばんえい開催 第1R 14:45 第11R 20:45 第1R 14:35 第11R 20:45 第1R 14:45 第11R 20:45 他場発売 JRA発売 日付 28 29 30 ばんえい開催 第1R 14:35 第11R 20:45 第1R 14:40 第11R 20:45 他場発売 JRA発売• 開門時刻・発走時刻の変更がある場合がございます。 レラスポット北彩都(旭川)・ハロンズ岩見沢・ハロンズ釧路・琴似駅前場外発売所・イルムふかがわにつきましては、ホッカイドウ競馬の発売をいたしません。 ハロンズ岩見沢でのJRA発売は行いません。 J-PLACE琴似駅前は、各場メインレースのみの発売となります。

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【地方競馬】地方競馬での無観客開催はいつまで続くのか(デイリースポーツ)

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概要 [ ] 1948年7月に制定されたの下でによって主催される であり、(JRA)の主催する「 」と対をなす法令用語となっている。 2013年4月現在は14の主催者により全国17か所の競馬場(開催が行われていないものも含む) でとが施行され 、競馬法に基づくの(NAR)がこれを統括する。 戦前のからを経て、政府によって出資されるである日本中央競馬会によって施行されている現在も国庫への納付金を課せられている中央競馬に対して、現在の地方競馬はないしは競馬場が所在するが指定した市町村、または左記ので構成されるが施行するである。 2014年現在、日本での馬券発売を伴う競馬全体において在籍頭数のおよそ6割、競走数の約8割を占める。 また、地方競馬全国協会を通じても広く馬の改良増殖や畜産振興のために用いられている。 しかしながら、1990年代以降は景気後退や娯楽の多様化などによって開催成績は低迷を続け、競馬事業を廃止する自治体も現れている。 戦前は草競馬と蔑まれた地方競馬も、戦後の一時期は平日開催が可能でかつ開催数が多いことが追い風となり好景気を迎えたこともあった。 開催数が多いことで賞金総額は国営競馬の2倍近くとなり、1950年にはダービーの有力候補や天皇賞好走馬(エゾテッサン、二着入線後に失格)が続々と地方競馬入りするといったこともあった が、中央競馬の巻き返しにより再び人気は逆転していった。 激しい淘汰の時代を経て、2011年には主催団体が15にまで減少。 売り上げは3314億円まで減少した。 その後2013年に福山競馬が廃止されたものの、JRAのIPAT投票での発売開始や日本経済の好転にともなって売り上げが急激に回復し、中にはバブル期を上回る過去最高の売り上げを記録する競馬場も出てきている。 競走馬の登録・格付け [ ] 父と同じ勝負服を受け継いだ騎手 やなど競馬関係者の免許は地方競馬全国協会より付与され 、免許試験も地方競馬全国協会が行う。 騎手や調教師の養成や研修を行う施設として、にがある(ばんえいの養成は行っていない)。 ただし、の卒業が義務づけられている中央競馬と異なり、地方競馬のは特別な試験を必要とせず、各地方競馬の(調教師)と直接雇用契約を結ぶ。 開催執務を担う人材は、各主催者の職員がで研修を受けるなどして業務に就いているほか、主催者の要請に応じて一部は地方競馬全国協会からも派遣されている。 騎手は原則として必ずいずれかの競馬場の厩舎に所属することとされている が、(浦和・大井・船橋・川崎)では2012年4月1日より、所定の要件を満たした騎手に限って特定の厩舎に所属しない「(中央競馬のフリー騎手に相当)」の制度を導入している。 騎手がレースの際に着用するは、原則として騎手ごとに固有の服色( )である が、ホッカイドウ競馬と南関東公営競馬では例外的に馬主固有の服色()を着用しての騎乗を認めている場合もある。 なお、中央競馬は馬主服が原則のため、地方競馬の騎手が中央競馬で騎乗する場合も馬主服を着用する。 また、地方競馬の競走馬が中央競馬で行われる交流競走(後述)に出走する際、馬主が日本中央競馬会に登録されていない場合は「交流服」と呼ばれる専用の服が日本中央競馬会より貸与される。 騎手は原則として所属する競馬場(地区)内のみでの騎乗となるが、2000年代以降は他地区の地方競馬でを行ったり、重賞競走でスポット騎乗を行うなど、活躍の場が広がりつつある。 このほか、2007年のを先駆者として、への遠征を行う騎手も現れるようになった。 また、多くの女性騎手が各地の地方競馬で活躍していることも特徴となっている。 の審査・登録も地方競馬全国協会が日本中央競馬会とは別に行っており 、必要とされる所得額は個人馬主の場合で500万円以上となっている。 競走・競馬番組 [ ] の最終戦であるを三連覇した 地方競馬の平地競走は1周1000m以上の走路でサラブレッド系の馬によって行われ、スタートからゴールまでのスピードを競う。 ばんえい競走は日本で生まれた独自の競走形態で、体重1トン前後の重種馬が騎手とおもりを載せた鉄製のそりをひき、途中に2つの障害(台形状の小さな山)を設けた直線200mのセパレートコースでパワーとスピードを競う。 地方競馬の競馬番組は「2歳」「3歳」「一般(3歳以上の古馬)」の年齢区分で番組編成が行われ、各馬の格付け(前述)に基いて出走可能なレースが決められる。 重賞競走は各主催者(地区)が個別に定めた独自のグレード表記を行うところもある ほか、中央競馬と地方競馬の所属に関わらず出走できるダート交流重賞はの承認を受けた格付表記(国際競走はG表記、日本調教馬限定競走はJpn表記)が用いられ、「」として総称される。 このほか、中央競馬の下級条件馬が出走する「条件交流競走」や地方競馬のみの全国交流競走、さらには地域限定の交流競走や騎手のみの交流競走も幅広く行われている。 大井競馬場では、(KRA)との国際交流競走を2013年より2016年までの4回実施した。 また、複数の重賞競走をシリーズ化した競走も行われ、一部のシリーズ戦は着順に応じたポイント等で各馬の順位を決め、上位馬にボーナス賞金を与えている。 2017年度に行われる全国規模でのシリーズ競走は以下の通り。 - 各地の8競馬場で行われる「ダービー(3歳馬のチャンピオン決定戦)」を短期集中施行。 - 世代別(2歳・3歳・古馬)の牝馬重賞シリーズ戦。 ポイント上位馬にはボーナス賞金を授与。 - 秋に行われる各地の2歳馬による主要競走を短期集中施行。 - 1000m以下の短距離競走で構成されるシリーズ戦。 各地区ごとに予選となるトライアル競走を行い、それらの上位馬で行われるファイナル()でチャンピオンを決定する。 - 各地の3歳主要重賞競走を戦う有力馬が11月に実施されるを目指して地方競馬の3歳チャンピオンの座を争う。 騎手交流競走には、以下のようなシリーズ戦がある。 - 中央競馬で行われる「(2014年までは )」に出場する地方競馬代表騎手の選抜を目的とした競走シリーズ戦。 - 通算2000勝以上を記録した騎手のみで争われる競走シリーズ。 - 地方競馬の騎手として通算7151勝(ほか中央競馬で2勝)などの歴代1位記録をもち、「 鉄人」「 地方競馬の至宝」の異名もつけられたの功績を称え、地方競馬・中央競馬の代表騎手を招待して行われる競走シリーズ。 - 地方競馬・中央競馬からデビュー3年以内の若手騎手が集い、新人王の称号をかけて争う競走シリーズ。 では馬産地に近い特性を生かし、1着馬の馬主または生産牧場へ副賞として特定の種付権を与える「 」を行っている。 その後、岩手や東海地区・兵庫でも「」の名称で行われるようになった。 また一部の競馬場では、数万円程度の協賛金と副賞を提供することで、競走の冠命名権などのサービスを含んだ を行うことができる。 表彰制度 [ ] 全国規模の表彰として地方競馬全国協会が を1990年度より行っている ほか、の加盟団体として での受賞資格を有する。 また、が優秀騎手・功労調教師らの表彰を行い 、が別途年度代表馬や各部門賞を選定している など、各主催者・地区単位でも独自の表彰制度を設けている。 では、馬事文化賞の表彰も行われている。 競馬場 [ ] ナイター開催が行われる大井競馬場 地方競馬を開催可能な競馬場 [ ] 地方競馬を開催できる競馬場は、以下の17ヶ所。 ただし2018年時点で、中京競馬場、札幌競馬場は中央競馬の開催のみが行われており、中京は2003年以降、札幌は2010年以降地方競馬の開催がなく、実質休止の状態である。 地区 都道府県 所在地 競馬場名 主催者・通称 所属 (業務委託:株式会社コンピューター・ビジネスほか) 通称: ばんえい (業務委託:北海道軽種馬振興公社) 通称: 北海道 (、、) 岩手 (、) 浦和 ・ (、、) 船橋 () 通称: TOKYO CITY KEIBA(TCK) 大井 (、) 川崎 () 金沢 ・ (、、) 笠松 (、、) 愛知 (、、) 兵庫 (、) 高知 (、) 佐賀 「」および「」も参照 2015年4月現在、後述の10方式が設定されている。 や東海・北陸といった地区単位での相互発売や広域場間場外発売の設定によって、自場以外で施行されている勝馬投票券の購入も可能である。 各主催者がそれぞれを設けているほか、とが出資するが BAOOの名称で各地にを展開している。 については、によって運営される、旧来の各主催者ごとの電話投票網を統合したを引き継いだ、インターネット投票専業で新規参入したが存在するほか、中央競馬の電話投票システム「IPAT」でも地方競馬の競走を一部購入可能となっている(地方競馬IPAT)。 発売種類 [ ]• (枠複)• (枠単) - ・のみ設定• (馬複、普通馬複)• (馬単)• (ワイド)• (3連複)• (3連単)• - インターネット投票のみ• 5重勝単勝式 - ・・・・で設定• 7重勝単勝式 - ・で設定• 3重勝馬番号二連勝単式 - ・で設定 歴史 [ ] 公営化以前 [ ] 昭和9年4月30日、気仙沼での花競馬の様子 日本においては中世以来、祭りの中で神社などに即席の直線馬場を設けて2頭の馬を競わせる形式の競馬が全国各地で広く行われていた。 こうした ・ 花競馬と呼ばれる日本古来の競馬に対して、1860年代よりやのにおいてを起源とする西洋式の競馬が行われるようになる。 これは1870年のによるを皮切りに日本人によっても執り行われ 、改正を目指す日本政府によって、日本が西洋諸国と同等のとなった象徴として喧伝された。 そして祭典競馬がその様式を模するなどして、全国各地で次第に洋式競馬が行われるようになっていく。 そして1910年にが改正された際に、祭典などの娯楽のために競馬を行うことが法的に認められるとともに 、による許可と賞品・開催費の補助のもとで畜産組合らが競馬を施行することができるとされた。 続く1923年のにおいては政府が公認したによるのみが競馬を施行しを行うことができるとされたが、各地の畜産組合による競馬の中にもに倣って入場券による のみならず、馬券の発売を実施するものが多く現れるようになる。 しかしながら、これは同時に山師的な主催者による競馬場の過剰なまでの増加や、入場券の制限が公然と破られるなどの問題を引き起こした。 そしてこうした競馬を政府の統制下に置くために、ついに ( ・)が施行されるに至るのである。 この中ではの許可のもとで各地の畜産組合、畜産組合連合会、馬匹改良を目的とする団体が競馬を施行することができるとされ、またその統一的な規定が定められた。 法令用語としての 地方競馬の呼称はここに始まる。 1927年秋に52主催者59競馬場で始まった地方競馬は、を含めた競馬熱の高まりの中で順調に開催成績を伸ばしていく。 公式には禁じられていたが、実際にはとの間で人馬の流動性も高かった。 またの制定に先立つ1926年には大日本産馬会、日本乗馬協会、帝国運送協会の3団体とその関連組織が合同し、馬事関連の全国的な組織であるが創設されていた。 これが地方競馬主催者の全国的な連絡組織として機能し、馬名の登録や騎手の講習も実施している。 軍部の統制 [ ] のためを渡河する砲兵部隊と軍馬 このようにして、地方競馬はその法的な地位を得た。 一方で、これは 用途を目的とした馬匹の改良と馬事思想の普及という国策と関連したものであり、やからそれ自体は軍馬には向かないによる競馬はに譲り、地方競馬ではより軍馬に適した・による競馬を、さらにはではなくやを行うべきという意見が当初から出されている。 1933年にはが大幅に改正され、一定以上の売上規模がある主催者はその売上の一部を馬匹改良・馬事に関わる施設のために支出すること、出走をに限ること、速歩競走を重視することが定められた。 また1936年に側がに統合されると、相互の交流は一層厳しく統制された。 そしての勃発とそれによる軍馬需要の急激な増大を背景に、より新たにが施行される。 これによってそれまで地方競馬とされてきた競馬は馬券発売を認められた 軍用保護馬鍛錬競走へと移行し、「 国防上特ニ必要トスル馬ノ資質ノ向上ヲ図リ軍馬資源ノ充実ヲ期スルコト」がその目的となった。 これによって当時100を越えていた地方競馬場の多くが閉鎖され、ごとに存在した畜産組合連合会35団体のもとで37個へと集約される。 売上金の一部を国庫へ納入する機能を有していたがこれを統括し 、のちにが勃発するとこれは体制下で、大日本騎道会とともにへと統合された。 この鍛錬競走は、いよいよ戦局が悪化する1944年末まで続く。 闇競馬から馬連競馬へ [ ] 終結後、ならびにが廃止されたことで、地方競馬はその法的根拠をふたたび喪失した。 しかしながら、早くも1945年秋にはで法的根拠を持たない が行われるや、地方競馬の開催を望む機運は全国へと波及していく。 また北海道においては、進駐していたアメリカ軍第11空挺師団がを祝うために競馬の施行を北海道馬匹組合連合会に要請。 1946年7月6日から として競馬が再開されることとなり、、、の3都市で施行されている。 そして1946年11月20日、ようやくこの無法状態に終止符を打つべく が施行される。 これは戦前のと同様に馬匹組合・馬匹組合連合会が競馬を施行することを認めるものであり 、その中央団体としてが置かれた。 鍛錬競走時代に引き続き馬券の発売も認められたほか、配当の上限も従来の10倍から100倍へと引き上げられている。 また戦前に引き続き・ら軽種馬を中心としていたに対し、各地の農業生産と密着した実用馬を用いることが打ち出され 、の世相を反映しその収益の使途も各馬匹組合連合会およびの裁量に任されていた。 しかしながらこれらの 馬連競馬は闇競馬時代からの連続性が強く、また敗戦直後の社会情勢もあって競馬場での騒擾事件が頻発する。 GHQと競馬法成立 [ ] が使用していた 1947年7月、より及び上記の、馬匹組合連合会が、「 競馬事業を独占している独占機関である」との通告がもたらされる。 GHQが志向していたであろう完全な民営化、そしてそれがもたらすと考えられたの競馬へのさらなる蔓延を防ぐため、同年12月23日の閣議決定において、従来のは、馬連競馬は公営化しにこれを委ねることが決定された。 各地の馬連は1948年春の開催を強行するなどの抵抗を続けたが解散・資産の委譲を迫られ、も1948年7月に解散を余儀なくされる。 そして1948年7月、 が成立。 これによって馬連競馬の資産及び開催権は、競馬場が所在する、そしてが別途指定した戦災復興の中で自主財源不足に苦しむへと移り、地方競馬は現在まで続く へと大きな転換を果たすこととなる。 公営化後 [ ] 戦後派として [ ] 像(北海道新冠町) が施行された1948年、へ移行しを施行した地方競馬場は全国で61箇所存在した。 だが当然ながら、公営化によって当時の地方競馬が抱えていた問題が一挙に解決するはずもない。 馬資源の不足は深刻であった。 が競走に盛んに用いられ、馬籍登録を偽った競走馬が蔓延したほか、ではをで走らせるような奇策すら取られた。 またが成立したのとほぼ時を同じくして、が国会を通過。 11月にはで日本初となるが開催されると、この戦後生まれのは大衆から爆発的な人気を獲得する。 その後も1950年にはによってが、1951年にはに基づきが開始され、それぞれ順調に売上を伸ばしていった。 一方で戦前以来の旧態依然とした施設に頼る各地の地方競馬場は開催成績が低迷し、急速にその数を減らしていく。 こうした中にあって、いち早く隆盛を見せたのは関東地方の競馬場だった。 1947年のを皮切りに、のちにを構成する4競馬場は交通の利便性が高い土地へと移転を進める。 これによる順調な売上の増加を背景にの導入やによる輸入のような先進的な施策を進め、・へ移籍し大競走を制しうるような名馬が数多く現れるに至った。 なによりも競馬においては、質・量ともに・を凌ぐ堂々たる繁栄をみせている。 また、ではその地理的条件から、道内の各競馬場を人馬ともに関係者が渡り歩く ジプシー競馬とも呼ばれる興行形態が長く残った。 が公営競技として根付きはじめたほか 、戦前以来のにおける生産を背景に 、が1960年代初頭まで重要な地位を占めた。 関西方面へ目を移すと、と同じくを導入したは、その扱いに慣れないところにコースの手狭さもあって故障馬が続出。 頭数の少なさから競走が成り立たず、みすみすへの流出を許してしまった経験から 、以後は専業の競馬場として アラブのメッカへの道を歩む。 ・ではが人気を博し、は北海道を始めとする冬期休催競馬場の出稼ぎ先として独自の存在価値を見出した。 そのほかの地区においても徐々に施設の近代化が図られ 、1970年にはでのちにへ移籍すると社会現象を巻き起こす がデビューを迎える。 このアイドルホースの登場による によって、全国的に開催成績も上向いていった。 ただし、を委員長として1961年2月に組織された 公営競技調査会の答申は大筋としての現状維持を定めるものであったが、その中では馬・馬主の登録や地方競馬の騎手免許、専門職員の養成・派遣を全国一元的に統括するとともに、その利益を広く畜産振興のために還元する組織を設立することが求められていた。 これを受けて1962年にである が設立され、の登録や・免許の管理は各主催者からこちらへと一元化されている。 1963年には新人騎手などの育成を行うために、にが完成した。 黒い霧の時代から改革へ [ ] トゥインクル開催のパドック 一方で、戦後直後の社会情勢下で公営の競馬を開催するにあたっては、必然的に地元の ボスたちとの接触が不可欠である。 兵庫のように馬主らによって組織された振興会が競馬の開催業務に深く関わるなど、公営化されたといっても組織としての透明性が長らく不十分な地域も存在した。 騎手や調教師、厩務員へのの浸透も避けられず、1960年代から1980年代にかけて違反容疑で逮捕・追放された事例は全国的に数多い。 競馬場内における・の跋扈も問題であった。 またを契機に一般社会においても注目を集めたを取り巻く黒い影の存在は、少しでも怪しい競走が行われた場合に、ファンがを声高に叫び容易に暴徒化する環境を生み出していく。 とりわけ、その被害規模の大きさに加えて著名馬が関係していたこともあって、 は現在に至るまでも語り継がれ、の運営に影を落としている。 におけるに対する風当たりも激しく、1964年に、1974年にが廃止されているほか 、においても1972年度をもってが開催権を返上し、単独での主催となっている。 にて、1人当たりの馬券購入額を5000円に制限するような奇策が採用されたことすらあった。 そして後の社会情勢も影響し、1970年後半に入ると地方競馬の開催成績はふたたび全国的に伸び悩む。 としての財政貢献もままならないとなれば、各地で競馬場の存廃までも含めた議論が進められることになった。 そして1980年代中ごろから、それぞれの主催者が智恵を絞り、様々な振興策を打ち出していく。 ただでさえ減少した入場者を不快にすること甚だしかった・は、1985年からの全国的な清浄化作戦によって競馬場内から可能な限り閉め出された。 顧客の利便性を高めるために、電話投票の導入や昼休みのサラリーマンを狙った外向き発売口の設置、県内・地区単位での相互場外販売の試みが始まったのもこの時期である。 中でもは最新鋭の映像伝送システムを駆使した テレトラックと呼ばれる場外網を構築し、急激に売上を伸ばしていった。 1986年には、において日本初となる トゥインクルレースが行われている。 それでも、大胆な振興策を実施するだけの体力を有していなかった主催者の開催成績は低迷し、なかでも1988年にはが廃止へと追い込まれている。 また、古くから各地の競馬場間を移籍する馬は数多く存在したが、他地区との間で直接の交流はほとんどないに等しかった。 それが、1972年ににおける古馬最高の競走であったが として、翌1973年にはで3歳馬のが として、それぞれ地方競馬全国交流競走化を果たす。 これによって、各地区の代表馬がそれぞれのプライドを賭けて、鎬を削り合う舞台が産まれることになった。 との間でも1973年より中央側でが、でが隔年で交互に施行されていたが、1986年からはが距離を2000mに短縮された上で、中央競馬招待・地方競馬全国交流競走となった。 側でもが開放されたほか 、にも地方競馬所属馬の招待枠が設けられていた時期があり、1985年には所属のが2着と健闘している。 オグリキャップの登場と交流元年 [ ] 2000年のに出走した際の。 鞍上は騎手 1987年、でのちに を牽引する がデビューを迎える。 これ以前から続いていたによる経済状態の好転もあって、地方競馬の開催成績もようやく上向きをみせた。 1989年には生産者らの団体が主体となって、にて が設立されている。 またのような企画・交流競走も華々しく行われ、1988年にはが通算2000勝以上の名手たちが高額賞金を賭けて戦うを創設。 1989年から1993年にかけては、国外からも招待騎手を招いたが開催されている。 各主催者だけでなく、も1990年からは地方競馬全体の表彰として を開催し、従来の機関誌『地方競馬』が一般競馬ファンも対象とした『 』へと衣替えするなど、時代に合わせた広報活動へと転換していく。 一方で、や、のような傑出馬を輩出しながらも、活躍の場を求めてへの移籍を許してしまったことは、地方競馬関係者からすればその心境は複雑であった。 また、の側も国際化な日本競馬の地位向上において、地方競馬との協調を進める必要に迫られたことから 、1995年よりと地方競馬の間で 交流元年と呼称される、相互交流の大幅拡大が実施されることになった。 また、各ブロックの代表選定競走を勝利するなどした馬にはの最高格付け競走たるGI競走に向けた前哨戦への出走権が与えられ 、さらにはそこで好走することでGI競走本体へも出走する道が開かれた。 果たして、この交流元年初年度から所属の が、のであるで勝利。 本番のこそ4着だったものの、の3歳牝馬クラシック3戦全てに出走を果たしている。 1996年には、、全国公営競馬主催者協議会によって ダート競走格付け委員会が組織され、翌1997年より・地方競馬を横断した重賞競走の格付けである 制度が導入された。 2001年からは、全国の地方競馬場での持ち回り開催となる が創設されている。 そして1999年、ので開催されたを所属のが制し、地方競馬所属馬による中央競馬開催GI初制覇を達成した。 同年にはがを逃げ切り、本番のでも2着。 2004年にはで を利用したが、へ有力馬の1頭として参戦し人気を集めた。 その後も果敢に芝路線への挑戦を続け、ので開催された国際GIであるを制する快挙を成し遂げている。 中央移籍後、2011年のを制した際の騎手 しかしながら、後の経済情勢は、地方競馬の開催成績を直撃した。 1991年に9862億円でピークを迎えた地方競馬全体の売上は、2000年には5605億円まで激減する。 巨額の累積赤字を積み上げた各地の主催者は一転して賞典費を始めとする経営コスト削減に回るが、それが馬資源の流出や厩舎関係者の士気低下を招くことで競走自体の魅力が乏しくなり、ますます開催成績が悪化するという悪循環に陥っていった。 また、中央・地方併せて2001年には46競走まで拡大しただが、その賞金水準の高さに比して売上額は芳しくなく、地方競馬にとってのカンフル剤とはならなかった。 やなどでは入場者数増加の振興策の一環として、のを場内で併設することが行われた。 だがその結果として、目の前で行われている生の競走ではなく、僅かな手数料収入しか得られないの中継映像へ多くの顧客が群がるという、悲劇的な光景も見られたという。 また、西日本を中心に専業の競馬場も存在するなど、長らく地方競馬の歴史を支えてきた競馬だが、1995年のにおける廃止に続いて、1980年代から在厩数の減少に悩んでいたの競馬場がその廃止を決定する。 交流元年後はによる相互交流の機運が高まったこともあって、アラブのメッカを誇ったも1999年にの導入を発表。 最終的に、2009年9月27日にで施行された「開設60周年 アラブ特別レジェンド賞」をもって、日本国内におけるアングロアラブ系単独競走は姿を消している。 そして2001年、大分県のが、21億円の累積赤字を理由に廃止されることが主催者のより発表される。 その後、では廃止に伴う競馬場関係者の補償金を巡って労働争議が紛糾するが 、ともかくもこのを皮切りとして、全国的に競馬主催者の撤退が相次いでいった。 翌2002年8月には日本一小さな競馬場として知られたのが廃止となり 、2003年から2006年にかけて・・のが壊滅。 東北地区では、2002年にすでに前年よりでの開催を中止していたが完全に廃止され 、翌2003年には作家が愛したことで知られたからも競走馬が姿を消した。 かつては 地方競馬の優等生と謳われたすらも、開催成績の低迷に加えて、1996年に移転した新の建設費を巡る巨額の債務によって破綻的な経営状況へと陥り、2007年には一時廃止が確実視された。 1989年より4市によるとして主催されてきたについても、2006年にを除く構成が撤退し、単独の開催へ縮小することで辛くも存続している。 また、地方競馬からの競走への遠征馬に騎乗する騎手は当日の他の競走にも騎乗できたことから、地方競馬の名手たちが中央競馬においてもその腕前を披露する機会を得ることになった。 そして地方競馬の未来がかくも不安定な状況にあっては、一般的な注目度・金銭的な待遇ともに恵まれたへの移籍を望む騎手が現れることも自然な流れである。 2001年、長らくのリーディングジョッキーとして知られた が、の騎手免許試験を受験することを発表した。 この年こそ一次試験で不合格となったが、すでにその実力がのファンにも知れ渡っていたが免許を取得できなかったことは各方面からの非難を呼んだ。 そして翌2002年には通称 アンカツルールと呼ばれた「 過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」の一次試験を免除する規定が設けられたこともあって、見事に合格。 は騎手免許の中央・地方重複所有を監督官庁であるへ要請したが認められず、2003年3月よりは所属騎手として再出発を果たした。 以後も各地区のリーディング級騎手による騎手免許試験の受験が相次ぎ、また地方競馬内でも比較的余裕のある競馬場への移籍を望む事例がみられるようになった。 生き残りに向けて [ ] のポラリスドーム 2004年、疲弊する地方競馬を中心とした日本競馬の構造改革を目指してが改正され、勝馬投票券発売業務を始めとする競馬の実施にあたる業務の大半を民間業者へ委託可能となった。 そして早速、2004年限りでの廃止が決定していたについて、当時新進気鋭のIT系若手経営者として知られ、熱心な競馬ファンでもあった社長が、を通じた馬券発売を中心とした再建策を持ち上げる。 2005年には、の子会社であるソフトバンク・プレイヤーズが、が所有していたを除く地方競馬の統合システムであるを買収し、翌2006年4月より としてリニューアル。 同社はまた、主催のの一部業務委託も2011年度まで担っている。 一方ではがシステムを管理する自前のシステム を有していたが、別途2006年3月末にとの間でを通じた勝馬投票券発売業務の提携を発表。 他の主催者もこれに追随し、2007年2月より として業務を開始した。 なかでもは の登場と関係者の必死の努力によってギリギリで廃止を免れる状況が続いていたが、インターネット投票の顧客を狙って2009年より冬期も含めた通年ナイター開催である 夜さ恋(よさこい)ナイターを開始。 後述するのシステムでの発売もあって、大きく経営を安定化させることに成功している。 このようにナイター開催化の流れは全国的に顕著であり、同じく2009年からもナイター化し 、2012年からはも限定的ながらナイター開催を行っている。 こうした中で地方競馬の開催成績は2000年代半ばから微減で推移してきたが、それでも2011年にはが 、2013年にはが廃止となった。 2000年代の後半に入るとインターネット発売や広域場間場外発売の拡大もあって、従来から進められていた を始めとする全国規模のシリーズ競走の企画運営や交流競走路線の整備が、一層の進展を見せてきた。 またに伴う改革によって、は2008年よりへと移行する。 この際にその業務に「 競馬活性化事業及び競走馬生産振興事業に対する補助」が加えられ、の認可を受けた 認定競馬活性化計画に基づき、が各主催者や業務受託業者を支援することが可能となった。 そしてからの交付金も用いて整備が進められた 地方競馬共同トータリゼータシステムによって 、2012年10月からは 地方競馬IPATとしてのシステムを通じた地方競馬の発売を開始。 また同じシステムを通じて地方競馬場やそのでの馬券を発売する J-PLACEも拡大し 、その手数料収入が一部の地方競馬主催者にとっては重要な収益の柱となっている。 これらの施策が実を結び、地方競馬の売上は下げ止まりの傾向を示している。 日本国外における地方競馬 [ ] 上述の通り、地方競馬とは日本国内における法令用語である。 だが、日本国外の競馬についても、その施行形態や開催規模などによって、地方競馬に近い形で呼ばれているか、翻訳・紹介にあたって地方競馬の語を充てる事例が存在する。 これは必ずしも、日本における地方競馬と質的に同等というわけではない。 全国に200を越える地方競馬協会が存在し、その施設は多くの場合の所有である。 全国で10個の地方連合会によって束ねられたこれらの地方競馬は、地区も含めた全国組織であるフランス競馬全国連合を通じて、審判や発走などの開催執務を担う人員や放映機材の支援、 PMU の収益からの資金援助を受ける。 一方で、での発売を受けられない零細地方競馬協会については開催成績が低迷し、競馬を廃止する地方自治体も現れている。 オーストラリア [ ] はを構成するごとに根拠法が制定され、それに基づいて大小数百の競馬主催者が存在している。 これはその賞金額などによって3つのカテゴリーに分類され、上からそれぞれ都市競馬 Metropolitan 、地方競馬 Provincial 、田舎競馬 Country と呼ばれている。 ただし、カテゴリーの間で相互の出走の制限などは存在せず、あくまで主催者の相対的な位置付けに過ぎない。 南米諸国 [ ] には14の競馬場が存在するが、そのうち首都郊外に存在するマローニャス競馬場 以外の競馬場を地方 Interior とする。 においては、各競馬主催者は法的には同等であるが、記録・統計上は首都の2団体とに存在するバルパライーソ・スポーティングクラブの3主催者が中央、それ以外は地方とされる。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 甚大な戦災・天災被害を被った地方公共団体も競馬を施行することができるほか、については例外措置として総務大臣の指定市同等として扱われる。 地方競馬側はばんえい競馬のものも含める。 ばんえい・岩手では「能力検査 」、ホッカイドウ競馬では「競走能力・発走調教検査 」、大井では「能力・調教試験 」と呼称され、主催者により名称は異なる。 倉兼はその後も遠征を繰り返し、2014年にはの最優秀騎手に選出されている。 そのほか、所得が500万円以下の場合でも、資産の状況などによっては登録となる場合があるとされている。 ばんえい競走においては、「2歳」「3歳」「3歳以上」ではなく「2歳」「3・4歳」「3歳以上」の区分が用いられる。 を参照。 これをと総称する。 当該項目も参照。 「第一条 競馬ハ民法第三十四条ニヨリ設立シタル競馬会ニアラザレバコレヲ行ウコトヲ得ズ但シ祭典等ニ際シモツパラ娯楽ノタメニスルモノハコノ限リニアラズ」。 「畜産組合法ニヨル組合マタハ馬匹ノ改良増殖ヲ目的トスル団体ハ前各条ニヨラズ地方長官(東京ニアリテハ警視総監)ノ許可ヲ得テ競馬ヲ行ウコトヲ得前項ノ競馬ニシテ第五条、第九条、第十四条乃至第十六条ノ規定ヲ準用スルモノニアリテハ地方長官ノ請求ニヨリ必要ト認ムルトキハ馬政長官ハ開催補助金マタハ、賞金、賞品モシクハ賞状ヲ下付マタハ授与スルコトヲ得」。 当時は馬券発売が禁止された「」の時代であるため。 入場券に付属する投票券の投票をもって馬券に替え、的中者に景品を贈呈するシステム。 1競走につき1枚が原則とされ、客は2レース以上購入する場合いったん退場し再度入場券を購入し直す建前となっていた。 これはコースを1周1000m以上の円周形に限るなど、施設面で相応の高い水準を要求する物であった。 そのため従来の祭典競馬の中には、「地方競馬」の範疇外でその後も継続して行われたものも多い 「地方競馬規則第30条」には、祭典のための競馬はこれを適用しないとの規定がある。 山陰地方においては、1960年代までその事例が確認されている。 また、ばんえい競馬は未だ地方競馬の範疇には含まれることなく、草競馬の形態を余儀なくされた。 なお、 も参照。 ただしその根拠が法律でなく省令に留まったことから、馬券発売が不可能であるなどの不満は残った。 そのため一部の有力地方競馬場の関係者はしばしば「地方競馬法」の制定を求める陳情を行うこととなる。 後述する地方競馬法が議案を通過してから実際の施行までの2ヶ月余りの間に、こうした闇競馬はさらに急増した。 こうした進駐軍の関連した闇競馬開催は、におけるイギリス軍の事例、におけるによる競馬再開の動きなど、全国で複数例が確認できる。 当初は北海道内3カ所、他の都府県で1カ所のみに制限されていたが、1947年の改正で倍増された。 これに付随し、従来の駆歩、速歩、障害に加えてが法的にその地位を認められた。 日本馬事会らが戦前の軍馬養成のための国策機関であったことも影響したとされる。 のように、競輪場へ施設が転用された事例も存在する。 競馬関係者とその家族にとってこうした根無し草のような生活は負担が重く、のちの開設へと繋がる。 草輓馬時代の円形コースから、直線コースへの転換が代表。 とはいえ、創成期のころのばんえいは専業者は馬・騎手共に1割ほどで、残りは農業・運搬従事者の副業や家畜商が主だった。 完全なプロ化を達成するのは1970年代まで待たねばならない。 戦後はが用いられた。 そのほか、競馬場の所在地でない市町村の戦災指定市が有していた開催権の廃止が答申され、数度の延長を経ながら1968年をもって廃止されている。 ただし現場における実効性は薄く、数年で廃止となっている。 1986年には所属のが、1991年には所属のが制している。 の騎手が89〜91年と3年連続で総合優勝を果たしている。 その一例として、単体で競走数全体に占める重賞競走の割合の高さが問題となったこと、上限のある競走数に対して競走馬数の増加が限界に達していたことが挙げられる。 ただし、これ以前にも1992年よりローカル競馬場でが新たに設けられ、1994年には新設されたダート重賞であるが地方競馬招待競走に指定されるなど、側の解放は断続的に続いていた。 所属のがテレビ愛知オープンを勝ち、平安ステークスでも3着となっている。 一部のブロックは、選定競走を経ずに直接出走が可能だったほか、とについては、・4着以内で出走権を得ることができる。 また、は地方競馬側から候補馬を推薦したうえで、側の推薦委員会に委ねるとしている。 については、GI競走3着以内の戦績が求められていた。 この再建計画それ自体は、競馬主催者であるによってその見通しの甘さを指摘され採用には至らなかった• 同じ地方競馬の施設を使用する場合でも、中央競馬のシステムに直接接続する場合はWINSとして扱われている。 フランスにおいては、パリ地区・地方地区の別なく場内と場外における馬券の発売をそれぞれフランス場内馬券発売公社 PMH とが担っている。 なお、地方地区への競馬生産協同基金には、パリ地区での収益が含まれる。 出典 [ ]• 「競馬法」第1条第5項• 「競馬法」第1条第2項• JRA, 2014年11月24日閲覧。 JRA, 2014年11月24日閲覧。 Keiba. jp, 2014年11月23日閲覧。 Keiba. jp, 2014年11月23日閲覧。 「競馬法附則抄」第4条• 「競馬法」第23条第9項• 地方公共団体金融機構、「」 2015年2月15日閲覧。 jp, 2020年2月2日閲覧。 151-153• 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